第149話 教養授業34限目。鈴音先生、自然界のマインドコントロールを語る。

俺(大橋)の楽しい夏休みはあっという間に終わった。

今年の夏は1年の時に行った天体観望、それと2年の時に行った岩地温泉、

その両方に如月一家、おがちん、アレックス岡本、織田信長と行き、

本当に生まれて一番の青春を味わった。普通なら大学受験の勉強で

それどころではないはずだが、これが大学直系の付属高校の良いところだ。


9月に入って新学期が始まったのだが、その時改めて如月姉妹を見ると、

その美しい成長に、俺は改めて眼を見張った。見た目だけではなく、

何か輝やかんばかりのオーラがある気がする。

男児3日会わずば、刮目して見よという言葉があるが、

それは八百比丘尼にもあてはまる。

八百比丘尼という種族が成長しきる時に見せる、この独特の変化…。

それが見れるだけでももの凄い幸運なのだろう。


そんな中、9月最初の週の金曜日の3限目が終わった。

短い休憩時間の後、鈴音先生が教室に入って来る。

4限目、いよいよ後期の教養授業の始まりである。

起立!礼!。今日も鈴音先生の透き通った優しい声が響く。


「今日は自然界におけるマインドコントロール、

そしてそれの人間への影響に関して、お話してみたいと思います。

マインドコントロールというのは、暗示によって人を支配するという風な

意味合いがありますが、自然界には暗示などではなく、

物理的なマインドコントロールが存在します。


では最初に、その簡単な例をご紹介しましょう。

タイの熱帯雨林には、コンポヌタス・レオナルディという名前の

蟻が生息しています。この蟻は、【ゾンビ蟻】という、

不名誉な別名でも知られているのですが、その理由は、

この蟻が、【オフィコルディケプス】族の真菌にマインドコントロールされる事から来ています。この蟻は、通常は樹木の上で生活しているのですが、

周りの環境が不利な変化をしたり、天敵が多くなって来たりすると、

住んでいる木を降りて違う木に移動します。

この時、一時的に地面を歩くのですが、この僅かな時間に

【オフィコルディケプス】族の真菌の胞子が、この蟻の体にくっつきます。


蟻の体にくっついた真菌の胞子は酵素を出して蟻の体表に穴を開け、

蟻の体内に侵入して、血液中で増殖を始めます。

1週間程して真菌が一定数に達すると、

この蟻は自分の意思で体の制御が出来なくなる…真菌に体を乗っ取られるのですね。

真菌に体を乗っ取られた蟻は、木から地面に降り、高さ25cm前後で、

北の方角に葉を付け、尚且つ周辺の湿度が94%前後、

周囲の気温が20℃から30℃という条件に叶った、小さな木を探して歩きます。


そうして目的の木を発見すると、その木によじ登り、

北を向いている葉にかじりついて、そのまま固着してしまいます。

そうして暫くすると、蟻の頭から真菌の茎の様な物が伸びてきて、

それから再び真菌の胞子が飛び散っていき、蟻は絶命します。

要するに、【オフィコルディケプス】族の真菌は、

この蟻をマインドコントロールして、自分が最も繁殖出来る環境まで移動させ、

蟻の体を苗床にして、更なる種族繁栄を図っているのですね。

この蟻が、何故この様にゾンビ化されて真菌に支配されるのか、

そのカラクリは現在でも良く分かっていませんが、

この蟻と同じ様にマインドコントロールされてしまう生物は、

カタツムリや蟹など、他の生物にも見られます。

マインドコントロールされたカタツムリや蟹は、天敵に対して自ら姿を

晒すようになります。これによって天敵に捕食される確率が高まり、

彼らの宿主は天敵の体内にまんまと侵入するという訳です。


さて皆さんは、【トキソプラズマ】という寄生虫をご存じでしょうか?

