第144話 国際堕落研究会の部室にて…。

2024年7月某日、学年テストやら期末テストやらという、

吹き荒れた嵐もようやく収まった頃、国際堕落研究会の部室では、

殺伐とした雰囲気の中、部長の坂口安吾が立ち上がって熱弁を奮っていた。


「諸君、学年テスト、期末テスト、誠にご苦労、

諸君らの表情や雰囲気からして、結果は察するに余りある。

気持ちはわかるが、過ぎた事にくよくよしても始まらん。

学校の教師など、所詮は取るに足らぬ存在。

学校の先生を内心バカにしない様な生徒に碌な生徒はない、

教師を内心バカにしない様な生徒は決して偉くならない。

国際堕落研究会部長として、吾輩はこう断言する。


よろしい、だいたいいつの時代でも、教師は大抵ズレていて、

その時代的センスたるや、常に噴飯物であった。

一方ではバカに新しがりの教師がいて、

こういう教師はいっそう鼻持ちならない。


学校の教師などという物は、乗り越えなくてはならない存在である。

学校の教師は何でも知っている訳ではない。

それに一番困った事には、青年期の悩みを彼ら自身もう卒業していて、

半分忘れてしまっていて、その内側をもう一度生きる事は不可能になっている。

青年期そのものについては、諸君の方が先生より良く知っているのだ。

人生は忘却のおかげで生き易くなっているので、

仮にもし、諸君の悩みを一緒に悩んでいる先生がいるとしたら、

先生自身、大人と青年の矛盾にこんぐらがって、自殺してしまうに違いない」


これを聞きながら、樋口一葉は思った。

【たかだか試験で良い点が取れなかったくらいで、

それをネタに、こんなに長々と熱弁奮って言い訳するなんて、

ここまで来ると一種の才能だわ】


彼女の思考をよそに、そうだ!そうだ!と部室では歓声があがる。


それを聞いた安吾は、コホン!と咳払いをひとつすると、再び熱く語り始めた。


「吾輩自身の経験に照らしても、本当に、如何に生くべきか、という自分の問題は、

自分で考え、本を読んで考えた結果であって、先生からは何も教わっていない。

理解されようと望むのは弱さです。先生達は教育しようとします。

訓示を与えます。知識を与えます。それはそれで良い。

それが彼らの職業であるから。

しかし諸君の方は、理解されようと願ったり、どうせ理解されないと拗ねたり、

反抗したりするのは、いわば弱さのさせる甘えに過ぎぬ。

【先生なんて、フフン、勉強はしてやるが、理解なんかされてやらないぞ!】

という気概を持てば良い。吾輩が言いたいのはそこです。


殆どの教師は、大人の世界の惨めさ、哀れさ、生活の苦しさ、辛さ…

そういうものをどこか漂わせています。漂わせていない教師がいれば、

それは余程の金持ちのボンボンだと思ってよろしい。

先生達の上着の袖口は、大抵擦り切れて、チョークの粉に染まっています。

【ヘン、貧乏くせえ】と内心バカにすればよろしい。

人生と生活を軽蔑しきる事が出来るのは、生徒である青年の特権です」


おお~!と再び歓声が部室にこだました。


「先生に哀れみを持つがよろしい。薄給の教師に、哀れみを持つがよろしい。

この世の中で、先生ほど偉い、何でも知っている、完全無欠な人間はいない!

と思い込んでいる青年は、ちょっと心細い。しかし一方、内心ではなく、

やたら行動にあらわして、先生を馬鹿にするおっちょこちょいも、

やっぱり弱い甘えん坊です。

すべからく我ら国際堕落研究会の諸君は、

軽妙且つ狡猾に先生を利用し、バカにすべきだ!」


安吾が熱弁を語り終え、暫し余韻に浸っていると、

聞き覚えのある優しい声がした。

「はい!安吾君に質問があります!」


「うむ、質問を許そう…て、げ!鈴音先生!…い、いつの間に?」

質問者の顔を見た安吾は、声を上げて顔をひきつらせた。


「何、たまたま国際堕落研究会の部室の前を通り掛かったら、

安吾君の熱弁が聞こえてきたので、ちょっと聴講してみようかと思ったまでです。

では、お言葉に甘えて。私が薄給かどうかは、ここでは公開出来ませんが、

少なくとも上着の袖口には常に注意を払い、擦り切れている様な上着は

着用していないはずです。チョークの粉が多少降りかかるのは、

職務環境上やむをえませんが、アフターケアには万全を期しています。

大人の世界の惨めさ、哀れさ、生活の苦しさ、辛さ…

もし、それが私の行動にあらわれているとするなら、

私だって人生に悩みがない訳ではありませんから、肯定も否定もしません。

ですが、自立もしていない生活力薄弱なる生徒に、

バカされるのは少々癪に障りますね」


「ウムム…」

鈴音先生の澄ました可愛い声に、安吾の顔は赤くなったり、青くなったりしている。


「では質問ですが、大人の世界に惨めさ、哀れさ、苦しさ、辛さ…があるのは

当然の事として、青年の世界はそれとは無縁と言えるのでしょうか?」


「グムム…」

安吾は目を白黒させながら口ごもっている。


「碌に経験も知識もないくせに、いっぱしの評論家気取りで人生を語り、

どうでも良い様な事にクヨクヨ悩み、重箱の隅をつつく様な感傷に浸る。

どんなに強者でも、人間である以上、必ず弱点があり、

そこを突けば大抵脆く崩れるものです。

ところが、中にはその人間の中の弱さそのものを売りにする輩もいる。

この代表的なのが太宰治という作家です。

彼は弱さを最大の財産にして、弱い青年子女の同情共感を惹き、

むしろすっかり弱さを出して、果ては【強い方が悪い】というような、

間違った劣等感まで人に与えて、その為に太宰治の弟子の田中英光などという、

元オリンピック選手の人の良い巨漢は、自分が肉体的に強いのは、

文学的才能がない為だと勘違いして、太宰治さんの後を追い、

自殺してしまいました。そもそも論として、

自分の弱さなど公にして肯定する様なものではなく、自分自身で向き合うものです。


教師をバカにするのは大いに結構ですが、

自分達青年子女も、人間の弱さ、その醜さにおいては大して変わらず、

むしろ下手に経験がない分、それをこじらせ易く、面倒くさいという面も、

よくよく知っておく事です。

人生上の問題は、大人も青年も全く同一単位、同一の力で、

自分で解決しなければならぬと覚悟なさい」


そういうと鈴音先生はにっこり笑った。


「ところで坂口安吾君に太宰治君。以上2名は先日の期末テストで、

選択科目の世界史Ⅱが基準点に届いていませんでした。

夏休みは私の担当する補講授業を受けて頂きますので、お覚悟なさい…」


教室を去る鈴音先生。

なんとも言えない独特な淫靡な雰囲気の残る堕落研究室の部室の中、

その後ろ姿を見送る安吾と太宰の顔は少し赤らんでいたのだった…。

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