雪獅子公とその妻編

第五十七話


 何の変哲もない、特別何があるでもない日であった。


 起床し、身支度を整え、日々のやることを済ませて、屋敷に住み込みの家人・女中と食堂で朝食を共にし、そこに通いの者らの顔が揃ったら、そのままその場で簡単に挨拶と本日の予定、連絡事項を確認するだけの朝会をし、それぞれその日の勤めに取りかかる。


 いつもの生活。


 日常。



 の、はずであった。



「あっ、旦那様」

 領主の奥方が、たった今何かに気付いたような顔で手を叩く。仕事に取り掛かろうとしていた全員が彼女に注目し、足を止めた。

「どうした」

「あの、あのですね、ついに、できたんです!」

「できた?」

「あっ! すみません部屋に忘れてきちゃった取ってきます!」

 慌ただしく食堂を飛び出していったかと思うと、すぐに戻ってくる、この奥方、足が速い。

「お待たせしましたっ! これっ! これをっ、旦那様に差し上げます! 昨夜は旦那様お帰りが遅かったでしょう? 早くお渡ししたくて」

 にこにこと差し出してきたのは、木箱だった。家人・女中一同が無遠慮にのぞき込むが、ここの領主夫妻はあまり気にしない。


 ふたを開け、包んである布をそっと開いていくと、そこにあったのは領主の左反面を隠しているのと同じ型の、しかし彫金のほどこされた少し華やかな意匠の仮面であった。


「え…………んっ?」


 これは一体どうしたものか。

 というか、妻は「できた」と言ったか?


 作ったということか?

 彼女が? これを?


 仮面と妻と、何度も視線を移動していると、製作者と思われる彼女は自信満々な顔をした。

「トゥーラさんに旦那様の仮面の型があるって以前聞いていたので、こう、気分で付け替えるものがあってもいいんじゃないかなって、思いまして。細かい修正と仕上げはティベクさんを頼りましたが、ほとんど私が作りました。よくできてるってめられたんですよ!」

 ティベクとトゥーラ――現在領主が着けている金属製の簡素な仮面と、夫婦の揃いのものである耳飾りを作ってもらった、領内にいる腕のいい金作かなづくりの職人親子だ。そういえば、妻は以前から「いいものを作っている」と言っていたし、よく職人親子のいる町へ出掛けていた。時間をかけて少しずつ彼らのところへ通って作り上げたというのか。

「…………派手、でしたか、ね?」

 言葉が出ずにいたのが少し不安になったか、奥方が覗き込んでくる。領主は我に返った。

「あっ、いや…………いや、うん、少し驚いただけで……見事な、細工だな、本当に」

 金が流し込まれている細かく彫られた紋様を指でなぞる。日常的に着けている仮面よりも少し明るい、つやのない銀色。つい触っていたくなるなめらかな表面。名工のところに型があり、彼らの指導もあったとはいえ、全くの素人がこれだけものを。これを、彼女が。いやしかし、彼女ならこのくらいの技術は習得できるだろう。ゆっくり、丁寧に作り上げていっただろう仮面は、金属でできているのに冷たさが感じられない。流石はマイラ・シェウ。領主は己の妻の学習能力の高さにいたく感服した。

「すごーい!」

 女中のモユが、自身がもらったわけでもないのに目を輝かせた。

「えーっ、うそぉ! これ奥様が作ったの!? きれい! すごい! よかったね旦那様宝物だね!」

 他の家人・女中たちも寄ってたかって感激する。それだけ仮面は出来がよかった。

「えっ、あ、うん、ああ」


 宝物。


 愛する妻が、自分のために作ってくれた仮面。


 何て嬉しい。何て愛おしい。何て多幸多福なことだろう。口元がわずかに緩んでしまうのが自分でもわかる。


 などと、じんわり染み入っていると、


「と、無事に差し上げられたところで……私出掛けてきますね!」

「えっ」

「今日はレイシャと遠乗りする約束なんです。旦那様もお勤め頑張って下さい。それじゃ行ってきます、夕方には戻ります!」


 いつも元気でせわしない奥方は、再度飛び出していった。


「あっ」


 目の前にいたはずの彼女の姿はもうない。あまりの素早さに、領主はぽかんとしてしまった。



「礼を…………言って、ない……」



     ◎     ◎     ◎



 国境警備隊の詰所番は、意外とやることが多い。日々の鍛錬は勿論のこと、詰所と修練場とうまやの清掃、予備の武器や防具の管理、また国境を見回る警備番から異常がしらされたり領内で大きな揉め事等の事件が起こったと連絡が来れば、いつでもそこに駆け付け動けるように、しっかり“待機”していなければならない。


