第二話


「お墓参り? 平田家の?」

 それまで夢中ですき焼きの肉を頬張ほおばっていた少女の興味津々な眼差しが篤久に向けられた。彼女だけではない。食卓を共にしていた世利子の娘と息子も一斉に期待の目を向ける。

「どこ⁉ どこ行くの⁉」

「一緒に行っていい⁉」

 篤久はテーブル対面の世利子をにらむ。

「何で今ここでその話するかな⁉」

「秀平いつでもつかまるわけじゃないんだから、うたちゃん一緒に連れてった方がいいでしょ。第一あんたお墓あるとこ覚えてんの? ……秀、前髪上げなよ汁付くでしょほら」

 隣に座る弟の長く伸びた髪を、落ちないように編み込んでピンで留める。

「また……俺の女子力が上がってしまった……」

 等と言いながら缶ビールを啜る弟のオープン状態になった額を、世利子の手がぺちりと叩く。

「しらたきばっかり取るな」

「俺謠子様と留守番しててもいいけど。別に予定なんかねーし」

 世利子の弟・戸谷秀平は施設から抜け出してきてしまった〝逃走者ランナー〟である。キャプターに追われる身であることを除けば自由だ。篤久もそれを知ってはいるが、通報することなく寧ろその自由な身の上を利用して頼み事をすることがよくある。

「お前、温泉行くんじゃなかったの」

「せっかくだからちょっといいとこ泊まりたいな~って考え中。だからバイト代下さい先輩。……つーか、浄円寺家の墓参りもしばらく行ってないんじゃないです?」

「んぉ」

 指摘されて思わず箸を止める。世利子が呆れた。

「信じらんない!」

「だって!」

 時間が全くなかった、というわけではない、それは認める。遠く離れた平田家の墓よりは距離もなく、二時間もあれば余裕をもって参ることができる。が、それに気を回せる程の精神的余裕がなかった。すぐ横でひたすら肉を突いている少女――姪の謠子が施設から戻ってきてからは、特に。

「世利子さんごめん、その点については僕が悪い。なかなか時間が取れなくてさ」

「うたちゃんは仕方ないでしょ、その歳でこの家の仕事もやってキャプターもやってるんだもの」

「ねえ待ってヨリちゃん俺も自分の仕事と家事と謠子のサポートやってんだけど」

「あんたのスケジュールの組み方がど下手クソだっつってんの。まーったく、要領悪いったら」

 言い返せない。世利子は昔から容赦がない。

 そこに謠子が助け船を出す。

「彼は有能だからね、僕もいろいろ任せてしまっているんだ。人手が足りないっていうのはわかっているんだけど、なかなか条件に見合う人材がいなくて」

「秀平もっと使っていいのよ、どうせこの子やることないんだから」

「充分力を貸してもらっているよ。特に今年はね、来年の試験に合わせて研修のつもりだから」

「試験もう来年かぁ。秀、ちゃんと勉強してるの?」

「俺可能性の塊だから……謠子様も教えるの上手いし。流石喜久子きくこさんの娘」

「あぁ、あんた喜久ちゃんに教えてもらったときだけ成績上がったもんね」

 グラスに半分程残っていた烏龍茶を飲み干し、世利子は呟いた。

「もう十年か、早いね」

 そしてじろりと篤久を見る。

「墓参り行ってこいよ篤久」

「ふぇ、ふぇい」



     ▼     ▼     ▼



 浄円寺喜久子は篤久の実の妹であったが、篤久は彼女のことを「お嬢様」と呼んでいた。生後預けられていた平田家が元々浄円寺家の分家であったので、養父の忠通がそう呼んでいたのを真似するようになってしまったのが原因だ。

