8.吐き気を催す悪。







「誰だ……!?」


 俺は声のした方を見る。

 地下室の入口――そこに立っていたのは、1人の初老の男性だった。

 口髭を蓄えており、身に着けているのは金の細いラインが入った黒のスーツ。眼鏡をかけたその顔立ちは、優しげな印象を受けた。

 微笑みをたたえたその男性は、余裕をもって言う。


「初めまして。私の名前は、御堂ハジメ――御堂財閥の頭取だよ」


 自分こそが、キミたちの敵である、と。

 そう宣言するようだった。


「お父様……!?」

「おやおや、アカネもいるのか。今日は寝ていなさいと言ったのに、悪い子だ」


 そんな父の姿に、思わず声を上げたのはアカネだ。

 彼女は悲喜交々といった表情で彼を呼ぶ。しかしそんな娘を見て、薄ら寒い笑みを浮かべた御堂ハジメ。芝居がかった口調と仕草で、少女のことを嘲笑った。

 俺は一目見て理解する。

 こいつには、娘に対する情というものがないのだ、と。


「これは、どういうことですの!? 『イ・リーガル』は、わたくしの命を狙っていたと、そう仰っていたではありませんか! それなのに――」

「あぁ、本気で信じていたのかい。それとも薄々、勘付いていたのかな」

「それって! どういう、意味ですの……?」

「分かっていて訊くのかい?」


 娘の必死な訴えに、クツクツと嗤うハジメ。

 そして、おもむろにこう語り始めた。


「金銭についての話があったのは本当だよ? ――『イ・リーガル』から、ね」

「それは、どういうことだ……?」


 そう切り出した彼に、割って入ったのはアレン。

 霞む目で必死にハジメを捉えているのか、瞬きが多く、呼吸も荒かった。

 そんなアレンの体力の消耗に気付いているらしい。まったく脅威ではないと、そう言わんばかりに財閥頭取はこう口にした。



「末端は知らないのかな。我々、御堂財閥と『イ・リーガル』が密な関係であること――そして、今のボスの娘を殺す手助けをしている、ということをね」



 それを聞いた、その場に居る全員が息を呑んだ。

 その宣言は間違いない。自分たちもまた闇の世界の人間であり、マフィアと癒着関係にあるということ、それの自白だった。

 おそらく御堂財閥に依頼したのは、反体制派だろう。

 しかし、その相手が反抗集団であることは重々承知であると、ハジメの目は語っているような気がした。罪悪感を抱いている様子は、微塵も見られない。


 その証拠に、彼はこうも語った。



「私たち御堂財閥は、反体制派に金銭の援助をする。その代りに事が上手く運んだ場合に、相応の報酬を得ることになっているんだ。さらに今、そこには莫大な金が転がっている――赤羽ミレイという、何千億という価値ある命がね!」



 それはもう、腐りきった言葉。人の命を軽んじたもの、外道のそれだった。

 こいつの目には、頭の中には、金のことしかない。人の心など、どこかに置き去りにした。その証拠に優しげだった笑みはいつの間にか、邪悪な色を帯びている。


 吐き気がした。

 こんな、ここまでの屑が生きていることに。


「お、父様……」


 そんな父の本性を見たアカネは、感情のない表情で大粒の涙を流していた。

 そしていよいよ許容範囲を超えたのか、その場にへたり込んだ。

 アレンはそれを支えて、優しく肩に手を置く。


「う、うぅ……!」


 少女のすすり泣く声が、金庫の中に響いた。

 しかしそんな娘など気にも留めず、ハジメは銃を取り出して構える。不自然に首を傾げながら、ケタケタと笑った。そして、


「いやぁ、実に愉快だね。何も知らないキミたちを見ているのは!」


 俺たち全員を小馬鹿にする。

 銃口をゆっくりと、ミレイの方へと向けて――。



「まさか『あんな近くにいる裏切り者』に気付かないなんて、ね」



 言って、引き金に指をかけた。

 その瞬間だ。




「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

「なっ――!?」




 完全にこちらから目を切った、その時。

 俺は全速力で、一直線に、ハジメへと突進した。そして――。




「ふざ、けんなああああああああああああああああああああああっ!!」




 渾身の力を込めて、その綺麗な顔をぶん殴った。

 そこには、冷静さなどない。そこには、計算などもない。

 ただただ怒りを込めて。ただただこの男が許せなくて。ただただ、アカネの心を傷付けたコイツが、ムカついて仕方なかった。


 この行動が正解かなんて、分からない。

 それでも、俺はもう我慢の限界だったのだ。


「てめぇ、自分が何を言ってるのか、分かってんのか!?」


 馬乗りになって、ハジメへと拳を振り下ろす。

 まるで想定していなかった事態に、彼は防戦一方になった。

 そんな外道に、何度も何度も何度も、俺は全力の拳を叩きつける。だが――。


「やめて、ミコト――っ!」

「な――!?」


 声が聞こえた。

 それは、父を守ろうとする娘の叫びだった。

 その懇願に、俺は思わず動きを止めてしまう。すると、


「……良い子だ、アカネェッ!」


 当然に、隙が生まれた。

 ハジメは銃を俺の脇腹に宛がうと、迷うことなく引き金を引く。



「かはっ……!?」



 直後に、発破音と共に激痛。

 そして全身から、脂汗が噴き出した。俺はどうしようもなく――。



「ミコトくんっ!!」




 ミレイの悲鳴を聞きながら、その場に横倒しになった。


 

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