戸谷秀平の難儀 J-record.1

半井幸矢

本編

第一話



 午前八時になる少し前、浄円寺じょうえんじ邸のインターホンが鳴った。


「せんぱーい、朝飯食わせて下さーい」

 早朝から容赦なくインターホンを鳴らした男の名は戸谷とだに秀平しゅうへい。特殊能力・ギフトを持つ人間“ギフテッド”の収容施設から抜け出してきた、所謂いわゆる“ランナー”である。


 門のロックが解除される。何の躊躇ためらいもなく進んで行くと、

「朝っぱらからピンポンやめろメール送れっていつも言ってるだろ今うた寝てんだよ」

 玄関先でワイシャツに黒いスラックスにエプロンを付けたひらあつひさが菜箸を握り締め仁王立ちして待ち構えていた。しかし当の秀平は何を気にするでもなく上がり込む。この男はいつも遠慮がない。

「この時間に? 珍しいですね」

「三徹したから流石に限界きたんだろ、いくら寝ろっつっても全然聞きゃしねえあのガキ」

「反抗期じゃないですか、そういう年頃でしょ」

「ただでさえどぎついあいつが反抗期とか心折れるわ。……お前はしばらく見ないと思ったらまた女のとこ転がり込んでたんか、この不良息子が」

「シャワー貸して下さい」

 否定はしない。頻繁ひんぱんに泊まりに来る程の勝手知ったる他所よその家、よく借りる部屋に置いてもらってある着替えを取りにとことこ小走りで向かおうとする秀平の肩を、

「あぁ、そうだ」

 平田が掴んだ。

「お前、今日午後何もないよな。ひげちゃんと剃ってこい」

 秀平はげんな顔をする。

「何、どっか行くんですか」

「い~ぃとこ連れてってやんよぉ」

 その笑顔に悪寒おかんが走る。

「悪い予感しかしねーんですけど」

「安心しろ、売っ払っちまおうってんじゃねえよ。金は弾む」

 不満そうな顔をしながらも、

「……いいですよぉ、お金弾んでくれるんならぁ」

 秀平は渋々承知した。


 シャワーを浴びて、髪を乾かすと、屋敷の主を起こしてくるように言い付けられた。主の部屋──ではなく、平田の私室へ向かう。「限界がきて寝ている」というからには、機械と本だらけで寝台はおろか布団もない主の部屋にいるわけがない。大抵そういう状況のときは、平田の部屋のベッドに侵入している。

 一応、ノックしてからドアを開ける。寝息と共にベッドの上のかたまりが微かに上下に動いている。

「謠子様ぁ、めしできましたよー」

 布団の塊の中身がぐるりと反転し、頭だけが露出された。薄暗い中に緑色の目がきろんと光る。

「トダくん?」


 屋敷の主・シーゲンターラー謠子のお目覚めだ。


「トダじゃないです戸谷です」

「また朝帰りなの」

「まぁそんなところ。今朝は何時に寝たんです?」

「五時半前。……今何時?」

「八時半回りました」

「そんなに寝ちゃったのか」

「謠子様はもっと寝た方がいいと思うんですけどね」

 布団がぐわっと盛り上がり、まくれた。姿を現した少女はリラックスして眠るのに相応ふさわしい格好ではなく、ブラウスとスカート、そして裸足はだしのままだった。

「……寒い」

「はい」

 デスクの椅子の背もたれに引っ掛けてあったカーディガンを渡す。無断で貸しているが平田の私物だ。小柄な謠子は通した両袖に頬擦ほおずりをした。

「これ気持ちいい、カシミヤかな」

 カーテンを開けていた秀平は、謠子の様子を見て数秒何か考えた後にスマートフォンを取り出して謠子の姿を写真に収める。

「萌え袖……いいのが撮れた」

「何撮ってるの」

「可愛いの撮れたから先輩に送ってあげようかと」

「やめてよ何してるの気持ち悪いな!」

「まぁまぁ。ほら早く行かないと飯冷めちゃいますよ」

 さり気なくしながら手を取って謠子をベッドから降りさせ、そのまま手をつないで部屋を出る。年は結構離れているが、昔からよくしていることなので双方気にならない。

「トダくんいい匂いするね」

「そういやボディーソープ新しいのにしたって先輩が言ってた気がします。あと戸谷ですからね」



「本当はもっと早く連絡がつけばよかったんだけど」

 ワンピースの背中のファスナーを平田に上げさせる謠子は言った。鮮やかなロイヤルブルーに合わせるならどうしよう、と秀平が髪飾りのまとめられた箱をあさっている最中のことだ。

