拾遺
グリーン・アイズ・デビル
パイプ椅子に座った二人は、透明な分厚いアクリル板の仕切りを挟んで、お互いを真っ直ぐ見ていた。
といっても、多和本磨皓にはシーゲンターラー謠子の姿は見えていない。彼は今頭部が包帯でぐるぐる巻きになっており、鼻と口元だけが露出されている状態だ。
アビューザーとして捕獲され収監されてから、磨皓は自分で自分の目を潰してしまったのだった。目に見えるものに狙いを定めて念じれば切り裂く『鎌鼬』というギフトにより何人も人を殺めてしまった彼は、自身の持つ凶悪な能力に絶望したのだという。
しかしその禍根を断った(正確には、能力自体が消えたわけでもないし、目が治るか、訓練すればまた自在に使えるようになるのだろうが)せいか、事件当時極めて不安定だった磨皓の精神状態は、二ヶ月近く経った現在ではとても落ち着いている。寧ろ、以前よりも角が取れてきている、と何度か面会した謠子は感じていた。犯した罪は償わなければならないが、身内からの重圧やギフト能力に対する恐怖という〝縛るもの〟がなくなった今の彼が、本来の姿なのだろう。
「まだ傷は痛む?」
「先週二度目の手術をしたばかりでね。痛むといえば痛むけど、貴女が会いに来るのに寝ていられないだろう」
「相変わらず熱烈なことだ。そんな無茶なことをしなければよかったのに」
「確かに」
「でも、きみ程の身体能力があれば、目の見えない生活にもすぐ慣れるんだろうな」
「自分の房ぐらいならある程度は自由に動けるくらいにはなった」
「そう。それはすごいね」
ほんの数秒の沈黙の後、磨皓は看守の方を向かずに、
「少し、二人で話をしたい。席を外してもらえるだろうか」
静かだが、通る声で言った。磨皓の後方にいた看守に、謠子は頷く。
「心配ない、僕もキャプターだ。何かあったらすぐに呼ぶ」
看守が部屋を出た後、すぐに切り出すでもなくまた磨皓は少しの間黙ったが、看守が遠ざかるのを待っているのだと謠子は悟った。エリュシオンの中にいるギフテッド、特にキャプターには聞かせたくない話か。
足音が聞こえなくなってから、一回だけ深呼吸して、謠子の方から沈黙を破る。
「で? 話って?」
磨皓の口元が、僅かに笑んだ。
「平田さん。彼は、清海さんと叶恵さんの息子――貴女の伯父だろう?」
謠子の表情と姿勢は変わらない。ただ一回、瞬きしたのみ。
「根拠は?」
「貴女が清海さんと叶恵さんの面影を持つように、よく見れば彼もあの二人に似ている。血縁だとは聞いていたし。それに、清海さんと叶恵さんは息子は病気がちで田舎で静養していると言っていたけれど、何年も彼らの下についていたのに、それについての話はほとんど聞いたことがなかった。話すのは娘の喜久子さんと喜久子さんのご主人のこと、貴女のこと、そして彼のこと。彼も子どもの頃に引き取られたとのことだから、実の息子のように扱っているのだろうとも思った。……でも、実際は引き取った親戚の子どもではなくて、預けていた実の息子が戻ってきて常に傍にいた――のだとすれば、合点がいく。心配する必要も会いに行くこともほとんどないのだから話題には上がらない」
あはは、と謠子は笑った。
「確かにそうだ」
「……何故彼は、貴女に浄円寺家のことを押し付けたんだ?」
「別に押し付けられたわけじゃない。譲られた。だから受け取った」
平田が伯父かそうでないかについては、否定も肯定もしなかった。が、浄円寺家の財産や権利のほとんどを伯父から譲渡されているのは事実だ。
磨皓も、表情も姿勢もそのままに続ける。
「彼もギフトを持っているから?」
謠子はゆっくりと足を組み、膝の上に頬肘をついた。
「平田くんはディプライヴドだよ」
「あのとき、何故あれ以上火が燃え移らなかったのか」
謠子は何も返さず片方の眉を上げた。
「消化器も水も使っていなかったのに、徐々に自然に鎮火していった。僕の能力は勿論、貴女の能力でできることじゃない。だとすれば、あの場所にいた僕と貴女以外の誰かの仕業だ」
「あのダイナマイトは威力を計算して具現化したんだ。派手に燃え上がるわけがない」
「流石シーゲンターラー博士のお嬢さん、頭が回る。……今日来てもらったのは他でもない。ひとつ、貴女の知らないことを教えてあげよう」
帰りの車の中で、謠子は黙したままだった。明らかにこの上なく不機嫌そうな顔で窓の外を眺めている謠子に、運転席の平田は何と声をかけていいものかしばらく考えあぐねていたが、
「あー、…………ねぇ、謠子、様ァ」
「何」
思い切って呼んでみればこの返し。
「どしたん、何怒ってんの」
「怒ってないよ」
