第107話 クレオパトラ、イスラム教について語る。

水曜日の3限目の授業が終わった。

短い休憩時間の後、4限目開始のチャイムが鳴ってまもなく、

教室に鈴音先生とクレオパトラさんが入って来た。

「起立!」「礼!」

挨拶が済むと、鈴音先生は教壇横にある教師用の椅子に

座る。今日はクレオパトラさんが授業し、鈴音先生は聴講する様だ。

教壇に立ったクレオパトラは、いつものなまめかしい、

艶やかな声で話し始めた。


「今日はおぬしらに、イスラム教の本質を教えてやろう。

日本では神道と仏教、キリスト教は良く知られておるが、

イスラム教の本質を知る者は少ない。

将来世界に羽ばたくであろうおぬし達が、

世界三大宗教のひとつであるイスラム教に関し、

その本質を理解しておく事はプラスになるじゃろうとわらわは思う。


まず、事前に配っておいた世界の気候分布図と、

イスラム教の分布図を広げてみよ。

世界の気候分布で最も広いのは、砂漠気候で、これは全体の約26.3%を占める。

砂漠気候は主にアフリカから西アジアにかけて分布しておるが、

この砂漠気候の分布図に、イスラム教の信仰者の分布図を重ねてみよ」


【おお~!】

教室で騒めきが起きた。砂漠気候の分布とイスラム教の分布が

ほぼぴったり重なったからだ。


「これでわかるのは、イスラム教とは、砂漠気候の宗教だという事じゃ。

砂漠気候に近い乾燥帯であるステップ気候も含めると、

イスラム教分布図との一致はより高くなる。


さて、イスラム教の経典であるコーランには、シャリーアと呼ばれる掟がある。

浄め,礼拝,断食,巡礼などの儀礼的規範と,婚姻,相続,犯罪,裁判等に

及ぶ広範囲なものじゃが、ここで禁止されている代表的なものを見てみる。


そのひとつは酒じゃ。ではイスラム教では何故酒が禁じられておるのか?

鈴音、おぬしならわかるか?