「はぁ、すみません」

「それなのにここ数日ずっとメッセージ送っても返事どころか既読も付かない。きみが自由奔放な男だというのは重々承知しているつもりだけど、ちょっと心配だったんだよ? きみはランナーだし、平田くん程の戦闘能力がない。その上その容姿だ。そういう趣味の屈強な男にめにされちゃっているんじゃないかって」

「ヤな想像しないで下さいよ」

 げんなりしながらライトブルーと白の小さな薔薇ばらのあしらわれたヘアゴムを発見して平田に手渡し、自身も着替え始める。用意されているのは、普段着るような余裕のあるカットソーではなくきっちりとしたワイシャツと黒いスーツ、そしてネクタイ。ときどきヘルプに呼ばれて謠子の傍に付くときや、平田の補助をする際に着るものだ。

 姿見と対面して服装のチェックをする。適当に切っては放置を繰り返している、肩まで伸びた髪が不釣り合いだ。前髪も長い。もっとも、髪を長いまま保っているのは外を出歩くときに顔をあまり出さないようにする為ではあるが。施設を抜け出し二年近い、一応逃亡中の身である。

「髪、いつもみたいに後ろにペャッって?」

 手にワックスを付けて撫で付けようとすると、

「適当でいいよ」

 慣れた手付きで謠子の髪を結う平田が言う。そうだね、と謠子が同意する。

「トダくんは元々見目みめが整っているから、とりあえず顔がちゃんと見えていれば」

「お褒めに預かり光栄なんですけど戸谷です。……って、」

 適当に、それらしく髪を整えながら、ふと気付く。

「…………あの、今回のこれって、俺の容姿が必要とか、そういう」

「まぁ行ってみればわかる……かな」

 ヘアセットを終えた謠子が一緒になって鏡を覗き込んだ。

「うん、いいねトダくん。とてもかっこいい」

「謠子様も最高に可愛いですけどね、戸谷ですからね」



 はら宝飾店はその界隈かいわいではそこそこ有名だった。若い独身女性が手軽に購入できるアクセサリーから超高級な大粒の宝石まで手広く扱う老舗しにせで、一時期は不景気の煽りで経営がガタついたものの、数年前に前社長が病没してからその妻が会社を引き継ぎ、女性ならではの視点での商売が功を奏したのか徐々に盛り返してきている。


「えぇ、お陰で盗難被害はそれ以来は全く。相談した甲斐があったわ」

 真木原かず美は優雅に微笑む。成人した娘がいる年齢だが、宝飾店の敏腕社長の名に恥じぬ若々しさだ。

「それはよかった。ディプライヴドだけならまだしも、アビューザー相手じゃなかなか厄介だ。とはいえ、前に言った通り百パーセント防げるとは言い切れないから、悪いけどそこは承知しておいてね。ギフト発動時の能力探知センサーは結構いいところまで研究が進んでるみたいなんだけど、キャプター側からしても早く欲しいシステムだしその辺何とかしてもらいたいところだ」

「ふふ。本当にしっかりしているわね。……そうそう、最近ね、とても大きくてきれいな石が入ってきたのよ。昔喜久子きくこちゃんが好きな石だって言ってたから、謠子ちゃんにも見せたくて」

