第二話


 言われるままに寝食(と、謠子や平田のちょっとした手伝い)を浄円寺邸でするようになって二日が経過した。


「これといった理由もなくうちには来にくいだろうからね。ちょっと外ぶらぶらしてきなよ、犬も歩けば何とやらっていうし」

 朝晩問わず自室のパソコンの前で複数のモニターを見ながらせわしくキーボードを叩いている謠子が言った。彼女はキャプターではあるが、仕事はそれだけではない。若年ながら、母方の家である浄円寺家が代々営む情報売買業もこなしており、浄円寺データバンクの代表を名乗っている。その上さまざまな事情から学校には通っていない為、勉学も同時進行しているというなかなかハードなスケジュールを送る身の上だ。連日徹夜をすることも少なくない。

 その横で暇を持て余しパイプ椅子をぎしぎしときしませながら同じくモニターを眺めていた秀平は、手を伸ばしてデスクの上にあったマグカップのコーヒーを飲む。

「でも俺ランナーだからそんなに大っぴらに外出歩けませんよ…………うわ、にっげぇ」

「勝手に飲まないでよそれ僕の」

「謠子様、その歳でこんな濃いの飲み続けてたら体どうにかなっちゃいますよ」

 秀平からカップを奪い、謠子は中をのぞき込む。

「文句言う割に半分以上飲んでるじゃないか」

「苦いけど酸味少な目ですね、普通にれれば好きな味。俺も淹れてもらおっかな」

「外出ないの?」

「んー」

 立ち上がって椅子を片付けると、秀平は部屋を出た。

「じゃあおやつ買ってきます。ちょっとゆっくりめで行けば時間的にもちょういいでしょ。せんぱーい、おやつ買ってきますからねー!」

 部屋から顔を出して謠子が叫ぶ。

「トダくん! ビジュ・ヴェヌスのエクレール・ノワール食べたい! 二個!」

「戸谷ですけど了解しましたー!」



 外に出た途端、気配を感じた。

 周囲を見回す。それらしい姿は見当たらないが――

(……素人しろうとだもんな、わかりやすいっちゃわかりやすい)

 少なくともここ二年近くの間に、謠子に頼まれて危ない場所に行かされたりは勿論のこと、何度も人を尾行したり逆にさせたりもしている。ときには絡まれることだってある。


 男でよかったとつくづく思う。治安の悪い場所は本当に悪い。平田という護衛がついていて自身もギフトを持つキャプターの謠子ならともかく、女の身では確実に危なかっただろうという場面も経験している。驚く程強いわけでもないが、一応じゅうじゅつを道場主の祖父から習っていたことも役に立っている。個人的にはこんなことには慣れたくはなかったが、すっかり慣れてしまった。


 対象との接触はできればしたい、しかしあまり長時間外にはいられない。秀平は後ろに気を向けながらも、振り返らないように足早に謠子指定の店に向かう。

(どーしよっかなぁ……ん、)


 カツン、と乾いた軽い音。


 手を入れていた上着のポケットから落ちたそれを拾おうとすると、

「どうぞ」

 それよりも早く細い指が拾い上げ、秀平に差し出す。

「どうも」

「可愛らしいものを持ち歩いているんですね」

 くだんの美女・真木原知香は微笑む。母親とは違ってはかなげだ。

「…………妹の、です」

 パールとラインストーンで飾られた、きらきらしたヘアクリップ。妹などいないので正確には謠子のものなのだが。午前中に一緒に庭に出たときに預かったままだった。

 きずはないか、石が取れていないかと確かめていると、知香は一歩、距離を詰めた。

「先日、謠子ちゃんと一緒にいらした方、ですよね?」

「よくわかりましたね」

 初対面はスーツで顔が見えるように髪を整えていたが、今はシンプルな無地のシャツにロングカーディガンを羽織っただけというラフなスタイルに、髪も全く整えない伸ばしっぱなしの状態だ。寝癖まで付いている。

「すごくきれいな顔立ちの男性だなって。印象深かったものですから」

「いや、この前髪の長さでよく顔までわかったなって思いまして」

 かまをかけてみる。

 しかし、

「何か、独特の雰囲気、というか……上手く言えないんですけど、ふふ、おかしいですよね私。何言ってるんだろ」

「独特」

 思わず苦笑い。怯えているわけではないが、確かにランナーゆえに自然と気を張っているところはあるのかもしれない。

 と、知香は更にもう一歩距離を詰めると、少しうつむきながら小さく言った。

貴方あなたは、狙われています」

「は?」

「できるだけ、うちの周辺には近寄らない方がいいです。くれぐれも気を付けて下さい。一人で行動しないで。夜は特に危険です」

 どういうことなのか、と問おうとしたが、ぺこりと頭を下げた知香はそのまま小走りで去っていってしまった。


 あっに取られる――彼女は疑われる側ではなかったか?