全人類の約30%前後に感染していると言われ、

最も成功した寄生虫とも呼ばれる生物です。

このトキソプラズマは、人類を含めた殆ど全ての恒温動物に感染する事が

出来る為、そう呼ばれるのですが、最近このトキソプラズマが、

私達、人の行動にも影響を与えているらしい事がわかって来ました。


このトキソプラズマ、前述した通り、殆どの恒温動物に感染可能なのですが、

実は彼らが有性生殖出来るのは、ネコ科動物の腸内だけです。

他の全ての恒温動物は、中間宿主に過ぎないのですね。


マウスを使った実験だと、トキソプラズマに感染していないマウスは、

猫の尿の臭いを嗅ぐと著しくストレスが高まり、

それには近づかないのですが、感染したネズミは、

猫の尿に興味を示して近づきます。また、感染していないマウスは、

危険を避ける為、普通仲間の死体には近づかないのですが、

感染したネズミはそれに興味を示す様になる。観察の結果、

トキソプラズマに感染したネズミは総じてリスクを恐れなくなり、

好奇心旺盛になる事がわかりました。食物連鎖の下位に属する彼らにとって、

これは生存上の重大なリスクになりますが、トキソプラズマにとっては、

最終宿主の猫の体内に入る確率が高まるメリットがある訳です。

トキソプラズマに感染したマウスを解剖すると、大脳の一部に炎症が認められた他、

ドーパミンの増加、恐怖心を低下させる神経伝達物質の増加が認められました。

狼の場合も同様に調査が行われており、トキソプラズマに感染した狼は、

そうでない狼に比べて、群れのリーダーになる確率が46倍も高まるそうです。

狩りを主体とする彼らには、リスクを恐れない行動が優位に働くのでしょう。


では人間の場合はどうなのか?これに対しても調査がなされています。

2002年に特定の地域で交通事故を起こした146人を調査した所、

同じ地域に住む他の人達に対し、

トキソプラズマの感染率が有意に高い事がわかりました。

また2003年に、857人を無作為に選んだ調査では、

トキソプラズマに感染している人は、そうでない人に比べて、

衝動性、浪費性向が高く、服従性が低いという結果が出ています。

これらの調査から言える事は、トキソプラズマに感染した人は、

総じてリスクを恐れず、衝動的で、浪費癖があり、

ルールに縛られる事を嫌う傾向にある…という事なのですね。


これが現在のトキソプラズマにとってメリットがあるかどうかは疑問ですが、

考えてみれば、数万年以上昔の遠い過去の人類は、

今の様な食物連鎖の頂点にいた訳ではなく、

大型のネコ科動物に捕食される存在でもあった訳ですから、

それを考えると、大昔はトキソプラズマにとって十分メリットがあったのです。

更に面白い事に、人に猫の尿を希釈した液体を、それとは言わずに、

そうでないものと一緒にそれぞれ嗅がせると、トキソプラズマに感染している人は、

猫の尿の希釈液の臭いを好むという結果が出ています。

これは無意識に人を猫好きにさせる効果がある…そうして多くの人が猫を飼う…

これすなわち猫の個体数の増加に繋がるので、

トキソプラズマにとってはメリットがあると言えるでしょう。


トキソプラズマの感染率は国によって大きな差異があり、

世界平均だと30%前後ですが、フランスでは約85%の人が感染、

日本人は30%以下です。

フランス人に総じて奔放な人が多く、日本人に慎重な人が多いのは、

もしかしたらトキソプラズマの影響かも知れません。

現在トキソプラズマは、妊婦に感染した場合、胎児の体に

悪影響をもたらす事がわかっているので、妊婦に対する検査や治療は行われて

いますが、そうでない場合は、害がないものとして放置されている様です。

しかし、本当にそうなのでしょうか?


今はトキソプラズマの治療は、薬によって容易に可能ですから、

皆さんも一度検査を受けてみる事をお勧めします。

治療によって変な衝動性や浪費癖が収まり、集中力が高まるのであれば、

それは素晴らしい事ですし、現在の医学では、そもそもトキソプラズマの感染が、

妊婦以外に本当に害がないと言えるのか、きちんとわからないのです。


今まで述べた通り、自然界に存在するマインドコントロールの力は

決して侮れません。もしかしたら、人類史の一部は、

トキソプラズマによって作られたものかも知れません。

だって、戦争とかやって人が大勢死ねば、環境は不衛生になって

ネズミが繁殖します。それはトキソプラズマにとって、メリットでしかありません」


ここで授業の終了を知らせるチャイムが鳴った。


「それでは今日はここまでと致しましょう。起立!礼!」

挨拶が済むと、春風の様に鈴音先生が教室を出ていく。


自然界に存在するマインドコントロール。俺たちは意識するしないに関わらず、

そうしたものに支配されているのかも知れない。

野良猫とかに触って引っかかれると、トキソプラズマ感染するらしいから、

俺も一度検査して貰おうと思った。ADHDと呼ばれる症状も、もしかしたら

トキソプラズマが影響しているのかも知れない…。

俺はそんな風にも思うのだった。

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