第五十九話



 トウキがロナル鉱山に通い始めて二月が経った。


 本当はできるだけ早く目的のものを掘り当てたかったのだが、“親方”と呼ばれる最年長の鉱山職員は、


「まずは覚えてからにしな領主様。何も知らねえでむやみやたらに掘ったんじゃ、せっかくでっけぇの見つけても割っちまうぞ」


 と、すぐには掘らせてくれなかった。


 二月もの間、親方がトウキに手伝い程度のことしかさせなかったのには理由がある。


 氷晶石は、簡単にいえば岩漿がんしょうが雪解け水で冷やされてできる鉱石の結晶である。

 それが多く生成される場所は、岩漿やそれで沸いた高熱の温泉が近い――つまり、「とても蒸し暑い」ということだ。


 以前、トウキは石龍の・モーフェンのことがあってマイラや国境警備隊の部下たちと数刻ほど坑内にいたことがある。そのときですらすぐ汗だくになって水をがぶ飲みしていたというのに、職員らはもっと長い時間、それもほぼ毎日そんな中にいて、しかも怪我や火傷を負わぬように重装備で力仕事をしているのである。親方が、相手がたとえ領主であろうとも厳しく指導しなければならないのは、危険な目に遭わせるわけにはいかないからだ。トウキはできれば大きなものを掘り当てたいと望んでいる。採掘体験で観光用の整備された坑道で小さなかけら程度のものを掘るのとはわけが違う。


 最初の何日かは何もやらせてもらえないことに不満があったトウキであったが、すぐに親方の言うことを理解した。彼自身もまた国境警備隊の長という立場にある。親方の言い分は、こんな環境だからこその、責任者の義務なのである。


「いやァ、領主様はちゃんと話聞いてくれるし教え甲斐があっていい。あいつらァ最初ッからやれ早く教えろ早くやらせろでうるッせぇの何のって」

「皆早く技術をものにしたかったんだろう。気持ちはわかる。俺も妻が日頃から基礎は大事だと言ってくれているからおとなしく聞けているだけだ、でなければ今頃言うことも聞かずに勝手にそこら中を掘っている」

 親方は、くくっと笑った。

「顔の割に案外やんちゃだな領主様」

「親の教育がよかったからな」

 冗談――言っている本人は全くそんなつもりはないのだが、トウキの両親のことを噂程度にしか知らなければそう聞こえてしまうものだ――に、親方は今度は大きな声を上げて笑う。しかし周囲では他の作業員が採掘の作業をしているので坑内にはさほど響かない。

「ああ、だいぶ手つきがよくなってきた。最初はどうなることかと思ってたけどなァ。……そろそろ、一人で掘ってみるかい?」

 親方のお許しに、トウキの心はおどった。

「い、いいのか!?」

「うちのお嬢とスニヤが一緒なら、危ねェのもすぐわかるだろ。なァ、モーフェン」

 投げ掛けられたモーフェンは、少し離れたところでスニヤとたわむれていたのをやめて、トウキのかたわらまで戻ってきた。スニヤも軽やかに跳ねるようにしながらモーフェンの逆側のトウキの真横につく。

「おとうちゃん、とうとう、やるのね?」

「ああ。やっとお前と石探しができる」

「んふふ。わくわく、するねぇ! おっきいの、さがそうねぇ!」

 両側からぴったり寄せられた頭を撫でながら、トウキは頷いた。

「よろしく頼む」



     ◎     ◎     ◎



 一方同じ頃、マイラはというと、珍しく自室にいた。


「お加減はどうですか?」

 マイラの問いに、遠隔地の相手と互いを見て話せる術具・遠視盤の向こうのシウルは笑った。

「ありがと、元気元気よ~」

「今っておつらい時期じゃ」

「んー、それがね、私、つわり軽いっぽくて」

 まだおおやけにはしていないが、皇妃シウルは懐妊したのだという。

「何か全っ然何もなくて逆に心配になっちゃったんだけど、考えてみれば何もないに越したことはないよねぇ。いやー、でも退屈で退屈でさ、こないだちょっと運動しよっかなーって軍本部の修練場に行こうとしたらリュセイとファーリ様に見つかってすっごい必死に止められちゃって」

 へらへらと笑いながら軽く言われ、マイラはぎょっとした。

「それは流石にダメだと思います!」

「えー、体鈍っちゃうよ、この子産んだ後も軍も剣士隊も続ける気満々なんだよ~リュセイもゲンカ小父おじ様も辞めなくていいよって言ってくれてるしやっぱりやるからには狙うか将軍! って」