「怒ってんじゃん」
「怒ってないもん」
多和本磨皓と何かあったに違いない。よりによって、あまりいい印象を持っていない相手との間に。こいつがキャプターになってから溜め息つく回数増えたな、等と考えながら、平田は更に溜め息回数を更新する。
「あんま眉間皺寄せんなよ癖ンなるぞ。お前の場合は外見も武器になるんだからそーゆーとこ気をつけねえと」
謠子は平田の方を向いた。と、思えば、
「ねぇ。お父様って、どんな人だったの?」
突然の話の切り替え。しかもこれまでほとんど彼女からは尋ねてこなかった父親のことに、
「は? 何いきなり」
戸惑う。
謠子の父ウィリアム・シーゲンターラー。若くして高名だった学者で、幼い頃から何度も来日し、謠子の母や平田とは子どもの頃から交流があったという。
謠子はこれまで、あまり自身の両親について問うてくることはなかった。二人とも物心つく前に鬼籍に入ってしまいほぼ覚えていないというのもあるが、その後祖父母や伯父、知人に構ってもらっていたことと、己の持つギフトを最大限に活かす為にと勉学にのめり込んでいたせいもあり、特に寂しさを感じていなかったのだ。
それが何故今になって。怖い目に遭ったから何か思うところでもできたのだろうか――どんなって、と呟いて、車を走らせつつ、今は亡き友人のことを思い浮かべて言葉を選択した平田は、赤信号で停止した瞬間、顔を
「……滅茶苦茶うるせえ明るいバカ。万年小学生男子」
謠子の眉間に益々皺が寄る。
「そういう顔すんなって、もー」
手を伸ばして謠子の眉間の皺を擦る。謠子は頬を膨らせて前を向く。
「僕の父はバカだったのか」
「だってそれしか言い様ねえし。頭いい奴なんざみんな頭おかしいもんだ」
「ふぅん、そう」
興味を持ったからにはもっと根掘り葉掘り訊いてくると思われたが、謠子が平田に対し自身の父についてそれ以上突っ込んでくることはなかった。
その夜謠子は、とあるアビューザーについて調べていた。しかし検索して出てきたページをどれだけ入念に読み込んでも、通常は一般人は閲覧できないはずの所にバレないように侵入してみても、ざっくりとしたことしかわからない。
「証拠を消すのが上手いのか、はたまた取り締まる側がポンコツか……何で特徴は掴んでいるのに肝心の容姿の画像がどこのデータベースにもないんだ」
何時間もパソコンに
身長六フィート前後、ブロンド、緑色の瞳。
拳銃とナイフを所持。性別は男。
かのアビューザーが関与したとみられる海外の事件の記事の数々には、「悪魔」「死神」という文字が散見される。多少大仰に盛られているのもあるのだろうが、それらの記事で語られていることに共通するのは、そのアビューザーの残忍さだった。四年前に起きたとある国の犯罪組織の壊滅――どういうわけかそんなニュースは聞いたことがなかったが、三十人以上いた関係者は全員死亡しているとのことだ――も、彼によるものではないかという噂らしい。
「緑の目の、悪魔」
小さく小さく呟いて、指先で左目の瞼に触れる。
先日多和本磨皓が謠子に放った「悪魔」という言葉を思い出す。
しかし悪魔だなんて、普段平田が自分によく言う言葉だ。実際、ワガママを聞いてくれると約束したのをいいことに平田を振り回してしまっているのだから、そう言われても仕方がないのだが――どうにも、どうしてか、引っ掛かる。
「……お父様は、死んでいるんだ。ちゃんと
当時二歳。葬儀そのものを覚えているわけではないが、祖父母や伯父がこんなことで謠子に嘘をつくはずがないし、何度も墓参りに行ってその名の刻まれた墓石を見ている。
そんなわけがない。言い聞かせるようにしながら書いた文字をボールペンでぐるぐると塗り潰していると、ノックが聞こえた。慌ててメモ帳のページを
「何?」
「お夜食お届けー」
ドアが開いて、プレートを持った平田が入ってくる。就寝寸前らしく薄手のスウェット地のルームウェアにカーディガンを羽織っている。脇にはクリアファイル。何かの書類のようだ。
「俺もう寝るよ、後で何か飲みたくなったら自分で入れてな。ポット、お湯入れてあるから」
机の下のキャビネットを引っ張り出し、保温タンブラーと、一口二口で食べられるくらいの大きさのおにぎりが三つ乗った皿を置く。丁度小腹が空いていた。謠子は早速一つ手に取る。
「ありがとう。……そうだ、伯父様」
「伯父様言うなし。あとちゃんといただきますしろ」
この男は口が悪い割に躾に厳しい。一旦おにぎりを皿に置き、手を合わせてから改めて取り、一口食べた。
「多和本磨皓にバレちゃってたよ、貴方のギフト」