「買わせたい、じゃなくて?」

 ころころとかず美は笑う。

「そういうんじゃなくて。原石なの。謠子ちゃんはアクセサリーよりそういう方が好きでしょう? 喜久子ちゃんもそうでね、小さい頃よくうちに見に来てたのよ」

 かず美が立ち上がったのと同時に、

「失礼します」

 ティーポットの乗ったトレーを持った若い女性が入ってくる。

「お茶のお替わりを」

「あぁ、ありがとう。丁度いいところに来たわ、先々週貴女あなたが見つけてきてくれたパパラチアサファイアなんだけど」

「お母様、忘れてしまったの? あれならすぐに売れてしまったじゃない」

 そうだったかしら、と首を傾げるかず美をよそに、女性――真木原知香は一点をじ、と見た。平田と共に謠子の後ろに控えていた秀平は視線を感じ取る。


 目が合う。


 一般的な目で見れば美人の類だ。しゃきしゃきした雰囲気のある母親とは少し違って、少し憂いを帯びているような色香がある。


 何か、と声を掛けようかと思った矢先に、知香は会釈をして部屋を出て行った。途端に謠子と平田の視線が秀平に集まる。

「どうやら、お眼鏡に適ったようだね」

「小奇麗にして黙ってりゃ女寄ってくるだけある」

 悪い予感は的中していたということか――秀平は溜め息をついた。

「……あの、ちゃんと説明してもらえませんかね」

「残念ながら現時点では説明らしい説明はできないんだ。場所が悪い」

 振り返りソファーの背もたれに頬杖をつきながら謠子が言う。

「場所?」

「後で話すよ。……かず美さん、忙しいところわざわざありがとう。また今度ゆっくり食事でもしよう」

 ソファーから降りて裾を整える謠子にかず美は困惑気味だ。

「あの、本当に、大丈夫?」

「問題ない。彼はこんなきれいな顔で細いけど結構強いんだ」

 ね、と秀平に向けてにっこり笑顔。あぁ、このお嬢様ちゃりする気だ――これまで何度も同じように利用されてきたとはいえ、今回はどんな難題を吹っ掛けられるのか。不安でたまらない。

「ごめんなさいね、足を運んでもらったのにろくに協力できなくて」

「充分だよ。また何か問題が起きたら連絡して。僕が直接対応できるときはするし、できないときは人をよこしてもらえるように要請するから……それより、かず美さんの方こそ大丈夫なの?」

 少し、間を置いて。

「いいのよ。もう決めたことだから。本当、ちょっと見ない間にすっかりしっかりしちゃって」

「そこらのイケメンよりずっとイケメンですよ謠子様は」

 小さく苦笑する平田に、

「それはそうと、篤久くんはいつお嫁さんもらうのかしら? 喜久子ちゃんも心配してるんじゃない?」

 かず美の攻撃。平田は一瞬詰まる。

「俺はそういうのいいんです、そこのお嬢さんしっかりしてそうでまだまだ全然手ェかかるんだから」

「あらまぁ。喜久子ちゃんの娘だものね、おてんさんなのはしょうがないわよねぇ?」

 平田と目が合った謠子はにや、と笑った。



「あのおばちゃん苦手だわ毎度あれしか言わねえんだもん」

 げんなりしながら平田は車の運転席に乗り込み、乱暴にドアを閉めた。その様子に助手席のドアを開ける秀平と謠子は顔を見合わせ笑う。

「僕のことは気にしないで身を固めていいんだよ平田くん?」

「スペックフル活用すりゃ嫁の一人や二人辛うじて何とかなりそうな気もしますけど、もう三十五ですもんね」

「まだ三十三だし、っていうかいんだよ俺はひとで。早く乗れ置いてくぞ」

 急かすようにかけられたエンジンに謠子は慌てて助手席に座り、秀平は後部座席のドアを開ける。

「それで、さっきのアレ――一体どういうことなんです?」

 乗り込むと同時に秀平は先程のことを持ち出した。謠子はバッグからタブレット型パソコンを取り出して膝の上に置き、シートベルトを締める。

「最近……結構前からか。奇妙な失踪事件が起きていてね」

「失踪?」

 そんな事件があっただろうか。テレビは毎日ではなくともちょくちょく見てはいたが、目にした記憶がない。

「それって警察……あぁ、」

 言いかけたと同時に納得した。


 警察ではなく、“キャプター”――秀平のように施設から逃げ出したランナーや、ギフトに目覚めていながら施設に収容される義務をおこたり施設外で生活している“ワンダラー”、そしてギフトを悪用し犯罪に手を染める“アビューザー”――これらを取り締まる役職に就く謠子がその話を持ち出すということは、ランナーかワンダラーかアビューザーかはわからないが、施設外にいるギフテッドが関与している可能性が高い、ということだ。それならば、表沙汰にされていなくとも合点がいく。ギフテッドの、特にキャプターの関わる事件は危険なものばかりだ。混乱を避ける為に一般人には秘されることも少なくない。