「ダメですよ、ダメですシウルさん! 上を目指すにしても今はダメです! 剣はちょっと激しすぎます!」

 叱られて、はぁい、と返事をしながらシウルは苦笑いする。

「そういや、最近トウキが相手してくれないってリュセイがねてるんだけど、何かあった?」

「……えぇ、と」

 ここしばらくの夫の動向を思い出す。


 外出回数と食事量が増え、酒の量は減り、夜も寝台に入るとすぐに寝てしまう。

 体もどこそこ痛めているようだが、心配いらないと言われてしまう。


「ちょっと、お疲れなんです」

「この時期はまだ忙しくないでしょ? 橋もできたんだし。何してんのよあいつ。マイラちゃん、ちゃんと相手してもらってる? リュセイはともかく貴女はあいつが下さいって頭下げてまでもらったお嫁さんなんだから、もらうだけもらって放置とか許されざる行為よ?」

「放置だなんて。この前、チェグルに行くのに誘って下さったんですよ。エシュの礼装作りに行くってチュフィンさんが言ってて、旦那様もお金出したいから一緒に行くけどどうかって」

「そう、それならいいのよ。…………え!? チェグル!? あいつウェイダ出たの!? 大丈夫だった!? すぐ『帰りたい』って駄々こねたんじゃない!?」

 この言いよう。本当にウェイダから出たくないとずっと言い続けていたんだな、と何だかおかしくなってしまうマイラである。

「ときどきちょっとそわそわしてましたけど、以前都に行ったときよりは緊張していなかったように見えました。チュフィンさんがお父様の件で都に帰られたときも、エシュを連れていって下さって」

「都まで来たの!? 何で顔出さないのよあいつ! 弟も生まれたってのに!」

「あ、えと、ご実家には顔を出したって」

「あっそう顔出したのねそれなら…………よくない! 離宮に来たならこっちにも来るのが筋でしょうが!! 何やってんのよ元皇子!!」

「お気をしずめて下さいシウルさんっ、赤ちゃんびっくりしちゃいますからっ…………でも」

「ん?」

「旦那様が、どうして最近お疲れなのかは、私知っているんです。私のためなんです。わかってはいるんですけど……」


 軽い溜め息と一緒に、こぼれ落ちる。


「……お話する時間が、減っちゃって。ちょっと、寂しいです。ね」


 そう、本当は、少し寂しい――彼ができる限りのことをしてくれているのは理解している、それでも、やっぱり。


 そんなことを言いながらしょんぼりしているマイラのことを、シウルは悪いと思いながらも、

「……ん、そっかそっか」

 同時に嬉しく、微笑ましく感じていた。実は都に戻ってからも臆病で後ろ向きな弟分と真っ直ぐで明るいが突っ走りがちなその奥方のことを少し――いや、だいぶん心配していたのだが、自分がいなくても互いを思って上手くやっていっているようだ。

「何やってるか知らないけど、終わったらいっぱい甘えちゃいなさい。それまでは私が相手したげるよ、いつでも連絡して」

「はい、ありがとう、ございます。すみません、こんなの、言うつもりなかったのに」

「いいんだよ、ほんとは本人に伝えたくてたまらなくても『今じゃないな』って我慢しなきゃならない。そんなのよくあることだし、誰にだってあるもの。それにね、貴女があの子をそれだけ想ってくれているって、私とっても嬉しいの。だからあの子も、貴女のために一生懸命になれるのね。ふふふふ、あの子も他人のこと考えられる余裕が出てきたかー。…………何だか親みたいなこと言っちゃった。早く、おにいちゃんとおねえちゃんに会いに行きたいね」

 衣服を着たままではまださほど目立たない下腹部を撫でるシウルに、

「そこは陛下じゃないんですか?」

「十三年待たせたこと私一生許す気ないの」

 マイラは少し、吹き出してしまった。


(ほんと、は)


 礼なんていいのに。


 でもきっと、あのひとは、「気が済まない」と言うのだろう。


「シウルさん」

「なーに?」

「旦那様って、…………意外と、頑固、ですね」

 マイラのぼやくような言葉に、

「あっはっはっはっは、言うようになったねぇ!」

 シウルは笑った。



     ◎     ◎     ◎



「おとうちゃん」

 ひんやりとした硬いものが頬に当たり、トウキは目を覚ました。目の前には岩石を食べる岩石のような仔龍の顔。触れたのはその鼻先だった。

「だいじょうぶ? いたいいたい?」

「ん……」

 ゆっくり、上半身を起こす。側頭部と左腕が痛む。打ち付けたようだ、が、骨が折れたような様子はない。


 周囲を見回す。

 薄暗い。が、真っ暗ではない。


 少し離れたところに、岩漿溜まりが見えた。それ以外の明かりはないが、周辺はそこそこ明るい。ということは、掘り進められた坑道ではなく自然発生した洞窟か。

「お前は、大丈夫か、モーフェン」

「モーフェンは、へいきヨ。りゅうだからねぇ、とっても、じょうぶ、なのヨ」

「そうか、よかった」

 と、スニヤが鳴いた。が――どうも、かなり上の方から小さく聞こえる。心細いときや心配そうにしているときに出す、鼻の頭から出すような高い声。トウキは立ち上がり、モーフェンと揃って見上げた。声は聞こえども姿が見えない。