 しかし、それはある意味都合がよかった。

 篤久が平田家に預けられた理由は、『火炎操作』のギフトに目覚めながらもそれを隠し通し、エリュシオンに入らず外で生きる為。それゆえに、浄円寺夫妻は「生まれた息子は体が弱く田舎の親戚の家に預けている」というていにしていたのだが、その預け先の親戚――忠通と、同居していたその恋人が交通事故で死亡してしまい、篤久はやむなく浄円寺家へと帰還することになった。その際、夫妻は表向きは〝平田家の息子〟として引き取ったように見せたのである。


 これにはまた別の理由もある。


 篤久は、養父母が事故死したショックで記憶障害を起こしてしまっていた。

 当時六歳。突如起こった哀しい現実から逃避したかったのか、養家での生活や養父母のことを忘れてしまったのだ。


 完全にではなく断片的な記憶喪失であったし、忘れたまま〝全快して戻ってきた浄円寺家の息子〟として生きることもできた。が、ちゃんと思い出させてやりたいと浄円寺夫妻が強く希望したことから、まずは自分たちが本当の両親であることと、事情があって平田家に預けていたことを教え、その上で、辛うじて篤久が覚えていた平田姓で生活させることになった。


 一気にさまざまなことが降りかかってきて混乱したせいか、篤久はそれを受け入れざるを得なかった。


 そんな中でも、悲観的な思考に至らなかったのは、妹の喜久子の存在があったからかもしれない。


 喜久子は少し変わった子どもだった。


 人形のように愛らしい容貌、本が好きで勉学に熱心。かと思えばいつも傷だらけの泥だらけで、男の子とばかり遊んで、しかもリーダー格。しかし女子に嫌われていたというわけでもないらしく、ごくたまに何人か遊びに来たこともあった。聞けばクラス委員を任されることがよくあったというから、人望があったのだろう。

 喜久子は篤久のことをお兄様と呼んで慕い、他人が姓が違うことを不思議がると、「私にはお兄様が二人いるんだ」とにこにこしながら言ってのけていた。好奇心が旺盛な彼女に何かと引っ張り回されていたせいか、篤久は忘れてしまっている過去について少し考えることはあっても嘆く暇はなかった。


 篤久には、何故か早いうちから、自分の壊れた部分はきっと治らないだろうという自覚があった。

 確かに、生きるのに支障はない。

 支障はないが、それでもいつか、それがネックになるときがくるかもしれない。


 いつしか、喜久子を支えられるようになろうと考えるようになった。

 人付き合いが上手く、才能に溢れたこの子が継ぐのなら、この家は安泰だ。



 そう思っていたのだが、妹は厄介な相手と結婚してしまった。



     △     △     △



 緑の豊かさをうたう広大な墓地公園。その一角に、浄円寺家の先祖代々の墓と、その横に喜久子とその夫が葬られている墓がある。

 その場所に近付いてくると、謠子は駆け出した。水と柄杓の入ったバケツ、線香とライターを入れてある小さなトートバッグを両手に持っている篤久は、よたよたとその後を追う。

「おい走んなお前すぐコケるんだから、あと花振り回すな」

「お花、新しいのが生けてある」

「ぅん?」


 家の墓の花立てには、霞草とカーネーションとスターチス、スプレーマムにガーベラ。

 そして夫婦の墓には、ただ一輪、鮮やかな紅色のバラ。


「あぁ、あいつ来たのか」

 篤久の言葉に、誰が墓参りをしたのか察した謠子が顔を顰める。

「あの男、出禁にしてよ」

「無茶言うな、愛する嫁さんの墓ぐらい参らせてやれよ」

 花立てから一旦生けてある花を引き抜いて、持ってきた花を足してから生け直す。通常、とげのある花は仏花としては避けるものだが、供えられていたバラは律儀にもちゃんと棘の処理がされていた。細やかな気配りと、それでも愛を示す花を供えるのだという強い意志に、篤久は思わず笑う。