平田は一時停止し――ゆっくり腕組みをして、俯きながら目を閉じた。
「……マジか」
「うん」
「うっそん……わかんねえように使ったつもりだったんだけどな……えー、どうしよ」
悩む平田に、ふ、と息をするように謠子は笑う。
「大丈夫、彼は誰にも言わないよ」
「なァんでそんなことわかンのよ」
「『ギフトなんて力ろくなものじゃない』って言ってたからさ」
食べかけの一つ目のおにぎりを詰め込み飲み込んだ後、くるりと椅子を回転させてパソコンに向かう。
「こんな変な力があるから、あんな施設ができてしまうし人が死ぬんだ。ろくでもないなんてものじゃない」
平田はすぐには言葉を返さなかった。少しだけ迷って、後ろから髪を掻き回すように謠子の頭を撫でる。多和本磨皓にギフトで切られ部分的に短くなってしまっていった髪が、ようやく目立たなくなってきていた。結ったり帽子を被らせたりして誤魔化さなくても大丈夫そうだ。
「出ちまったもんはしょーがねえだろ」
「うん…………うん」
泣いてはいない。が、心なしか落ち込んでいるようにも見える。昼間に多和本磨皓との間にあった何かを引き摺っているのか。
「……そういやさ、」
さりげなく話題を転換しながら、頭に置いたままの手で更にぐしゃぐしゃ撫で回す。
「何?」
「多和本がステラがどうとか言ってたって、お前言ってたじゃん」
謠子が呼び掛けられた名前『ステラ』。
事件が終わってから調べてみたものの、多和本磨皓の周辺にそんな名前の外国人は存在しなかった。事件とは直接は関係ないとして謠子は報告しなかったが、妙に引っ掛かっていたことではある。
「あれって、イマジナリーフレンドとか、そういうやつだったんかなってさ」
「想像上の友人が僕に似てたってこと?」
振り向く謠子の顔は、先程と打って変わって好奇心に満ちている。感情が切り替わった様子に、平田は内心安堵した。
「さっき戸谷の小父さんからメールきてな。『ショック受けるかもしれんから謠子ちゃんには黙っといてね』とか書いてあったんだけど。どうせお前そんなタマじゃねえし、知っときたいだろ。どんなことでも」
「知りたい。どんなことでも」
「イエスマイレディー」
にこり、笑って、クリアファイルを謠子に手渡す。すかさず謠子は挟まっている紙を数枚取り出す。焼け焦げた人形の写真のようだった。
「それ、添付されてた画像。多和本ン
謠子の髪を一房取って、すっと引く。薄暗い部屋で光を僅かに含んだ金茶の糸束が、音もなくさらさらと滑らかに落ちた。
「目も緑。…………顔もちょっと似てるな、これ」
「気持ち悪いな!」
事件当時の多和本磨皓の言動を思い出したのか、謠子が顔を顰めるのを見て、平田は笑った。ショックというよりも憤りと嫌悪感を表すだろうことは、何となく想像がついていた。
「ま、多和本磨皓が昔どんな目に遭ってたのかってのを考えりゃ、この人形が奴にとってどんな存在だったかは推して知るべし、ってな。……ついでに言うと、ステラって、お前が生まれたときウィリーが付けたがってた名前だったりするんだよ。“希望の星”、なーんつってさ」
謠子の表情が益々歪んだ。
「やめて気持ち悪い! そんな偶然いらない! ……そう、お父様が、ね」
謠子はまた沈んだ顔になった。しまったと思った平田は、また新たな話題を提供する。
「そうだ、明日、午後空いてるからどっか行こ。昼間施設行った以外ここしばらくずーっと部屋ン中だっただろ、気分転換しようぜ」
「……水族館、行きたい。海の方の」
「ん。じゃあ昼飯食ったら出ような」
「その後
「いちごのでっけえパフェ二人で食って?」
「で、夕飯焼き肉ね?」
「えぇー、明日魚焼く予定だったんですけどぉー」
「お肉がいい」
「お魚も食べようよォ謠ちゃ~ん」
「やだお肉がいい。ふふ、久しぶりだなこのコース。……最後に行ったの、お爺様とお婆様が亡くなる少し前だっけ」
謠子の少し寂しそうな声に、平田も唇を噛んだ。
「……頑張りましょうな、お嬢様」
「うん」
平田は自室に入ると、照明も点けずにぼぅっと暗闇を見つめていた。
「…………ギフト、か」
机に置いてある使い捨てのライターを手に取り、火を付ける。
ボタンを押しっぱなしのライターから噴き出る炎は大きさを増し、ライターから離れて浮かび上がりトカゲのような形を成した。かと思うと、一瞬だけ花が咲くように広がって、消える。
「ほんと、ろくでもねえ力だ。なァ相棒」
ライターを机の上に戻すと、平田はベッドに入った。
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