「……かなり落ちたな」


 トウキは改めて己の状況を理解し、飲み込んだ。


 親方から「一人で掘ってみてもいいが、何はともあれまず練習」というようなことを言われたので、作業員たちの邪魔にならないようにと少し離れた場所でモーフェンに氷晶石が出そうな場所を探してもらい、一人で鶴嘴つるはしを振るっていたのだが――急に足元が陥没した、までは覚えている。そうして落下して、下層にたまたまあった洞窟部分に到達したようだ。いくらモーフェン同様体が丈夫とはいっても、体を少し打ち付けた程度で済んだのは運が良かったとしか言いようがない。


「あちあちに、おちなくて、よかったねぇ。あちあちは、とっても、あちあちだからねぇ」

「あぁ……」

 岩漿溜まりに目をやるとぞっとした。もう少しずれていれば、あの中だったかもしれない。本当に、あそこに落ちなくてよかった。


 そんなことより。


「このあたりは、崩れやすいのか?」

 親方から借りた道具をなくしていないか確認しながら問うと、モーフェンは周囲をのしのしと歩き周りながら、匂いを嗅いだ。

「んっとネ。ここ、は、かたいの。ポリポリで、あじ、こいの。おいしそうネ」

「そうか。モーフェンは硬いのが好きなんだな」

「んふ。サクサクのも、おいしいのヨ」

 体を左右に揺らす姿はご機嫌そうだ。

「サクサク……というのは、氷晶石……キラキラの石が、出やすいのか?」

「うん。キラキラのいし、あちあちが、ギュッてなって、あつまったの、だからねぇ。みんな、サクサクを、ほってるんだヨ。ポリポリは、あちあちが、ギュッてなったけど、キラキラのいしが、あつまらなかったんだヨ。キラキラのいしはね、あじが、こいこいこい~で、おくちが、きゅむむむ~って、なっちゃうんだヨ。モーフェンは、ちょっと、にがてだねぇ」

「成程……ということは、みんなちゃんと足元にも気をつけて掘っているんだな」

 一人納得するトウキの足に、モーフェンが頭を寄せた。

「そっかぁ。ごめんねぇ、おとうちゃんは、しらなかったねぇ」

「そうだな、そういえば親方に教わってなかった。が、今教えてもらった。ありがとう、モーフェン」

「んふふ」

「それにしても」

 再度、見上げる。

「さて、どうやって戻ろうか」


 助けを呼ぶとして、スニヤに声自体は届いても、言葉がちゃんと伝わるかどうか。


「スニヤー!」


 試しに名前を呼ぶ。しかし声は響かず、闇の中に吸い込まれていってしまった。スニヤが心配そうに鼻を鳴らしているのがかすかに聞こえるだけだ。

「…………ダメだな。スニヤがこの状況を理解して助けを呼んでくれるのを待つしかないか」

「おとうちゃん」

「ん?」

「こわく、ない? みんな、くらい、こわいって、いうヨ」


 そういえば、こんな状況だというのに、随分ずいぶんと落ち着いている自分に気付く。



 以前は、こんなだっただろうか?



「……そうだな。お前が、一緒にいるからな」

「そうなの?」


 もし、たった一人だったなら。

 以前のように、悪い方へしか考えられなかったなら。

 こんなに冷静ではいられなかっただろう。


 きっとこれは、あの前向きでさとい妻の影響だ。


「一人だったら、怖かっただろうな。お前が一緒にいてくれるだけで、すごく、心強い」

 撫でてやると、モーフェンは今度は嬉しそうに、

「んふふふ、そっかぁ!」

 また、頭をぴったりと寄せていたが、


「…………ん、ん、ん?」


 急にそわそわし出した。周囲を見回しながら、頭を上下に動かし、匂いで探る。

「おとうちゃん、おとうちゃん」

「どうした?」

「きて、きて、こっち」

 招かれるままにトウキはモーフェンについて行くと、岩漿溜まりの近くまで来た。モーフェンのそんなに長くない前足が岩壁をく。


「ここ! ここ、ほって、おとうちゃん! すっごいのが、あるヨ! ここ!」


 「すっごいの」。

 石を食い、氷晶石を見つける才のある龍の言葉。


 それはつまり――ヒトからすれば、相当「すっごいの」がそこにある、ということだ。


 普段のんびりおっとりしている石食いの仔龍が見せた珍しく興奮した様子に、


「よし。ここだな」


 鶴嘴と採掘用の道具が入った革袋の紐を握ったトウキの手に力が入った。どうせ助けが来るまで時間か掛かる。今自分にできることを、やってみよう。



 クォンシュ帝国ウェイダ領領主トウキ・ウィイ・アヴィロによる、一世一代の鉱石大採掘が始まった。






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