なりきり魔女が三度目の死を迎える前に ~転生幼女の儘ならない異世界航記~

Koudy

序章

01. 最後の日

「――! ――ちー!」


 夕暮れ時の一室。一枚の紙にかじり付き、少女は一心不乱に絵を描いていた。

 思うままにペンを走らせ、想像を形にしていく。使い古した机の足は少しだけガタついていて、使い心地は決して良くない。それでも没頭している間は何も気にならなかった。


「――ちー! おーい! すみちー!」


 描いているのは人物画。とはいえ主役は人物ではない。女性が着ている服と腰に佩いた細剣。それがこの絵の中心だ。

 装飾過多な貴族の服といったデザインは明らかに普段着に向いておらず、第三者が見ればファンタジーの騎士服だと評しただろう。

 そしてそれは正しい。少女はまさにファンタジー然とした騎士服を描き出しているのだ。


「すみちー! すみちーってば! こらっ、カスミ!!」

「いたたっ!? 耳っ! 痛い!」


 その作業を妨害したのは先ほどから少女を呼んでいた、そして無視され続けていた声の主だ。如何に少女が深く自分の世界に集中していようが、耳を抓るという力業には敵わない。

 突然の痛みに顔を跳ね上げた少女は指を振り解くと、そこに立つ人影をキョトンと見上げた。同じ十六歳とは思えないほどに凛とした美人は友人の瑠衣菜るいなだ。


「あれ、るいちゃん。今日は部室寄らないって言ってなかったっけ。どしたの?」

「どしたの、じゃないよ。すみちー、居残り申請書出してないでしょ。ぱたやん怒ってたよ。完全下校までに出さなかったら二度と居残りさせないってさ」

「……あっ」


 瑠依菜は少女の知るあらゆる女性――テレビや雑誌なども含めて――の中でも三指に入る美人であり、その明るい性格も相まって男子は言うに及ばず同性からの人気も高い。陳腐な言葉を許せば、学校のアイドルと言って差し支えない存在である。

 そんなアイドルが今、半眼で少女を見下ろしていた。


「はい、これ。ついでにすみちーの分も記入しておいたから、名前だけ書き足しておいて」

「おお~、ありがと!」


 受け取った『下校時刻延長申請書』と銘打たれる紙にはクラスや名前などがずらっとリスト形式で記入されており、理由欄も『演劇部の学祭準備のため』か『クラスの学祭準備のため』で埋められている。

 友達の分をまとめて提出してくれるのだろう。

 気が利く友人に感心しつつ描きかけのデザイン画を脇に避け、リスト最下部の空けられた名前欄に筆を加えた。〝東條とうじょうかすみ〟と。


「はい、書いたよ。それにしてもこの時代に紙の申請書ってずいぶんアナログじゃない?」

「知らないよ。学校の申請書なんてそんなもんでしょ。この後またミスコンの準備で職員室行くから持ってってあげる」


 瑠依菜はそう言いながら返された申請書を一瞥すると、近くにあったパイプ椅子を引き寄せてどかっと腰を下ろした。足を組んで深く息を吐く姿はどことなく物憂げだ。


「るいちゃん、やっぱり今年もミスコン出るの?」

「エントリーとか無いから自動的にね。勝手に投票されて勝手に受賞って感じ」

「へぇ。そうなんだ」

「それで、集計前だけど私が一位になってた」

「なにそれ」

「結果はわかってるからいいんだってさ。その分早く準備に入れるから、ついでに自分の受賞を好きに演出してみろって任されてるのよ。できれば断りたかったんだけどね……」


 なるほど、それは気乗りしないだろう。いくらその美貌や人望を讃えるミスコンと言えど、最初から結果が決まっていて、しかも自分で自分を祝わなければならないとなれば誰だって遠慮したいはずである。

 それだけではない。結果は変わらなくとも出来レースだと口にする人だって出てくるに違いない。この大人気校内アイドルたる友人にも敵がいないわけではなく、そういった相手に限って口さがなかったりするのだ。

 だからといって安易に「辞退しちゃえば?」とは言えず、霞はまた別の疑問があるのを口実に話題を変えることにした。


「演劇部のほうは大丈夫なの? 主演でしょ」


 霞と同じ演劇部に所属している瑠依菜はその見た目もさることながら、高い演技力と物怖じしない性格が評価を得て、一年の時からしばしば良い役をもらっていた。

 お姫様だろうとピカロだろうと完璧にこなす瑠依菜が今年の学祭では主役の女騎士を演じることになっている。


「とーぜん。部長も太鼓判押してくれてるし。私、生まれながらの女優だから」

「普段からずっと演技してるもんね。ところで、るいちゃん」

「ん?」

「パンツ見えてる」


 実は足を組んでいるせいで、真正面の霞からはずっと水色の布地が見えていた。

 いつさり気なく指摘しようか迷っていたが、自分の見せ方を心得ていることを指して女優と言い切ったのを見て、気遣う必要がないのだとようやく理解した。


「べっつにすみちーに見られても、ねえ? 減るもんでもなし」

「るいちゃんてめちゃくちゃ美人なのに時々男らしいよね。そういうところ、好き」

「すみちーこそ、実は小動物系美少女のくせに趣味に没頭しすぎて台無しにしてるよね。そういうところ、残念」

「そこは好きって言うところでしょ~。片思いじゃないですか~」

「いやあ、だってさ、去年入学式で会った時はライバルになるかと思ったのに、蓋を開けたらコスプレするか衣装を作ってるかなんだもん。露出で男ウケ狙うわけでもなく。そりゃ残念でしょ」

