第十六話


「た、ら、らら、らら、ら」


 龍女は回る。歌いながら、軽やかに。


 晴れ渡る深い青色の空の下、重なる薄絹うすぎぬすそ、血潮の如き赤い髪が舞う。


「……今日はいい日だ」


 ふもとに都を望むマクト山の山頂。大きく四角い岩の上で、龍女は笑った。金細工をめ込んだような瞳が、陽の光を含みきらめく。

「そうは思わないか、親父どの」

 呼び掛けに、岩の真横にある巨大なあかい塊が、唸り声を発した。



     ◎     ◎     ◎



 沢山の土産物を持たされて、トウキとマイラは将軍宅を後にした。次に向かうはこれまた宮廷より程近いオーギ家の本家。オーギ家は初代皇帝の頃から代々侍従を輩出している名家で、アヴィロ家の侍女長シウルの実家でもある。

 立派な門をくぐり玄関先まで進むと、扉が開く。一足先に来ていたシウルが小さな女の子に手を引かれながら迎え出た。

「いらっしゃいませトウキおにいさま!」

「わ、何その荷物」

「父上が……持っていけと……」

 トウキが差し出した袋の一つをのぞき込む。

「えっ、なぁに~? …………あっ、すごーい! お菓子いっぱいだよウティラ、ケイツェもある! やったね!」

「おかし?」

 女の子が目を輝かせる。五、六歳ぐらいだろうか、シウルに似たきりっとした目元が利発そうだ。

「おばさま、ウティラもマルウもたべていいの?」

「そうだよ~ゲンカ小父おじ様がみんなで食べてね~って。あ、お父様にお客様来たよーって言ってきてくれる?」

「うん!」

 返事をすると、屋敷の奥へ向かって走っていった。見送りながらトウキは笑う。

「大きくなったな。よく覚えていてくれたものだ」

「兄貴がウェイダにあの子連れてきたの一昨年おととしだっけ。下の子はまだリネアのお腹にいたから今回初対面だよね。あ、マイラちゃん、荷物荷物。誰かー、手伝ってー! 全く、近所だからってどんだけ持たすのゲンカ小父様は! っていうかあんたたちもさぁ、一応身分高いんだから一人くらい連れて歩きなよねモユもクロルも男衆もいたでしょ⁉」

