第164話 小宰相との語らい。

こんにちは。如月雪音です。


まだ寒さの続く2月の中頃、それでも何となく春の息吹が感じられる小春日和。

1年ぶりに小宰相(こざいしょう)お姉さまが我が家に来訪されました。

小宰相お姉さまは、母上様の最も古い友人、親友のひとりであり、

平家物語にも平通盛の妻として描かれている方で、

その昔、母上様と一緒に暮らしていた時期もあったとか…。

最近は車の運転もなされる様になったとかで、カッコ良い国産のスポーツカー、

スバルWRXという、真っ青なスバルブルーの車のハンドルを自ら操り、

八百比丘尼の村からやって来られたとの由、凄いですね。


「お久しぶりです。小宰相、こんな遠路をわざわざ訪ねて来てくれるなんて、

感謝、感激です!」


母上様は喜色満面の笑顔で小宰相お姉さまを出迎えました。無論、私と天音ちゃん、それにリーリャも揃ってお出迎えです。


「鈴音様、ご無沙汰しております。雪音も天音もリーリャも息災そうで何よりです。今日は比丘尼の村で収獲した新鮮なお野菜や、駐屯してる自衛隊の皆様が仕留めた熊や猪の新鮮なお肉を持参しました。まだ寒い季節ですし、後ほど皆でお鍋を囲みましょう。」


「そうじゃな。小宰相お姉さまの料理の腕は天下一品じゃし、新鮮で質の良い食材じゃから、美味な事は疑う余地もない、これは待ちきれんなぁ~」


まだお昼過ぎだというのに、

天音ちゃんの心はすっかり夕餉のお鍋の虜になっている様です。


「積もる話もありますし、とりあえず居間で寛いで下さいな。雪音、人数分のお茶とお菓子の準備をお願いします。小宰相の好きな銘柄のお酒もたんと準備してありますので、それは後ほど夕餉の時に頂きましょう」


母上様はそう言うと、小宰相お姉さまを我が家の居間へと案内されました。


小宰相お姉さまと合わせて5人で居間のテーブルに腰掛けます。

女5人が揃えば、それはもう、自然とおしゃべりに花が咲き始めます。

八百比丘尼の村の現況、よもやま話、恋バナ、etc…。

女の子にとってはおしゃべりそれ自体が楽しみであり、ストレスの発散です。

時間を忘れてわいわいがやがや…次から次へと話題が繋がっていきます。

八百比丘尼の村は最近おめでたで帰村する娘が増え、賑やかになっているとか。


「世の中が長く平和で安定していると、心が自然に穏やかになり、それがこうしたおめでたに繋がっているのかも知れないですね。安心して生活出来る事のありがたさは何物にも替えがたいと、私も心から思います。それに今は医療技術も進歩していますから、出産に関する不安も全くありませんし…」


小宰相お姉さまの言葉に天音ちゃんが言葉を挟みました。


「私は平和な日本しか知らぬが、八百比丘尼の村には、

そんな平和や安心とは無縁の時代があったのかの?」


それを聞いた小宰相お姉さまは、少し真顔になって言いました。


「いいですか?天音。私の経験上、平和で安定している日々がこれ程長く続いた事はありません。日本の歴史上、平和な時期と言われている江戸時代さえも、天候不順で飢饉や疫病が流行る事が多々あり、その度に多くの死人が出たのです。それに昔は出産で命を落とす女も多かった。体格の小さな八百比丘尼にとって、昔の出産は命がけだったのです。」


「江戸時代は戦争がなく、平和な時代であったと学校では習ったが、

そうでもないのじゃな」


「昔は農業技術が低く、生産性も悪く、稲の品種改良も進んでいなかったので、僅かな気候問題から良く飢饉が起きたのです。それにこの頃地球はマウンダー極小期…いわばプチ氷河期で全世界的に気温が低く、それが問題に拍車を掛けました。それ以前、もっと昔の私が生まれた平安時代末期は、騒乱の時代で治安も悪く野盗や山賊が横行し、八百比丘尼の女だけで旅をするなど自殺行為でした。この時代には警察というものがなく、貴族は自分で警護人を雇ってその身を守り、そういう事の出来ない一般庶民は、自分の身は自分で守るのが当たり前…。年長の比丘尼に武道を嗜んでいる者が多いのはこの為です」


この話を聞いた天音ちゃんとリーリャは、目を丸くしています。


「鈴音様の尽力で、八百比丘尼の一族は早くから天皇家と縁を結び、その庇護を受ける事が出来た為にこの厳しい時代にながらえる事が出来たのです。不老長寿の同族は、過去には世界各地に様々な容姿の者達が居た様なのですが、それらの同族は王族の庇護を長く受ける事が出来ず、異端に厳しい一神教の布教の拡大と共に迫害され、皆滅びました。リーリャはその貴重な生き残りです。魔女とか吸血鬼とか、妖怪扱いだったのです。日本の場合は比丘尼を愛する同一系統の皇族が途切れる事なく続き、時の権力者もそれを尊重した為、比丘尼は大きな迫害を受ける事がなく、それが幸いしました。」


