第137話 教養授業31限目。鈴音先生、般若心経を語る…その②

「私達は五感、すなわち視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚で

この世界を感じています。

故に私達が実感として知りえる世界は、

この五感で感知できる世界までという事です。

私達が風を感じる時、それは目に見えない世界の存在を感じている。

風というのは、眼には見えない空気に含まれる窒素や酸素、

二酸化炭素が混ざった気体が、地球の自転によって動く…

私達はそれを皮膚にある触覚で感じている訳ですが、

眼には見えない気体が体に触れている…。

つまり、眼に見える世界だけが全てではない事を感じている。


音も味も匂いも眼には見えませんが、確かに存在している。

今の時代は様々なセンサーの存在で、眼に見えない光の波長、

赤外線や紫外線の存在もわかりますし、電磁波、電波や放射能も感知出来ます。

ですが、この世界には私達がまだ知る事のない何かが、

実は無数に存在しているのではないでしょうか?


私達はそれら無限の世界のごく一部を知っているに過ぎない。

その様な私達が、知り得た極狭い世界の一部の事象に拘り、

泣いたり嘆いたりする事に意味はあるのだろうか?

あなたの魂は素粒子であり、それこそが不変である。

あなたは常にあなたであり、また偉大で無限な世界の一部でもある。

実際の世界はあなたが想うより遥かに広くて美しい。

あなたは素粒子の旅のほんの道草で、たまたま物質世界に現れただけだ。

永遠ともいえる、無限の素粒子の旅の中のほんのひと時。

それが今のあなたの人生なのである…。


以上、般若心経の前半を分かり易く説明するとこの様な内容になります。

続けて般若心経は後半部分でこう続きます。

故知般若波羅蜜多(こーちーはんにゃはらみた)

是大神呪(ぜーだいじんしゅ)、

ゆえにこれらの真理を悟る修行と、偉大な真言(を唱える事)によって

能除一切苦(のうじょいっさいく)、一切の苦しみを取り除くと…。

そうして、最後は真理に辿り着こうとする者による、

マントラ(真言)の歓喜の唱和によって終わりになります。

最後のこの部分ですね。

羯諦 羯諦 波羅羯諦(ぎゃーてーぎゃーてー はらーぎゃてー)

波羅僧羯諦 菩提薩婆訶(はらーそーぎゃーてー ぼーじーそわか)

現代語訳では、往きて 往きて、彼岸の極みに往きて、

悟りを得る者に幸いあれ!と訳される事が多いですが、

ここはマントラの真言ですから、この言葉の響きそのものに、

言霊の霊力があると言われています。

ここの部分のサンスクリット語でのオリジナルの発音は、

【ガーテー ガーテー パラガテー パラサンガーテ ボーディ スヴァーハー】

になりますので、ここのマントラはこの発音の方が良いかもですね。

般若心経の本当の肝の部分は、この真言にあり、

故にここだけ唱えれば良いと考える仏教学者もいるくらいです。


般若心経の元になった、古代インドにおけるオリジナルの原型は、

日本で言う、【踊念仏】に近いものだった様で、日本のお寺の様に静かな雰囲気で

念仏を唱えるのではなく、大勢で踊りながら唱和するものでした。

最後のマントラは、解脱に向かう魂の喜びの声なのですね。

では、ここからはいつもの様に質問を受け付けたいと思います。

手を挙げ、出席番号と名前を言ってから質問して下さい。

授業の内容に関係のない質問はしないこと。それではお願いします」


「出席番号7番、鴨長明(かものながあきら)です。

この世は諸行無常、地震、火事、大風、水害、疫病、不慮の事故、飢饉、

どこに行っても苦しみに溢れておるというのに、般若心経はマントラを

唱えるだけでこれから解脱出来ると教えるのですか?…とても信じられません」


「今日の授業で述べた般若心経の肝である、

空即是色(くうそくぜーしき)…これを真理として悟るのは、

簡単な事ではありません。これには厳しい修行と様々な経験が必要です。

江戸時代の曹洞宗の僧侶である良寛上人は、

地震で子供を失った友人への見舞いの手紙の中でこう述べています。


災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。

死ぬ時節には死ぬがよく候。

これ災難をのがるる妙法にて候。


どんなに不運が続き、大災害に逢おうとも、

それは紛れもない命の現実の姿でしかなく、

そのことを「災難」としてしか捉えることができないならば、

どこまでもその不運を嘆いて生きてゆくしかありません。

人として生まれたからには生老病死災からは逃れることはできず、

あるがままを受け入れ、その時自分ができることを一生懸命やるしかない。


人は生きている間に様々な困難に遭いますが、それを乗り越える過程で

空即是色(くうそくぜーしき)…これを真理として悟るのでしょう。

以前お話したニーチェの永遠回帰に近い考え方だと思います。

偉大な思想というものは、突き詰めていくと同じ真理を違う形で

語っているだけなのでしょうね」


ここで授業の終了を知らせるチャイムがなりました。

「起立!礼!」

挨拶が終わると、母上様は春風の様に教室を出て行かれます。


般若心経という短いお経が、ここまで哲学的な内容だったとは…。

本当にビックリです。ちなみに私は参加しているバンド【白狐姫】で、

般若心経に曲を付けて唄ってみました。母上の差し金ですが…。

とっても分かり易く、楽しい般若心経になっていますので、

是非聴いてみて下さりませ。母上のパリピ風味なキーボードと、

天音ちゃんのドラムも中々の出来ですよ!

https://www.youtube.com/watch?v=viAictQ380c

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