 元々持ってきていた手土産に、ゲンカが持たせたものを合わせて六つの包み。二人はよたよたしながらここまで来ていた。

「皆さんには、その、今日は一日お休みを……旦那様と私は多分夜まで外出になるだろうからって」

 今回の都行きで同行していた女中や従者、国境警備隊から借りてきた人員にも羽を伸ばしてもらおうとマイラが提案したのだった。シウルは嘆息する。

「……奥様、下々の者のことを考えてくれるのはいいけどさ、もうちょっと効率的に割り振ってね……」

「う、そうですね、今後気を付けます」

「まぁ今日は帰りは私が一緒に戻る……あぁ、でも、せっかくだし二人で出歩いてきたいよね。何か荷物あったら持ってくから遠慮なく言ってね」

「はい、ありがとうございま」


 す、と言い切る前に、マイラの姿が、ふ、と消えた。

 言葉通り、影も形もない。


 突然の異変に、トウキとシウルは言葉を失う。


「……え、えっ、あれっ? マイラ、ちゃん? えっ?」


 シウルの声で我に返ったトウキは気付いた。こんなことができるのは――


「…………ははうえ、だ」

「は⁉」

「シウル、キクロ兄さんは⁉」

「さっきは自分の部屋にいたけど今ウティラが呼びにいったから応接間かも!」

「失礼する!」

 トウキは屋敷の中に駆け込み、シウルも後を追った。



 一方のマイラはというと、たった今まで夫と一緒に訪問したはずのオーギ家の玄関が急に見知らぬ景色に変わったことに驚き戸惑っていた。

「……へ? んん?」

 ゆっくりと見回す。前方と左右には森が広がり、後方は遠く下方に市街地、眺望ちょうぼうがいい。ということは、今いるここは高所か。足元を見ると大きな岩の上のようだ。

「…………旦那様? だんなさま⁉ シウルさん⁉」

 呼んでも返事はない。姿も見えない。自分一人だけがここにいるのか。ここは一体どこなのか。何故こんなことに? マイラは混乱した。

「どうして……なに? 何が、どうなって……何で……?」

「初めましてだな嫁どの!」

 少女の声がした。振り返るが、いない。

「……んっ?」

「ここだ!」

 声は上の方から聞こえる。


 見上げるとそこには、トウキと同じ鮮やかな赤色の髪の、白銀の宝冠をいただき大きな古木の杖を持ったほっそりとした少女が浮かんで――仁王立ちしていた。


「我が名はアルマト、クォンシュの祖、赫き龍の娘! お前が我が子トウキの妻だな⁉」


 ファンロンに伝わっていた龍女アルマトとは、数百年の時を生きる凄腕の術士で赤い髪を持つ美しい女性のはずだ。しかしそこに浮いているのはどう見ても随分と歳若い、昨日会った皇妃ショウハと同じくらいの少女ではないか。

 とはいえ、想像していたのとはちょっと違うが、髪の色は勿論顔立ちもトウキに似ているし、聞いていた話とこの状況を照らし合わせてみれば、成程きっとそうなのだろう。何故か納得できたマイラは、


「マイラ・シェウ・ルヨ・ファンロン、ファンロン王シュイリが弟、アレド・シェウ・ファンロンの孫です!」


 とても元気に応じた。



     ◎     ◎     ◎



 トウキとシウルが応接間に入るなり同時にまくし立ててきたが、長椅子に座る屋敷の主キクロ・オーギは、くい、と眼鏡のつるを押し上げるのみであった。


 一応術剣士隊の隊長であり、事務方とはいえ軍の中でも高い地位にあるということは実力もある武人なのだが、引きりそうに長い袖や裾が特徴的なその装いと、肩より下まで流れ落ちる長い髪、清水の湧く泉を思わせる涼やかでいて優しげな面立ちは、どちらかというと術士を彷彿ほうふつとさせるものだ。高位術士の証である白銀の宝冠――彼が頭に被るというより引っ掛けているものはだいぶんくすんではいるが、それがまた術士としての格を上げているように見える――の存在が、尚更その肩書きとの乖離性かいりせいを感じさせる。


「落ち着きなよ二人とも。ほら、座って。ウティラ、お母様にお茶の用意をお願いしてきてもらえるかな。いただいたお菓子も食べておいで、マルウと仲良く分けるんだよ」

「はぁい!」

 愛娘が出ていくと、改めてゆっくりと二人に座るように促す。トウキとシウルは並んで座ったと思ったらまた腰を浮かせて、キクロに詰め寄った。

「俺の妻が消えた、龍女の仕業しわざだ」

「何か心当たりないの兄さん」

「相手は龍女アルマトだ」

「マイラちゃんに何かあったら国際問題なんだよ!」

「聞きなさい」

 キクロの指先がトウキとシウルの額に順に触れると、二人は口をぱくぱくしながら狼狽うろたえた。声が出せなくなったのだ。ふぅ、とキクロは軽く溜め息をつく。

「落ち着け、と言っているんだよ、トウキ、シウル。大丈夫、大体わかった。ほら、大きく息吸って……吐いて……もう一回……そう、いい子だ」

 言われるままに深呼吸を二回繰り返し、トウキとシウルは徐々に冷静さを取り戻していった。キクロは再び二人の額に触れて術を解き、姿勢を正す。

「師匠の仕業……うん、成程。さっき一瞬気配を感じたけど、そういうことか。シウル、僕の部屋から丸いおっきいアレを持ってきてくれるかな。ちょっと急いで」

「う、うん」

 シウルが立ち上がり応接間を出て行く。キクロも席を立ち、トウキの横まで移動すると、トウキを立ち上がらせて右手首を掴んだ。その瞬間、景色が変わる。つい先程までいた玄関先だ。

「さ、て。トウキ、奥方が立っていたのはどの辺り?」

「……多分、この、黒い石張りの」

 正確にではないかもしれないが、大体の位置を示す。キクロはしゃがみ込み、手をかざした。

「うん、そうか。……よかった、まだ残ってる」

「わかるのか?」

「師匠は存外迂闊うかつだからね。まぁ、辿られたところで何も困らないから気にしないのかもしれないな。僕程度の術士なら、小心者だからあれこれ心配して痕跡は消したがるものだけど」