クレオパトラさんから質問された鈴音先生は、少し考えてから答えた。

「砂漠気候との関連から考えると、お酒を飲む事で、

多量に水を消費するからでしょうか?」


「うむ。半分正解じゃ。人は酒を飲むと水が欲しくなる。

体内でのアルコールの分解に、水は必須じゃ。

鈴音の言う通り、厳しい砂漠気候で水を浪費しては具合が悪い。

だが、実はもうひとつ理由がある。

酒を飲むと男の性欲は高まり、女はガードが緩くなる。

結果、これが蔓延ると、子供が沢山生まれる事になる。

しかし、厳しい砂漠気候で子沢山では生き残るのが難しい。


これと関連するのが、イスラム教の女性が身にまとう、独特の服装じゃ。

ブルカ、ニカーブ、ヒジャブ、チャドル等、露出度の違いで何種類かあるが、

これらは体の線を隠し、肌を晒さないという共通点がある。

女が体の線や肌を露出しておったら、男の性欲が高まる。

結果、子供が増える。これを防ぐのが一番の目的じゃ。


さて、次は豚肉の禁止じゃ。

これは何故か?鈴音、おぬしはどう考える?」


鈴音先生は、また少し考えてから答えた。

「豚は他の動物に比べて寄生虫が多い、あと、乳をあまり出さないからでは?」


「うむ、さすがに鈴音は鋭いの。しかし、これも半分正解じゃ。

鈴音が言った事も正しいが、実はもっと重要な理由がある。

駱駝やヤギ、牛といった家畜は、反芻動物と言われ、

そこらに生えておる牧草だけで十分に育ち、大量の乳を出す。

とこが豚は雑食性じゃから、牧草では育たん。好むのは雑穀類、

小麦や大豆、トウモロコシじゃ。これでは人間の食料とバッティングする。

その上、鈴音の言う通り、乳の量が少なく、搾るのも厄介じゃ。

駱駝やヤギ、牛なら、人間の食料を与える必要はないから、この差は大きいのう。

さらに豚は足が短い為、長距離の移動に適さない。遊牧に向いた動物ではない。

であるが故に、イスラム教では豚を禁じたのじゃ。

これも環境の厳しい砂漠気候で生き残る為の知恵じゃな。


それと、皆は知らぬであろうが、イスラム教は行為の宗教と言われる。

信仰心が大事なのは、どの宗教でも同じじゃが、

イスラム教では、戒律に定められた内容を守る事を何よりも重視する。

極論を言うなら、信仰心がさほどでなくても、

戒律さえきちんと守れば、天国へ行けるという考え方じゃ。

一方、キリスト教は信仰の宗教と言われ、イエスへの信仰心の厚さが

戒律よりもより重視される。イスラム教との大きな違いじゃな。


これも戒律を守らず、ウエ~する輩が増えると、

厳しい砂漠気候では生き残ってゆけぬからじゃ。

故に戒律を破った場合はかなりの厳罰主義になっておる。

おぬしらもイスラムの国を旅行する場合は、気を付けるが良いぞ。

サウジアラビアなど、今でも飲酒がばれると鞭打ちの刑じゃからな。


今までの説明で、イスラム教が、砂漠気候やステップ気候等の、

非常に厳しい環境で生き残る為の、実に合理的な戒律を

持っておる事が分かったであろう。

こういう砂漠気候の厳しい場所で、キリスト教が広まらなかった理由も

これでわかる。キリスト教では飲酒はOKじゃ。

ワインはイエスの血であると言うしな。

服装や食事に関しても、イスラム教の様な厳しい掟はない。

結果、厳しい砂漠気候で、どちらの宗教を信仰した者が生き残ったか、

それが現れておると言う事じゃ。


ヨーロッパでもイベリア半島は、南部が砂漠気候に近い乾燥地帯じゃ。

ここが長くイスラム圏であった事は、おぬし達も世界史で習ったであろう。

その理由もここにある。あのあたりはキリスト教よりもイスラム教に

適した気候じゃったのじゃな。ここがキリスト教圏になるのは、

10世紀から12世紀に中世農業革命が起き、それによって食料の増産が

可能になってからよ。


ではこれより、授業に関しての質疑を受け付けるとしよう。

姓名を名乗るのじゃぞ」


「出席番号10番、太宰治かしらん。

イスラム教は一夫多妻制を認めているのかしらん。

その理由を知りたいかしらん」


それを聞いたクレオパトラさんは、少し意地悪そうにほほ笑んで答えた。


「また良からぬエロ心の現れかも知らんが、まあ、教えてやろう。

これにもきちんとした理由がある。


おぬし、イスラム教やキリスト教が一神教である事は知っておるな?

こういう唯一絶対神を信仰する宗教というのは、

他の神を認めぬ故、異教徒や異端と戦争を繰り返す傾向が強い。

異教徒や異端を改宗させるというのが、神の御心に適うものとして、

外部に対する侵略を正当化するからじゃ。

戦争に行くのは男じゃ。故に戦争を多くやれば大勢の男が死ぬ。

結果、未亡人が量産される事になる。

この未亡人を救済する為に生まれたのが一夫多妻制じゃ。

男どもの性的要求を満たす為に出来た制度ではない。


尚、これは言っておくが、コーランを素直に読む限り、

イスラム教は戦争など推奨しておらん。

寧ろ、弱者救済を最高の徳とし、全ての財産を捧げよとさえ言っておる。

厳しい砂漠気候ではお互いが助け合わねば生き残れない故な。

しかし、神の教えを曲解する愚か者はいつの時代にもおる。

それはキリスト教とて同じ。

故に、宗教を口実にして悪事を働く者を、

イスラム教は本質的に肯定しないはずじゃ。

イスラム教…その本質は、弱者救済を主眼とし、

厳しい環境でも共に生き残ろうというものじゃ。

キリスト教に比べれば、他の宗教にも寛容じゃしな。

流石に21世紀になった今、時代に合わない部分も出て来ておるが、

それをどう考えていくかが、これからのイスラム教の課題であろう」


ここで授業の終了を告げるチャイムがなった。

日本人の眼から見ると奇異に見えるイスラム教の戒律にも、

実はちゃんとした合理性があったとは…。

クレオパトラさんの見識、授業の奥の深さ…

本質とは何か?を見極める事の大事さを、俺(大橋)は、

更に思い知るのだった…。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る