(逆に罠って可能性も……でもなぁ)


 注意を自分に向けるにしては、慣れていないようだった。あれが本当に男を十一人も消し去ってしまった人間のすることだろうか?


 そのまま考えていると、スマートフォンが振動した。はっとしてポケットから出すと、メッセージが一件。

げんえんこんしょう? ……金足りるかなぁ。とりあえずエクレア優先でいいか」

 優先順位は謠子様、つぶやいて秀平は再度店のある通りへ歩き始めた。



「だからって俺の分一個しかねえとか一体どんな了見だ」

 不満そうに持ったエクレアを見つめる平田に、二個目を手に取った秀平はきょとんとした。大きなデスクに何台も並ぶパソコンに、資料ファイルと本のぎっちり詰まったしょだなに囲まれた謠子の私室は薄暗い。何故かおやつは明るく広々とした居間よりもこの部屋で食べることが多い。テーブル代わりのキャビネットの上はコーヒーの入ったカップが三つと買ってきたエクレアの箱でいっぱい、その小さなスペースをパイプ椅子に座った成人した男が二人とオフィスチェアに座る十一歳の少女が囲むという奇妙な絵面だ。

「珍しい、そんなに食いたかったですか。先輩和菓子派でしょ」

「そーだけどさー! ヴェヌスのエクレア久々だったしー! 俺も二つ食べたかったしー!」

「手持ちの金がなかったんだからしょーがねえじゃねーですか。ノー醤油のお浸しなんて俺もめんですしヴェヌスのお値段設定が悪い」

 はい、と半分に千切ちぎったエクレアを平田の口の中に押し込む。

「本当にきみたちは仲がいいな」

 謠子が一笑すると、食べたがっていた割にはあっさりとコーヒーで流し込んだ平田は、手に持ったままだった自分の分け前のエクレアも二口で食べ切り、更にコーヒーを啜る。

「トダが女だったら嫁にしてもよかった」

「そうですね、たま輿こしなら考えなくもねーですけど残念ながら俺は男ですし戸谷ですよ。……で、まぁ、そういうことがあったわけですが」

 秀平は知香に会ったこと、言われたことを二人に話していた。謠子はほど好物が嬉しかったのか、秀平の話を聞いている間に既に二つのエクレアをぺろっと平らげている。

「確かに知香さんが失踪者を消した犯人とは断定しきれない、けど……それにしてもよく思い付いたね、わざと髪留め落とすなんて」

「たまたま持ってたのが運がよかったというか」

 秀平は立ってデスクの上のウェットティッシュで手を拭き、謠子の髪をヘアクリップで留めた。

「一応傷とか確認はしましたけど、落としちゃったんで壊れてたら弁償しますね。これパール本物でしょ」

「いいよ別に、元々長く使ってるからいつ壊れたっておかしくない。ね、平田くん」

「それよか昨日買った服に合わせるゴムかピンこさえてくれや。可愛いやつ」

「赤系のワンピでしたっけ、明日材料調達しますからお金下さい。醤油代も」

「後でな」

 平田は立ち上がると、

「と~りあ~えずゥ~、もっぺん知香ちゃん周辺の人間関係洗ってみるか。……てェか、そもそもこの事件の情報もらった時期っていつよ、去年の暮れぐらいじゃなかったか? ちょいとしっつれーい」

 いつも謠子がメインで使っているパソコンの前で中腰になりキーボードを叩いた。謠子が慌てて振り返る。

「ちょっと、閉じないでよ! それまだ途中なんだけど!」

「いいじゃんどうせ急ぎじゃねえだろ、謠子様なら最初っからやり直すんでもすぐできちゃうって」

 謠子の頬がぷく、とふくれる。

「じゃあまず真木原宝飾店の取引データ出して」

「三十秒ちょーだい」

「二十秒でやって。簡単でしょ」

「こンの~鬼の子め~」

 袖をまくり、よーいどん、とどくはくしてタイピングを始める。素早い、なんていうレベルではない。たん、と最後のエンターキーを押すまで十五秒とかからなかった。かたわらに置いてあるデジタル時計を見ていた謠子は満足そうだ。

「ふふ、流石だね。余裕じゃないか」

「ふっ、舐めてもらっちゃア困るなお嬢ちゃん、これでも浄円寺データバンク現役ハッカーだぜ? …………あン?」

「何?」

 謠子が覗き込む。秀平も平田を挟んだ謠子の反対側から画面を見た。

「どうしました?」

「こいつ、前に調査資料見たとき載ってなかったよな」

 真木原宝飾店が取引しているおろしうり業者の一つをマウスで辿って選択する。


 安河元宣


 それを秀平が読み上げる。

「ヤスカワ……モト……ノブ? ですかね? 社名……じゃなくて、個人名?」

 他の取引先は社名なのに、個人名と思しきこれだけが浮いている。

「僕の記憶が確かなら、安河という宝飾関係の問屋は少なくともこのあたりには存在しない」

 謠子の言に思うところでもあるのか、平田は自分の座っていたパイプ椅子をデスクの前に持ってきて、再度キーボードの上で指を走らせる。

「どこにもねえじゃん安河なんて宝石問屋。じゃあこいつは何なんだ、個人でやってんのかって話なんだ、け、ど……結構なひんで真木原宝飾店に出入りしてるな。えぇと、大、体、……二年? んん? ……最近データ上書きされてるじゃねえかこれ」