「ほんと、喜久ちゃん大好きだな全く」

「当たり前じゃないか妻だぞ」

 突然の男の声に、二人は振り返る。

「やぁ奇遇だね」

 黒いスーツと黒い薄手のコートに身を包んだ長身のブロンドの男は、にこりと笑ってハンカチをまんでいる手を上げた。指先に水滴が見える。篤久は呆れた顔をした。

「気配消して後ろから声掛けんのやめろや」

「ソーリー、職業柄つい」

 流暢りゅうちょうな日本語を話す外国人。とても気安い。

「手を洗って帰ろうとしたら丁度きみたちが見えてね。急いで引き返してきたんだ。……あぁ、ウタコ、また少し背が…………あまり伸びていないね?」

「うるさいな!」

 謠子は男を睨み付けた。

「もうやることやったんでしょ、いつまでもうろうろしてないでさっさと帰りなよ目障りだ」

 嫌悪感丸出しの態度に、男はむぅ、と口をとがらせる。

「アーサー、一体どんな教育をしているんだ。僕はきみにならと愛しい我が子を託したのに何故こんなことに」

「勝手に押し付けて何言ってやがンだバカ、俺だからこんなにイイ感じに育ったんだろうが」

 篤久は嘆く男をスルーして、トートバッグから線香の箱を取り出し一掴みした束に、使い捨てライターの火を近付けた。この火の付け方はなかなか上手い具合にいかないものだが、彼はこっそりギフトを行使して火を調整し、安全に、確実に着火させる。普段はそうそう使わない能力ではあるものの、こういうときは便利だと感じている。口には出さないが。

「あとおめェがアビューザーなのが悪い」

「僕だって好きでやってるんじゃないよ! ひどい、ひどいよアーサー、きみはわかってくれていると思って」

「ほれ、線香。花しかやってねえだろお前」

「サンキュウ」

 コロコロと表情が変わる。篤久と同い年、しかも通常東洋人の方が顔立ちが若く見えるものだが、この男は言動のせいでひどく幼い印象がある。

 先に線香を供える謠子の傍に立った男は、僅かに声を潜めた。

「そうだウタコ。少し真面目な話をしようと思うんだ」

「僕はきみとする話なんてない」

「そう言わないで。きみの身の安全の為だ、少しくらい親らしいことをさせて」

「きみは僕の親なんかじゃない。僕を育ててくれたのは伯父様だ」

 謠子は男を見ようともしない。はは、と弱ったように笑って、男は篤久を振り返った。

「いい育て方だ。警戒心はこのくらい強い方がいい」

「何強がってんだよいい歳して涙目じゃねえかお前」

「うわぁんアツヒサぁ」

「危ねえな線香持ったまま抱きつくなバカ!」


 男の名前はウィル・シグル、ギフトを悪用する犯罪者・アビューザー。本来であればキャプターである謠子が捕獲すべき対象であり、神出鬼没で凶悪な『緑の目の悪魔』として国際的に名が知られている。

 しかしその正体は、十年前に妻と死んだことになっている若き物理学者ウィリアム・シーゲンターラー――謠子の実父にして、篤久の親友。


 彼が何故アビューザーであるのか、何故世間的には死んだことになっているのか、篤久は子どもの頃から付き合いのある親友にも関わらず、知っていたり知らなかったりする。どちらかというと知らないことの方が多い。生前の喜久子が言ったことには、「ウィリーはとても複雑だからね」だそうだが、


「こんなところで立ち話ってのも何だ、時間あるならうち来いウィリー」

「うん、うん、じゃあ行く!」

「ちょっと伯父様何でこんなの」

「お前の身の安全の為っつってるじゃん、一応聞くだけ聞いといた方がいいだろ」


 現状、姪のことでいっぱいいっぱいなので、突っ込む気になれず放置している。


 とりあえず、一つだけわかることは、


「ねぇアーサー、せっかく久しぶりに会えたんだ、パンケーキを作ろう! きっと楽しい!」

「お前さぁ、真面目な話するんじゃねえの?」



 アビューザーとして登録されているらしい義弟にして友人は、存在としては厄介ではあるが、少なくとも自分や姪にとっては害がない、ということだ。




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