 とはいっても、クォンシュ帝国の国境に位置するウェイダ領は大変に平和だ。


 ウェイダ領は南側をファンロン王政国ツァスマ領、北西をデアーシュ王国パドゥーナ領と接しているが、昨年ファンロンの傍流の姫が元皇子であるウェイダ領の領主に嫁いできたことにより、クォンシュとファンロンは友好国として正式に関係が結ばれた。デアーシュも先日クォンシュの皇妃だった姫が女王として即位し、改めてきちんと条約を結ぼうと皇帝に持ちかけてきているというから、現状戦になるような心配はない。元々攻め入られにくい地形であることも幸いし、クォンシュが国として成り立って以来、ウェイダ領のあたりが戦場になったことはほぼ皆無なのである。


 そんなだから、国境警備隊の面々も、それなりに真面目に務めをこなしてはいるが、他の国境の領地の警備隊に比べればのんびりしたものであった。


「そりゃ隊長、」

 練習用の剣を軽々弾き飛ばされたトウキの鼻先で、ぴたりと切っ先が止まる。

「そんなのもらっちゃったんなら、奥様にちゃんとお返ししないと」

 イクレス・ヴァヤリナはウェイダ領国境警備隊で副隊長チュフィン・ワバール・ロウに次ぐ二番目の剣の使い手である。なのでトウキは打ち合いで負けたところで悔しがったりはしない。お返し、と呟いて、悩む。

「何を、返せばいいのか……」

「奥様になんか贈ったりしたことねえんですか?」


 思い返す。

 これまでマイラに贈ったもの、とは?


 氷晶石の耳飾り――は、夫婦の揃いのものだから、贈り物には入らないか。

 子どものように毎日駆け回っては汚すからと、シウルに頼み込まれ都行きの帰りにチェグルで大量に買い込んだ布で女中のフィーメイにしつらえてもらった動きやすい衣……は、入れてもいいのだろうか? いや、これは生活必需品か。

 育てたいものがあるのと試したいことがあるとのことでねだられたので建てた、裏庭の温室。とても喜ばれたし、積極的に使ってくれている。これは贈ったうちに入れてもいいだろう。

 春にひとつ歳を重ねたので、祝いの品として髪の飾り帯と、彼女の相棒である黒牙獣ワラウスレイシャにも同じ意匠の布を縫い付けた手綱たづなを。これは大変喜ばれ、安堵したのは記憶に新しい。これも、入れていい。


「ある」

「へぇ、あるんだ。何贈られたんです?」

 イクレスはトウキが拾い上げた剣を受け取ると、共に倉庫に向かう。じきに昼食の時間だ。同じように打ち合いをしていた他の隊員たちも片付けを始めている。

「温室……と、髪帯、と、それと揃いのレイシャの手綱を」

「髪帯。意外と悪くない」

「意外とって何だ」

「隊長全然女っ気なかったからそういうのちゃんと選べるんだな~って」

「いや、その……温室は本人の希望だったからともかく、髪帯とレイシャの手綱は……うちの女衆に相談したから何とか……」

「あ~」

「あれで、結構……いや、かなり、いろいろ、持っているから……何しろファンロンの姫だからな……」

「あぁ~」

 改めて相手がどこの誰であるのかを認識し、イクレスは納得した。


 そう、トウキは妻に何を贈ればいいのかわからない。


 マイラはいつも着飾らない。というよりも、正確には動き回って紛失してしまうのが嫌だから付けたくないらしい(幼い頃から何度もお気に入りを紛失しているとのことだった)のだが、そういうたぐいのものを全く持っていないわけではない。事実、傍流とはいえ豊かな国ファンロンの王族である彼女は、それなりの場で装うための高価な品を多く所持しており、皇帝に謁見するために都へ行ったときは毎日違う装飾品を身に付けていた。