「わたしのライフワークだから好きにやりたいだけですぅ」


 わざと大げさに下唇を突き出した霞に瑠依菜が吹き出し、それを見て今度は霞が声を出して笑う。いつもの心地よいじゃれ合いだ。


 霞に取って瑠依菜は気の置けない友人であるが、瑠依菜に取ってもそれは同様らしく、他の友人にはあまり見せない明け透けな振る舞いをすることがある。

 特に霞の容姿に言及するときは顕著で、やれ髪型がどうとか化粧がどうとか、特に仲良くなった直後は小言のように続いたものだ。

 誰もが羨む美貌の持ち主が霞に何を見出したのか、霞本人には今になってもわからない。


「すみちーはデザインも描けるけど操作制御マニュピライズを作るのもうまいからすごいわ。今描いてるのもこれから作る衣装?」

「これ? うん。るいちゃんの騎士服だよ」


 瑠依菜の興味深げな視線の先は机に出したままの一枚の紙。霞が周囲の音が聞こえないくらいに集中していた騎士服のデザイン画だ。

 自分の衣装だとわかるとより一層興味を深めたらしく、サッと手に取ると挑むような眼差しで見つめ始めた。

 せっかくだから本人に評価してもらおう。そう思いぼーっと待っていた霞が間もなく聞いたのは、少し呆れたような声だった。


「うわ、なんかすごい気合入ってる……ああ、そういえばすみちー、騎士フェチだっけ」

「フェチっていうか、憧れ? 男性でも女性でも、かっこいいじゃん」

「ごめんだけど、私にはわかんないわ」


 コスプレが趣味の霞をして、一番熱を入れるのは騎士関連のものだ。剣や鎧のデザインから始まり、立ち居振る舞いから果てはダンスの練習まで。騎士になりきるためならあらゆる事柄に拘ってきたものだ。

 そんな霞が、友人が騎士を演じるとあって気合を入れないはずもない。尤も、その情熱はいまいち本人に伝わっていないようだが。


「それにしてもこれ、すみちーにしては冒険したデザインだね。なんかヒラヒラしてるし。ワンショルダーのマントはまだいいとしても、スカートなんて膝上のロングテールだよ」


 美脚を自覚している瑠依菜に取っていとうほどのものではないようだが、比較的大人し目の衣装を作ることが多い霞のデザインにしては些か派手に見えるのだろう。

 しかし霞に取ってみれば、それこそが狙いである。


「学祭だから見栄え重視でファンタジーど真ん中を狙ってみたんだ。着るのがるいちゃんだからコケティッシュな感じも足してみたけど、動きが出るシーンだと見栄えもするし凛々しくなると思うよ。仮デザ作って試してみた」

「ふーん。そんなに考えてくれてたなんて嬉しいね。うん。気に入った。私も気合入るよ」


 ニッと片頬だけで笑った瑠依菜の顔は言葉に違わぬ力強さで、やっぱりたまに男らしいんだよなと霞は思う。

 「気に入った」と言ってくれただけでも満足だが、それ以上に良い影響を与えたのだとしたら本望である。衣装を完成させるより一足先に味わってしまった達成感に、思わず頬も緩むというものだ。


「でも、本当はすみちーが着たかったんじゃないの?」


 しかし、揶揄うようなこの発言には憤慨せざるを得ない。


「それはそうだよ! 立候補したのに、小柄で騎士っぽくないからって落とされてたの、るいちゃんも見てたでしょ!?」

「うん。その後で私に役が決まって気まずくなったこともよく覚えてる」

「わたしも大きく生まれたかった!」

「でも衣装作るのは自分だし、いつでも着られるじゃない」

「それはそれ、これはこれっ!」


 霞に取っては魂から絞り出した叫びだったのだが、対する瑠依菜の反応はジト目の一つ。それが〝めんどくさい〟と言外に表しているのは明白だ。

 そうされるだけで霞もハッと冷静になれるものだから、いい加減瑠依菜も霞の扱い方をよく理解しているのだろう。


「えっと、うん。主役がるいちゃんに決まって嬉しいのもホントだよ」

「あはははっ! わかってるわかってる。私もすみちーが役をもらえて嬉しいし。妖精女王だっけ? あれ、すみちーさん飛べましたっけ?」

「無理。羽根生えてないし」


 疑いもしていないとばかりにカラカラと笑った瑠依菜は、楽しげな気配のまま重ねるように霞を揶揄い始めた。


 ファンタジー要素の強い今回の劇には典型的な妖精が登場する。

 小さな体で飛び回っては登場人物たちに悪戯する妖精たち。光と音だけで表現される舞台装置の一種だが、台詞がある一人だけは霞が中身のある役として演じるのだ。多くの妖精を従える妖精女王として。

 そんな妖精役ではあるが、当然霞は飛べるわけもなく。


「だから、代わりに自由に飛びまわる妖精を作ったよ」

「……へ?」


 ちょっとした思いつき。単なる小道具を加えるだけの簡単なスパイスだが、友人の間の抜けた顔を引き出しただけでもすでに成功したと言ってもいい。

 しかしその成功の代償として、自らの運命が大きく捻じ曲がることになろうとは、この時の霞は想像だにしていなかった。

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