第5話 鈴音先生…再び。

2022年も4月を迎え、早苗実業学校高等部にも、新入生が入って来た。

4月8日に入学式が行われ、大熊野宗茂は体育館に集められた生徒の前に立ち、

祝辞を述べた。1年の内で、これほど心が溌剌と若返る時もない。

新しく学校に入って来る生徒達から、眼に見えないパワーを

貰うとでも言おうか…。あと何年、これを続ける事が出来るだろう。


入学式が終わり、永世総長室の席に戻ると、窓の外に美しく咲く桜を見ながら

彼は思った。「まあ、私は105年も生きてこられたのだからな。

かなりの贅沢をさせて貰ったと言う事だろう。後は神の意のままに…

そんな所か」少しの間、彼が感傷に浸っていると、

突然、永世総長室の電話が鳴った。

宗茂がそれに出ると、学校の受付からの連絡であった。

「大熊野永世総長に御面談したいという方が来られております」

宗茂はそれを聞いて答えた。

「ふうむ、今日はこれ以降部外者とのアポイントはなかったはずだが、

どの様な御人か?」

「高校生くらいの身なりの良い女性が3人です。鈴音が参りましたと

伝えて頂ければ、おわかりになるはずと申されております」

それを聞いた宗茂は内心の驚愕を抑えつつ、会話を続けた。

「なに、鈴音、と伝えればおわかりになるはずと言われたか?」

「はい。受付票には如月鈴音様と記載されております」

「わかった。くれぐれも丁重にお通ししてくれ」

宗茂はそう言うと電話を切った。


それからしばらく経つと永世総長室のドアがノックされた。

「永世総長、お客様をお連れしました」

案内担当の女性がドアの外から声を掛けて来た。

「お入りください」

宗茂がそう答えると、ドアが開き、3人の女性が入って来る。

最初に入ってきた女性。

それは紛れもなく、60数年前、宗茂と共にあった女性であった。

そう、あの時とまったく同じ、あどけない高校生の少女の様な姿が

そこにあったのだ。宗茂は驚愕した表情のまま無言で彼女を見つめる。

案内の女性が去るのを確認すると、その女性はゆっくりと口を開いた。


「大熊野永世総長様。大変ご無沙汰しております。

長きに渡って音信不通であった事、

まずは心よりお詫び申し上げます」

女性は申し訳なさそうに頭を下げる。

ここで宗茂はようやく口を開いた。

「鈴音先生、あなたは本当に鈴音先生なのですか?」

女性は顔を上げると少し悲しそうに答えた。

「大熊野先生は私の顔をお忘れになられましたか?」

「いや、そんな事はありません。私はこの60年あまり、

あなたの事を忘れた事などない!」

宗茂は少し声を荒げた。

「しかし…見て今ようやく理解しました。

あの時おっしゃっていた事は、本当だったのですね」

宗茂の言葉を聞いた鈴音は、暫く間を置いて答えた。

「見ての通りです。私は歳というものを取らない存在なのです」


鈴音は話を続ける。

「大熊野先生、先生は八百比丘尼を御存知ですか?」

宗茂は答える。

「詳しい事は知りませんが、平安時代、人魚の肉を食べた為に

不老不死となった、尼の女性の話ではなかったかと…」

「伝承では確かにそういう事になっていますね」

鈴音は窓の外の桜を見つめながら話を続ける。


「そう、私はその八百比丘尼と呼ばれる女性の一族に連なる者なのです。

ただ、伝承には事実に反する内容が多分にございます。

まず、私はもう1500年を超えて生きていますが、

人魚の肉などという物は、食べた事がございません。

それと、八百比丘尼の一族は確かに不老ではありますが、

不死ではありません。人が死ぬような傷を負ったり、

人が急死する様な病に掛かれば、普通に死ぬからです」

宗茂はあっけに取られたまま、鈴音の話を無言で聞いている。


「それとこれを知る者は殆どいないと思いますが、

八百比丘尼の一族には女子しかいません。比丘尼は男性と交わる事で、

極めて稀に子をなす事がありますが、その子は全て女子として生を受けます。

生まれて来た娘もまた八百比丘尼の血を引き、20歳頃までは普通の女性と

同じ様に成長しますが、それ以降、歳を取るという事がなくなります。

そのまま何百年、何千年と生を続ける可能性を持つ、

業の深い一族なのです」

「聞けば聞くほど驚くべき話です…」

宗茂は眼を丸くしている。


「大熊野先生、私が色々な事に習熟していたのは、優れた才能があると言うより、

普通の人間には到底出来ない長い期間、修練を積んだだけと言う話なのです。

普通の人間は、どんなに長く芸事を修練しても80年くらいが限界です。

でも私には1500年以上も時間があったのですから、

色々な事に通じて当たり前です」

「そうなのですか…」宗茂は絶句している。


「いきなりで誠に申し訳ないのですが、本日ここにお邪魔させて頂きましたのは、

大熊野先生に、是非お願いしたい事があったからです」

鈴音は、彼女の後ろに立っている二人の少女に、宗茂の前に出る様に促した。

「この2人、先生から見て右が私の長女の雪音、その隣が次女の天音(あまね)。

私は1500年以上の間、何人もの殿方と夫婦になってきましたが、

子宝に恵まれたのはこれが初めてなのです。

この2人は間もなく16歳。今年、この学校に入学する新入生と同じ齢です。

人生には人と関わる事によってでしか得られない物があると私は思います。

故にこれから長きに渡って生きるにあたり、

その最初に幸せな友人関係を作る事は、

この子達の長い未来にとって、大きな糧となるでしょう。

そして、この早苗実業学校はそれにふさわしい学校であり、

私はこの2人にここで学んで欲しいと思いました」


「つまり、この2人をこの早苗実業学校に編入させたいと」

宗茂は鈴音に問い返した。

「はい。その通りです」

鈴音は答え、少し間を置いて話を続けた。

「無論、この2人は今まで私がみっちり教育して鍛えてあります。

この学校の授業についてゆけぬ様な愚か者ではありませぬ故、

ご安心下さい。実際の実力は編入試験でお確かめ頂ければと思います」

「そうですか…」

宗茂は改めて鈴音の前に立つ2人の娘を見た。

2人は…一見見分けがつかない程極めて良く似た双子である。

母親に良く似た、涼やかで美しい黒く大きな瞳と艶やかな黒髪。

白く、透き通る様な美しい肌。母親と同じく背丈は小さいが、

とても健康そうな、澄んだ明るい表情をしている。


「わかりました。編入試験は受けて頂きますが、

合格すればお引き受けしましょう。

但し、こちらからも条件をひとつ出させて下さい」

宗茂は一呼吸置いてから続けた。

「鈴音先生に、以前と同じく我が校で教職について頂くという条件です」

それを聞いた鈴音はとても驚いた表情で答える。

「それは願ってもない事ですが、宜しいのですか?」


宗茂は続けた。

「この世界広しと言えども、1500年以上もの人生経験を持つ、

八百比丘尼が教師をしている学校など皆無でしょう。

これこそ、世界最高の授業ではありませんか!

可能な限りで良い、是非、その長きに渡る歴史と経験を生徒に語って下さい」


これを聞いた鈴音は、嬉しそうに少しはにかみながら答えた。

「承知致しました。非才ながらこの如月鈴音、

早苗実業学校に多少なりとも恩返しをさせて頂きます」

こうして春の花咲く暖かな午後、ひだまりの中の早苗実業学校に、

新しいひとりの教師が誕生した。

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