猫又と生贄の少女

軽井 空気

第一話 日本編

吾輩は猫である。


「貴方は神様ですか?」


「吾輩は猫である。」



§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§


 とある世界に「聖杯」と呼ばれる少女が居た。

 少女は生贄にされる運命だった。


 なぜなら、少女を生贄にささげることでどのような願いをも叶えることができるとされるからであった。


 例えば、巨万の富を手に入れる。


 例えば、死んだ人を生き返らせる。


 例えば、永遠の命をもらう。


 例えば、愛する人の心を得る。


 例えば、神様を呼び出す。


 例えば、世界を平和にする。


 などなど、どのような願いであってもだ。

 そこには切実な願いもあったし、邪な願いを持つ者もいた。

 しかしそれらの願いは叶えられなかった。


 誰もがその少女を欲したからである。


 優しい人もいた。

 乱暴な人もいた。

 敬虔けいけんな信者もいた。

 邪悪な野望を秘めた者もいた。

 強い人も弱い人もいた。

 男も女もいた。

 子供から老人まで余すことなくいた。

 そこには正義もあれば悪もいた。


 だが誰も願いを叶えられなかった。


 誰もが少女を奪い合い、沢山の血が流れた。

 たくさんの人が亡くなった。


 誰も少女を生贄にすることなく死んで行った。


 そして少女は1人になった。


 世界には少女1人だけが残された。


 だが、実際は少女には願いを叶える力なんてなかった。


 どこかの誰かが勝手に言い始めたことだったのだ。


 何故そんなことを言ったのかは分からない。


 だが、どんな理由であれ少女のせいで世界は滅びたのである。


 最後に残った少女は悲しみ、そして自ら命を断とうとしていた。


 その心に一つの願いを残して。


「神様。どうか助けてください。」


「良いだろう。吾輩が助けてあげよう。」


 とうとつに少女に声が掛けられた。

 少女以外死に絶えた世界で、少女に声をかけるものはもういないはずなのに。


 周りを見渡した少女の前に1匹の猫が居た。


「猫ちゃん?」


 少女をめぐる争いに巻き込まれて少女は薄汚れていた。


 その少女とは対極的に美しい猫だった。


「猫ちゃん。綺麗。」


 その猫は晴れ渡る夜空のように透き通った闇色の毛色をしていた。

 そして、左右で違う瞳の色をしていた。右目は光の加減で青と銀色に色を変える。左目もエメラルドグリーンとハニーゴールドへと色が変わる瞳をしていた。

 その瞳には深い知性が感じられ、見つめる少女は吸い込まれるかのように感じた。


「ふむ、お褒めに与かり光栄である。」


 また声が聞こえた。


「え?また、……どこから。」

「ここだよ。君の目の前だよ。」

「え、――――もしかして猫ちゃんが、」

「そうだよ。吾輩が声の主だよ。お嬢さん。」


 目の前の猫が口を開くとそこから重く威厳があり、深い優しさを感じさせる声が聞こえて来た。


「うそ。本当に猫ちゃんが喋っている。」

「ははは、驚かせてしまったかな。吾輩は助けを求めている子がいたからとても遠いところからやって来たのさ。」

「猫ちゃんがワタシを助けてくれるの。」

「そうさ、コレでも普通の猫とは違って長生きしてきたからね、すべての人を救うことはできないけど、女の子を一人救うことぐらいは容易い。任せておきなさい。」

「…………。」


 少女はポカンとした顔で目の前の黒猫を見つめる。


「お嬢さん。さしあたってお嬢さんの名前を教えてくれないかな。」

「ワタシ、ワタシは……」

 少女はもう長いこと誰かに名前を呼ばれたことが無い。

 名前を訊ねられたこともなかった。

 だから咄嗟に自分の名前が出てこない。

 自分の名前が分からなくなっていることにショックを受ける少女、必死に両親がつけてくれた名前を思い出そうとする。

 優しかった両親の顏。

 最後に見た怖い顔。

「……分からない。ワタシはなんて名前だったの。思い出せないよ。」

 少女は悲痛に叫ぶ。

 しかし叫び声を出しても自分の名前は出てこない。


「……そうか、ならば吾輩が名前を付けてあげよう。」

「猫ちゃんが……」

「ああ、そうだよ。そうだなぁ――――フィールってのはどうかな。」

「フィール。」

「そうだ、フィール。思い感じるという意味だ。」

「フィール。うん、綺麗な名前。」

「気に入ってくれたかな。」

「うん。ありがとう、猫ちゃん。」

「うむ、それは良かった。それで早速なんだがフィール。」

「何?猫ちゃん。」

「手を出してくれないかな。」

「手を?こうでいい。」

 フィールは促されるままに手を黒猫の鼻先にゆっくりと差し出した。

 黒猫はスンスンと手の匂いを嗅いだ後、ぺろりと指の先を舐めた。そして――――


「ひゃん!」


 黒猫に指先をカプッされたフィールがびっくりして声を出してしまった。

 しかし、甘噛みなので痛くなくとっさに引きかけた手をそのままにできた。

 すると、少しずつ差し出した手の甲があったかくなってきて、手の甲に赤い光で模様が浮かび上がって来た。

「――――これは。」

 その光は優しい光なのでフィールは不安を感じなかった。

 そしてひときわ強く瞬いた後、模様は消えて黒猫も口を放した。

「よしこれでいい。」

 黒猫がつぶやき、フィールは自分の手をじっと凝視する。

「これで吾輩とフィールの間に眷属の契約が成された。」

「眷属?」

「家族に近いところかな。これで吾輩はフィール救う。代わりにフィールは吾輩と生きていくことになる。」

「猫ちゃんと一緒に。」

「なんだい嫌かい。」

「ううん。独りぼっちは嫌だから嬉しい。」

「そうかい。吾輩も独りぼっちは嫌だからね、これからよろしく。」

「ハイ、よろしくお願いします。」


「それではこんなところに長居しないで吾輩の家に帰るとしよう。」

「猫ちゃんのお家。」

 フィールは小さなペットの小屋を想像した。

「フィール、少し目をつぶってくれるかな。」

「は、はい。」

「吾輩が「いい。」と言うまでつむっているのだよ。」

「はい。」

「それでは行こう。」

 フィールは黒猫の言う通りに目をつむっていた。

 するとフィールの足元の感覚がなくなり、フワリと体が浮くような感じがした。

 そして少しすると足元の感覚が戻り、浮き上がるような感覚もなくなる。

「よし、目を開けてもいいぞ。」

 そう言われてフィールが目を開けると、そこはさっきまでのすべてが滅びた荒野では無かった。


 木で出来た建物の中だった。

 だが、その建物はフィールが今まで見てきたことのある建物とは全然違った。

 何がどう違うのかうまく言えないけど、とても柔らかい感じがした。

 床も木だけではない、見たことのない柔らかい床だ。緑色で春の若葉の匂いがする

 壁も明るい色で、大きく外が見える開放感のある造りだ。外を隔てる窓のには紙が使われていて、明かりが室内に入ってきているので明るく感じるのだ。

 外を見れば生き生きとした植物たちが綺麗に手入れされている光景が見える。他にも池や石なども綺麗な風景をカタチづくっている。


「……ここは?」

「ここはフィールの居た世界とは別の、日本という世界の吾輩の家だ。」

 部屋の中にいる黒猫が答える。

「別の世界。……猫ちゃん、いえ猫様。」

「”様”?」


「貴方は神様ですか?」


「吾輩は猫である。」

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