第129話 雪音と天音の誕生日…その②

加藤大尉の負傷が癒えるには、それから1カ月程必要でした。

その間に加藤大尉と一緒に徳山からやって来た彼の部下達は、

次々と他の部隊に移って、特攻出撃してゆきました。

みんな20歳かそこら、中には予科練を出たばかりの

18歳の少年もいました。皆、澄んだ神の様な眼をして、

私に向かって、【鈴音さん、後の事は宜しく頼みます】と敬礼し、

出撃していくのです。私に飛行機の操縦が出来るのであれば、

替わってあげたいとどれ程思ったか…。


彼らの出撃を加藤大尉は血涙を流しながら見送っていました。

『貴様らだけを死なせはせん!俺もすぐに征くぞ!』

彼の心の叫びが私の心には幾度も響いたのです。


4月末、傷の癒えた加藤大尉の出撃を控え、広島の尾道から、

加藤大尉の奥さんと、この時まだ僅か2歳の息子さん…徹也さんのお父さんに

あたる史郎さんが知覧にやって来ました。

加藤大尉は奥さんと息子さんを私に紹介して下さいました。


その時私は、とっておきのウイスキーと日本酒、

それと当時は手に入れるのが難しかった牛肉の缶詰、

卵を、入手出来ただけ加藤大尉に差し上げました。

彼の最後の家族団らんに、少しでも花を添えたかったのです。

2泊して彼の家族が帰る時の姿を思い出すと、今でも涙が溢れて来ます。

今生の別れを前に、加藤大尉は何度も息子さんを抱き上げ、

奥様を抱擁しておられました。


5月7日、いよいよ出撃当日の朝、出撃する7機のゼロ戦の隊長として、

額に【必中】と書かれた日の丸の鉢巻きを締めた加藤大尉は、

私にこう言われました。

「鈴音さん、いよいよ出撃です。今まで本当にお世話になりました。

後の事は宜しく頼みます!」

そう言いながら私に敬礼する加藤大尉…私は彼の顔をまっすぐ見つめた

つもりでしたが、眼に涙が溢れて、彼の顔の輪郭すらわかりません。


「鈴音さん、あなたは普通の人間より長く生きる事が出来る。

我ら特攻隊員の姿、想いをいついつまでも語り継いで下さい。

もし将来、私の子供達が生きる事に挫ける様な事があれば、

その頬を張り回して、私からの伝言を伝えてやって下さい。

【お前の命は、お前だけのものではない。思い上がるな。

お前の命を生み出し、育み守る為に、どれほどの尊い犠牲があったのか、

それを忘れる様な愚か者は加藤家にはおらぬ】と」


出発直前、出撃する隊員を前に、破顔した彼は言いました。

『今より我ら神風特別攻撃隊、第7御盾隊は出撃、誓って必中、敵艦を撃沈、

皇国軍人精神の神髄を発露するとともに、その栄光を後世に伝えんとす。

皆、世話になった。お前達の様な者達と共に往く事を誇りに思う。

靖国で会おう!」


そう言うと全員で水杯を交わし、一気に煽って盃を叩き割ると各自愛機に搭乗、

既に暖気運転を完了していたゼロ戦はすぐにエンジンをフル回転させ、

轟音を立て、砂ぼこりを巻き上げながら1機、また1機と飛び立ってゆきます。

最後に出発する加藤大尉は、風防を開けてしばし私に敬礼すると、

そのまま何の迷いもないかの様に、飛び立ってゆかれました。

夏の様な暑い日、どこまでも深く蒼く澄み渡った大空の彼方に、

彼らの姿が消えてから、間もなく79年の歳月が過ぎようとしています。

それでも私の瞼には、今も出撃する彼らの、英気凛凛とした姿が、

ありありと蘇ってきます…」


いつの間にか鈴音先生の両眼には涙が溢ている。

雪音、天音、そしてその日集まった皆は、暫し、絶句する他なかった。

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