 自分程度のとは言うが、キクロはトウキも遠く及ばない、クォンシュでも指折りの高位術士である。しかしそれは謙遜けんそんから出る言葉ではない。常に師たるアルマトや自分よりも上位にある術士に対する敬意を表している彼ゆえの言葉だ。

 ふところから出した短剣を抜き、マイラが立っていたとされる場所に人が一人立てるぐらいの大きさの円を描き、その真ん中に三角形、それを斬るように斜めに線を入れながら、古い言葉を歌うようにつむぐと、線が赤く光る。

「よし捕まえた。シウルはまだかな」

 キクロが言い終えたと同時に玄関の扉が開く。中から出てきたのは、半透明の大きな皿のようなものを抱えたシウルと自身の顔くらいある大きな焼き菓子を一つ大事そうに持ったウティラ、そしてようやくおむつが取れたくらいの幼子を抱えた女性。

「兄さん、これ」

 キクロの言った「丸いおっきいアレ」とおぼしきものを手渡そうとしたシウルを押しのけ、女性が声を張り上げた。

「あなた! またこんなところにこんならくがきをしたらウティラが真似まねを……きず⁉ 瑕を付けたんですか⁉」

 あまりの剣幕に、そこにいた男二人は驚いてびくりとしたが、

「リネア。らくがきじゃない、今ちょっと大事なことをしているから見逃してくれ、瑕も後でちゃんと直すからさ」

 キクロが弱ったように頭をくと、トウキも苦笑した。



     ◎     ◎     ◎



「よい風が吹く。そう思わないか」

「はい」

 舞台のような岩の上、マイラは小さな義理の母と並んで座り、下界を眺めていた。

 アルマトはご機嫌な様子で杖であれこれと指す。

「あそこが宮廷。大きいからわかりやすいな。その少し横、あの大きな木の手前にゲンカの住まい。われがトウキを産んだ場所、トウキが生まれたところだ。軍の詰所は宮廷の四方を囲って護るように一つずつあるんだが……建物が低いから見えないな」