「情報提供した後に書き換えたかな」

 謠子は平田の袖を摘んで引く。

「銀行。口座。別名義の可能性もあるから三分」

「ねぇ謠子様何で無駄にそんな無茶振りすんの五分ぐらいちょうだいよ緊急じゃないじゃん」

「しょうがないな、二分待つよ」

「何で短くなってんの!」

 しかし平田は、

「はい、多分これ」

 二分とかからず、いとも簡単に割り出した。秀平は素直に感心する。

「何度見てもれする腕前ですね、どうせ本業こっちなんだから自称執事辞めたらどうですか」

「俺ちゃーんと謠子お嬢様の執事業やってるもーん両立してるもーん」

「あんたが黒服着てると威圧感すげーんですよクソヤクザ執事」

「あァ? 誰がヤクザだこら」

 いい歳をした男二人のやりとりを完全に無視した謠子が画面に表示されている銀行口座を確認する。

「ちょっとした金額を頻繁に出し入れしてるね。何だろう、動きが多すぎる……一人でやってる感じじゃないな。カードを二人以上で共有してATMを使って預け入れと引き出しを繰り返しているような……それでいて残高は少しずつ増加、貯めてはいるのか」

 平田がちらりと時計を見た。

「謠子様よぅ、そろそろ閉じねえとやばい、捕まる」

「えっ、早くない?」

「技術は日々進化してンのよ、俺らだけがこういうことやってんじゃねえんだから」

 謠子は小さく唸る。

「それはわかってるけど……もうちょっとじっくり見たいなぁ。全部コピー、あとスクショ撮ってプリント。あ、後でまた見返すかもしれないから、一応

「はァ⁉ 穴って、おま、これ最近できたばっかの壁だぞ⁉」

「できるでしょ?」

 にっこり笑う謠子。引き攣った笑いを浮かべる平田。

「悪魔かお前は。いつものことだけど」

「頑張って」

「はぁい!」

 半ば自棄になりつつある平田に作業を任せると、

「二年。謎の宝石問屋。妙な金回り。男性の失踪。知香さんの挙動」

 上を向きチェアをくるくると回転させながら謠子は呟き思案する。秀平がそばに立ってその回転を止める。

「目ぇ回っちゃいますよ謠子様」

「トダくん。これ全部繋がると思う?」

 緑色の目が真っ直ぐ秀平を見る。

「どう、なんでしょうね。戸谷ですけど」

「もしかしたら、予想以上に危険な目に遭わせてしまうかもしれない」

「えぇー……って言ってもやらせるんでしょどうせ」

「ごめん。でも僕は、トダくんを信じているんだよ」

「信頼してもらって嬉しいですけど戸谷です」

 謠子の前髪を上げ、額をぺちぺちと軽く叩く。

「いいんですよ、好きに使ってくれて。俺、貴女の下で動くこと自体は嫌いじゃないです」

 はは、と謠子が笑う。

「父親もキャプターだもんね、案外そういうの向いてるんじゃない?」

まことみたいなずっと施設暮らしの単身赴任のお役人とか向いてるわけないじゃないですか。それとも謠子様、誠みたいになれってんなら、婿さんにしてくれます?」

「あっはっは。五年経ったら考えてもいいよ、でもその前にキャプターになっておいで。何なら口添えしてあげてもいい」

「いーやでーす」

 プリントアウトした紙を謠子に差し出す平田が秀平にようしゃないデコピンをさくれつさせた。

「ふざけんなよ誰がお前なんか認めるか」

「いってーなたった今破談になったのに何しやがるんですかこのクソインテリヤクザ執事」

「あぁ⁉」

「ちょっと、そこ、けんするなら庭でやってうるさい」

 今にも取っ組み合いが始まりそうなのを尻目に謠子は渡された新しい資料――先程画面で見ていたものだが――を改めて眺める。

「前に読んだ資料もざっと目を通しただけだからなぁ。ちゃんと見直す方がよさそうだ。平田くん、出しておいてくれる? トダくんは、……そうだなぁ、とりあえずもう一回知香さんと接触してみようか」

「はぁい」

「戸谷ですけど頑張ってみます」

 少女に言われた大人二人は途端におとなしくなった。




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