 さほど大きくはないファンロンがその何倍もの国土と軍事力を持つクォンシュと対等な立場であるのは、高い財力を誇るからである。温暖な気候からなる果物や薬草の栽培、酒の醸造、質の高い金属鉱石と宝石の産出――そしてそれらを輸出するのに適した大きな港が三つもある。大陸随一の商業国なのだ。


 そんな国の姫君。

 それならば、いくらあの奥方様が普段少年のようとはいえ、何を贈ればいいのかわからなくなるのも仕方がないというものである。


「何か……ないか、イクレス。お前奥方と仲がいいだろう」

「あ、いや、えっと……」

 口ごもるイクレスの横から、ウァルトがひょこっと顔を出す。

「イクレスさんのところは仲がいいというよりもイクレスさんが奥さんの尻に敷かれてるんですよ。この前奥さんが大事にとっておいた白蜜花ブラーレの蜜漬けの最後の一口分を酔っ払ってお酒に入れて飲んじゃって閉め出されたって」

「わー! わー!」

 最年少からの情報提供に、聞こえていた周囲は吹き出し、トウキは驚き思わず部下の顔を見る。イクレスはウァルトの肩を掴もうとしたが回避され、そのまま追いかけっこが始まってしまった。ウァルトの相手をしていたチュフィンがウァルトからすみませんお願いしますと投げ渡された練習用の剣を倉庫の指定の場所に返却する。

「あいつ赴任決まったせいで結婚早めてもらった上でウェイダについてきてもらったから、嫁さんに頭上がんねーんですよ」

「成程、そうだったか」

「誰かさんとおんなじで、あれでベタ惚れみたいですけどね」

 水の珠を出そうとした手を咄嗟とっさにチュフィンに掴まれて、トウキは整った顔を思い切りしかめ、指の代わりとでもいうように舌を鳴らした。

「こわ。舌打ちせんで下さい柄わりィな元殿下のくせに」

「日々お前たちみたいなのに囲まれていれば柄も悪くなる」

「はは、返す言葉もございませんな」

 上司の手を離し、他の隊員たちの武器返却を見守る部下に、トウキは小声で尋ねた。

「チュフィン。お前は、エシュに何を贈ったことがある?」

「えー? いろいろ?」

「だからそのいろいろって」

「最近は実用品ばっかりですよ。新居で使うもの。エシュんち家族多いし育ち盛りの弟も二人もいるじゃないですか、あっちの家にそんなに負担かけさせるわけにもいかないし」

「それは贈り物に入るのか?」

「どうでしょうね。……あ、今度エシュの礼装作りに行くんですよねチェグルに。それは入るかなぁ」

「礼装……か」

 そういえば、もうすぐチュフィンとエシュは結婚するのだった。幼い頃から仕えてくれていたあの小さなしっかり者の妹分がとうとう嫁ぐ。チュフィンが新居を構えた場所は領主の屋敷から近いので、実際は熱々の汁物も冷めない距離のご近所さんになるし、エシュも嫁いだ後も変わらず勤めたいと言ってくれているのだが、それでも少し遠くなってしまうような気持ちになってトウキは思わずチュフィンのそでを握った。

「俺にも出資させてくれ……とびきりきれいで可愛いのを作ってやってくれ……」

「うわ何ですか気持ち悪い、厄介な兄貴みたいなこと言って。……あー、そうだ、そうだな。トウキ様、こういうのはどうです?」

 全員が練習用武器をしまい終えて食堂に向かったのを確認したチュフィンは、ぴ、と人差し指を立てた。

「奥様は仮面を作ってくれたわけでしょ? だったら、トウキ様も何か作ってあげればいいんじゃ? 高価なものなんていっぱい持ってるっていうんなら、気持ちですよ気持ち」

「え」

 トウキは、ごく、とつばを飲んだ。


「俺が…………作る……?」




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