「あちらの、やぐらのようなものは何ですか?」

「あれは術士院の塔。術士院はそろそろ建物が潰れそうだから、新しいのを建てるんだそうだ」

「……あの」

「どうした?」

「何故、いきなり、私を連れ出したのですか?」

 思い切って訊いてみる。すると赤い髪の少女は、

「何故だと思う?」

 微笑んだ瞬間、妖艶な美女へと変貌した。しかしマイラは驚きはしなかった。


 目の前にいるのは、夫によく似た色彩ときれいな顔立ちの女。


 実際に会うまでは、少しだけ怖いと思っていた。一体何を言われるのか、何をされるのか。

 しかし、確かに全く予想外の遭遇の仕方だったとはいえ、そばにいるとどうしてか落ち着く。


「きれい」

 見とれて思わずつぶやくと、美女はにこにこ笑う。

「そうか、お前もそう思うか! そうだ、私は美しいしすごいんだぞ!」

 容姿はどう見ても成熟した大人の女性なのに、まるで無邪気な子どものように笑う。旦那様も小さな頃はこんなふうに笑ったのかな、と、マイラは考える。

 アルマトが覗き込む。

「お前、今トウキのことを考えたな」

「おわかりになったのですか?」

「別に読んだわけではない。流石の我でも心は読めん。そういう顔をした」

「そういう顔を、していましたか、私」

「ふふ、そうか、はちゃんと愛されているのだな。……立て、嫁どの」

「はい」

 言われるままに立ち上がる。アルマトも腰を上げた。やわらかな風の中に赤い髪が散る。

 手を差し出されたのでその上に指先をそっと乗せると握られた。瞬時に、また景色が変わる。目の前には大きな岩。ただ下に降りただけのようだ。

「頼みがある」

「何でしょうか」

 繋いだ手をそのまま引かれていくと、岩の隣に何かがいた。全身は赫く、頭は馬車数台分もあるかと思うほどに大きい。呼吸はしているが目は閉じられている。眠っているのか。

 それが何かを察したマイラは、目を見張った。


 これが――赫き龍。

 クォンシュの祖、そしてトウキの祖父。


 偉大なる赫い獣を前に、動けなくなった。


 神々しさ。美しさ。

 不思議と畏怖いふはないが、どうしてか、視線を逸らせない。

 意識が吸い込まれてしまいそうな。


「こら、マイラ」

 名を呼ばれながら杖で軽く小突かれて、はっとする。

「はいっ」

「我が父に見とれるなど、お前まさか惚れてしまったのではないだろうな?」

「えっ、ち、ちがいますっ、そのっ、龍は、初めて見るのでっ」

「ファンロンにも龍はいるだろう」

「あ、えと……海沿いにいると、聞いたことはありますが……私が生まれたツァスマは、山なので」

「ツァスマ。そうか、あのあたりには龍はおらんなそういえば」

「……こんなに、大きくて、きれいなんですね、龍って」

「我が父は特別だ」

 身内を褒められて満更でもない顔をしながら、アルマトは父の顔に寄り添い、ぺちぺちと叩いた。思わぬ行動にマイラはあわあわする。

「あ、アルマト様、そんなことをしては」

「遠慮をするな、母と呼んでくれていいぞ。ふふ、そうか嫁か。息子の嫁、義理の娘。これでこのアルマトも一男一女の母というわけだな!」

 ぺちぺちが増す。マイラの困惑も増す。

「あ、あるっ、おっ、お義母かあ様っ」

「案ずるな、この程度では起きない」


「痛い」


 地面に響く、低く唸るような声。閉じられていた目がうっすらと開く。

 アルマトは、


「おや我が父、目覚めたか」


 手を止め、マイラは、


「あひゃッ、あぁ、ああぁぁぁッ⁉」


 生まれて十八年、初めて困惑と驚愕が限界を超えた。



     ◎     ◎     ◎



 クォンシュの名家・オーギ家の玄関のひさしの下は、大変混雑していた。キクロの妻と娘たちとシウル、そしてトウキと、計五人が集って囲い、高位術士キクロの術を見守っているのである。

「うぅん……こう、集中して見られてると緊張するなぁ」

 キクロが小さく漏らすと、シウルが呆れ返って肩を叩く。

「何をのんきに! 頑張ってよ兄さん、私らの可愛いトウキの可愛い奥さんが大変なんだからね!」

「大変な目に遭ってるとは限らないじゃないか」

「相手はアルマト様だって言ってるでしょ⁉ 早く! どうにかして!」

「師匠の相手なら僕よりゲンカ様の方が頼りになると思うんだけどなぁ」

「あの人は術が使えないでしょ!」

「ゲンカ様だって全く術使えないわけじゃ」

「屁理屈はいいから早くしろっつってんの!」

「はいはい」

 シウルから受け取ったうっすらと透けた円盤を、赤く光る丸い瑕に重ねるように置く。円盤は一回赤くぼんやりと光り、ゆっくり上昇した。ウティラが興味深そうに、浮いた円盤と瑕を順に見る。

「おとーさま! なんでこれとんでるの?」

「おいでウティラ」

 片腕で娘を抱き上げたキクロは、大人の腰のあたりの高さで浮いている円盤の中心に指先を落とし、静かに呪文を唱える。円盤に何かが浮かび上がった――地図だ。トウキが食い入るように見つめながら地図を撫でる。

「キクロ兄さん、妻は、マイラは、どこに」

「落ち着きなさいトウキ。大丈夫だよ」

「大丈夫な保証がどこにある⁉ 怒らせて半殺しにされた者もいるんだぞ⁉」

「きみの妻は、龍女アルマトを怒らせるような、無礼なことを言ったりしたりする人かい?」

 言われて、思い返す。


 自分の妻は、マイラは、他人ひとを尊重することができる娘で。

 少し慌てることがあっても、すぐによく考えて行動できる娘で。


 彼女のことを考えると、心がしずまった。

 きっと言うはずだ、「大丈夫ですよ」と、笑って。


 あぁ、こんなときですら、助けてくれるのか。


「断じて、違う」

「それなら、大丈夫だ。本当だよ。信じなさい、きみの奥さんも、お母さんも。……ほら」

 キクロが指した先に、赤い小さな光が二つ、浮かぶ。

「一緒にいるね。ここは……あぁ、意外と近いな。マクト山の山頂付近だ」

 場所を聞いて、トウキは怪訝けげんな顔で呟いた。


「爺さまの……ところ……?」




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