「小宰相、そんなに私を持ち上げても何も出て来ませんよ」


母上様は優しい表情でころころ笑っています。ですが小宰相お姉さまの表情は

かなり真剣です。お姉さまは話を続けます。


「八百比丘尼はもとより数が少なく、女しかいませんから、村を作ったとて自分達で全てを賄う事は出来ませんでした。厳しい畑仕事や建物の建築などの肉体労働には元より向いていません。ですが長命故に人間関係が定期的にリセットされるので、帰る事の出来る、よるべき場所が何としても必要でした。この為年長の比丘尼の皆様は、有力者の庇護を得る為に、たとえ意に添わぬ相手であっても心を殺して嫁ぎ、比丘尼の村を存続させる為の努力をなされたのです。歴代の天皇家や皇族、有力貴族、大名等に、名もない多くの比丘尼の娘が側室になっていた事は、今では殆ど知られていません」


「まあ、中には亀菊の様に、天皇家を崩壊させかねないお痛をした娘もいましたけどね。私がやり過ぎるなと言わなかったら、今頃どうなっていた事やら」


母上様の話…後鳥羽上皇を垂らし込んだと言われる亀菊さんの事ですね…。


「本当の意味で世の中が落ちついたのは、先の戦争が終わって暫く立った昭和の中頃…。ラジオや洗濯機が登場し、やがてテレビ、冷蔵庫と新しい家電製品が次々と普及した事で、世の中が飛躍的に便利になりました。雪音も天音もリーリャも時雨の村で経験した事があると思いますが、昔は薪をくべて火を起こすので、煮炊きが大変で、洗濯も全部手もみ、水汲みとかもありますから、家事は今とは比較にならない重労働でした。それが今や全てスイッチひとつで実現出来ます。食材の多くもある程度仕込みが済んでいますしね。私に言わせれば、今の家事はママゴトの様なものです」


母上様は軽い口調で話されていますが、昔の苦労の程がしのばれます。


「21世紀になってスマートフォンなる物も登場し、通信技術が飛躍的に進歩しました。手のひらサイズの機器を使ってライブ映像をリアルタイムで転送し、それを違和感なく視聴できるなんて、ほんの100年前には考える事も出来なかった技術です。

今の時代は文明が加速度的に進歩する時期にあたるのでしょう。

そんな時代を自分が目にしているのかと思うと、なんだか不思議な気分です」


「技術の進歩自体は良い事だと思うのですが…」


小宰相お姉さまは、少し考え、考えしながら、母上の話に会話を繋げます。


「何でも簡単に手に入れられる様になったせいか、物も人も大事にしなくなった様に思います。昔は織物が大変貴重で、木綿の衣服などは問題があればその箇所を都度修繕し、大事に大事に長く着たものです。高価だったので新品で入手する事などまずなく、皆古着屋で、とても時間を掛けて念入りに選びました。同じように今は多くの人とSNSなどを通じて簡単に知り合えるので、ちょっとした事ですぐに関係を断ってしまうのが当たり前になっている様に思います。便利になり過ぎた故にあらゆる事に感謝を忘れ、日々不平不満ばかり貯め込んでいる…」


「そうですね。小宰相の言う通り、SNSを通じて他人と自分の比較ばかりし、それを気にし過ぎです。他人と自分の比較などいくらしたところで、何が変わる訳でもありません。あらゆる修行は自分の中で自分自身が行うもの。100年前に比べれば、今は皆当時の上流階級に近い生活を享受しているのです。それをなす為に尽力した先祖に感謝する事を忘れてはいけません。昔は今よりずっと厳しかったけれど、皆、日々小さな事に喜びを見つけ、感謝する心を忘れず、神仏に祈り、物を大事にし、人と人との繋がりを重んじました。今は豊かになり過ぎて、何かとても大切なものを忘れてしまっている気がします」


母上の話にみんな頷いています。


「八百比丘尼の村は、幾度か場所を移しつつも、既に出来てから1200年あまり経っています。これ程古くから残っている村は日本でも稀でしょう。ここには今の日本が失った良さがまだまだ残っています。それを受け継ぐ美しい比丘尼の娘達が増えれば、きっと日本をより良い国に変えてくれるでしょう。お目出たい限りですね。

今年と来年だけで20人もの新しい娘たちがこの世に生を受けるとの由、

雪音、天音、リーリャも比丘尼の先輩として恥ずかしくない様、

一層精進するのですよ」


「それは任せてほしいのじゃ。私が皆にしっかりと護身術を教えるのじゃ…。

ところで時が経つのを忘れて話し込んでいる間にいつの間にか夕刻故、

そろそろ夕餉の支度を始めては如何であろう?」


天音ちゃん、何だかよだれが垂れて来そうな口調です…。


「おや、もうそんな時間なのですね。

それでは夕餉の支度に取り掛かりましょうか?」

立ち上がろうとする小宰相お姉さまの言葉に、


「いえいえ、今日、小宰相お姉さまは我が家のお客様ですから、

私と母上で支度させて頂きます。お姉さまはそれまでごゆるりとして下さりませ」


私はそう言うと、早速キッチンに向かいます。


「そうですよ。小宰相は今日は大事なお客様。それと天音…、雪音の手伝いをして

少しはお料理を学びなさい。あなたも女の子なのですから…」


「わかったのじゃ…。そうじゃな、料理も自分で作った方がより一層旨くなるでな。リーリャも一緒にやるのじゃ!」


明るく笑う天音ちゃん、リーリャと一緒に、料理の支度が始まります。

穏やかな冬の夕暮れ時、暖かな空気の流れるこの幸せな空間が

いつまでも続きます様に…私は静かに祈るのでした。


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