「それが、あの宝石屋のお嬢さんと何の関係が?」

「失踪者が最後に一緒にいたとされているのが、さっきの真木原知香さんなんだ。失踪者はここ二年程で十一人。全員男性で、年齢は二十代後半から三十代前半」

 謠子は素早く操作したタブレットを後ろ手で秀平に差し出した。受け取った画面を見て、思わず「わっ」と小さい声が漏れる。

「これは……なるほど、タイプが、そうですね」

 ずらりと並ぶ黒髪の涼やかな容貌の男性の写真に、頭がくらくらした。しかし一人一人チェックしていくと、意外な点に気付く。

「……プロフィールに統一性がないですね。共通点は性別、平均年齢、外見だけ……?」

「逆に言えば、“そこにしか執着していない”」

「見てくれ以外どうでもいい?」

「だからきみも該当する」

「口さえ開かなきゃきれいめイケメン二十七歳」

 付け足された平田の一言に、秀平は不愉快極まりない顔をする。

めないで下さいあんたにそういうこと言われんの一番気持ちわりーんですよ」

「可愛くねえやっちゃな、知ってるけど。……トダ、シートベルト。出すぞ」

「戸谷ですって言ってるでしょ」

 はいはい、と空返事をし平田は車を発進させる。

「で? 第一関門はクリアとして、今後真木原のお嬢さんをこいつに接触させる方法とか考えてあんの謠子様?」

「こっちが考えるまでもない。嫌でも偶然を装ってあっちから接触してくる」

「楽観的じゃん。なんもなかったらどーすんの」

「来るよ。この手のやつ、しかも女は陰湿かつ粘着質、ってね」

 二人の話ぶりに秀平はふと疑問が湧く。

「まるであのお嬢さんが容疑者みたいな言い方ですね?」

 みたいな、というよりも、寧ろ決定事項のようだ。

「現時点では確固たる証拠はないんだけどね」

 秀平からタブレットを受け取り、バッグにしまいながら謠子が応える。

「失踪者と一緒にいたという目撃証言で以前から重要参考人扱いにはなっていたんだ。とはいえか弱いディプライヴドの女性が成人男性を跡形もなく消し去るだなんて不可能に近い。でもディプライヴドじゃなかったとしたら?」


 ディプライヴド――ギフトを持たない一般人を分類上そう呼ぶのだが――それらとギフトを持つギフテッドを見分けるのは難しい。ギフトという異能の力を使わない限りは、見た目はごく普通の人間なのだ。つまり自己申告するか、能力を使っているところを他人に目撃されなおつキャプターに通報されない限りは、ギフテッドと認識され施設送りになることはない。ワンダラーが存在する所以である。


 しかし、能力以外に確実に見分けられる方法が一つだけある。


「『紋章を見た気がする』、ってかず美さんから相談されたんだ」


 ギフテッドは、ギフトを持つ証として能力と使うと体のどこかに紋章が現れる。


 収容された施設から抜け出してきたランナーである秀平もギフト持ちであるから、それは知っている。秀平の場合は左胸に浮き出る。そしてキャプターである謠子もまたギフテッドである。彼女は鎖骨の中央の少し下に出る。


「もしそれが事実だとして、知香さんがギフト持ち――そう、例えば成人男性をその場から消し去ってしまうことができるような力――の、ワンダラーだとすれば、一応のつじつまは合う」

「まぁ、それはそうかもしれませんけど」

 真木原知香を失踪者をどうにかしてしまった犯人だと仮定するのなら、失踪者たちと似通った外見をしている秀平を対面させたということは――

「つまり俺、おとりですか」

「すまないね、失踪者リストの写真を見た瞬間きみの顔が浮かんでしまった。僕の頼みは難なくこなしてくれてるきみのことだから、大丈夫だと思うんだけど」

 さらっと言ってくれるなぁ、と思わず苦笑い。これまでだって別に難がなかったわけではないし、それを知っているはずなのだが。

「ってことだ、トダ」

 たたけるように平田が言う。

「お前しばらくうちにいろ。恐らく真木原のお嬢さんはお前のことを俺と同じ謠子様の下僕と見做みなしてるはずだ。そこらへんふらふらしてたらターゲットが他に移って別の失踪者が出ちまうかもしれねえからな」

「戸谷ですし謠子様も先輩も人遣い荒すぎませんか」

 危険とわかってはいるが、断れるわけがない。れる溜め息。

「これまでいなくなった野郎とおんなじように俺までどうにかなっちゃったらどうしてくれるんです?」

「トダくんは状況判断も的確にできるし優れた人材だと僕は思っているけどね。自覚がないだけだ」

「謠子様に褒められるのちゃちゃうれしいですけど戸谷ですってば」

 平田がにやにやする。

「何だよ、自信ねぇの? 女転がすの得意だろ」

「仕事とプライベートは別ですし女転がすとか人聞きの悪い言い方しないでくれませんかね」

「できるのかできねえのか。どっちだっていてんだよ」

 ルームミラー越しに目が合う。


 あおられている。


「……確かに俺は先輩程は強くはないけど、これでもそれなりに場数踏んでんですよ、めてもらっちゃ困りますってね」


 正直なところ、あの物憂げな美人がどんな手段で十一人もの男を消してしまったのか――興味がないといったら嘘になる。


「少なくとも可愛い巨乳の彼女作って結婚して一軒家買って二児の父になって孫の顔見るまで、この世とおさらばする気はないです」

 ふふ、と謠子が満足げに笑う。

「期待してるよトダくん」

「戸谷です」




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