第55話 再会と約束
「……ハジメ君、何だろう、見た目変わった?」
冬姉が恐る恐ると、そう聞いてきた。
「どうかな、自分じゃ分からないけど。どこか変?」
「変じゃないよ。ただ何というか、思ってたより……キレイ? ごめん、変な言い方して」
「ううん。冬姉こそ前よりずっと綺麗になったね」
僕は千条院初として冬姉と初めて出会ったときに抱いた感想を素直に口に出した。褒めたつもりだったのに、薄桃色の生地に原色の水玉がちりばめられたパジャマを纏う冬姉は若干不愉快そうに、形のいい頬をぷくっと膨らませて僕に言う。
「そういう事をサラッと言うのは生意気です、マセてます、おねーちゃんは心配です!」
「ごめん、でも本当のことだから。あとパジャマかわいい」
「だからそういうのはもういいってば、……もうっ」
「分かった。でも、これで証拠になったよね」
「証拠?」
「もう元通りだよね、僕たち」
僕の言葉を聞いて、冬姉が話の筋を思い出したように一瞬だけ僕を見つめる。けれど、そのあとわずかに首を斜めにかしげて目を伏せた。冬姉の考えを聞くために、僕は冬姉が口を開くのを待つ。
「……それ、本当?」
冬姉のセリフは、問題が解決したことを確認する意味合いではなかった。問題は何一つ解決していないのではという明確な追及の色を帯びている。
僕は冬姉が口にした疑問に宿った機微に全く気づいていないかのように敢えて軽く問い返す。
「違うの?」
「辺ちゃんが言ったの……私のせいでハジメ君が居なくなったって。私ハジメ君に……告白されて、そういうの考えたことなくて、何て答えたらいいか分からなくって。私、何か言って家に逃げ込んだよね。でもそれがきっとハジメ君を傷つけて、実際に会えなくなって、連絡しても返事もなくて、もう……死んでる、かもって、思って、でも怖くて確かめることも出来なかった。それがたまたま今話ができて、私はうれしかったけど、本当にそれで元通りって言えるのかな……」
冬姉の言葉には、僕の勘違いでなければ、恐れが込められていた。何か一つ選ぶ言葉を間違うだけでこの時間が嘘のように消えてなくなってもう二度と戻らなくなる、そんな疑いに対する恐れだと僕は思った。
直截に言うならそれは、春日初を再び殺してしまうかもしれない、という恐れなのかもしれない。
僕だって正直に言えばそれを感じていた。いざとなれば僕はもう一度あの歩道橋へ向かうかもしれない。今度こそは最後まで実行してみせると考えるかもしれない。
けれど、冬姉は気づいていない。気づいていても辺に怒られた今の冬姉にはきっと選べない。僕たちが互いに知っていた。子供だって知っている。問題解決のための単純な決め事を。
「……細かいことを言うと、冬姉の言う通りかもしれない。僕が告白して、いなくなって、冬姉に心配をかけたんだよね……本当にごめん。それに僕も実際、あー傷ついたわーハジメ君死ぬほどショックだわーって思ってた。でもどうでもいいんだ、そんなことなんて」
「……どうでもいいの?」
「うん。辺から話を聞いたんだ。冬姉が謝りに来たって。それに冬姉がくれたごめんねってメッセージを見て思ったんだ。別にいいよって。だから僕もごめんねって冬姉に言いたかった。ケンカしたら互いに謝って、許して、それで元通りって昔から冬姉言ってたよね? 今回はケンカじゃないけど、でもまあそんな感じ。冬姉の教育のたまものだね」
「……えと、私が言うのも変だけど……そんな簡単に済ませていいの?」
「僕はそれでいいんだ。きっと冬姉の後輩さんだってごめんねって言われたら普通に許してくれる。冬姉の自慢の後輩が僕より心が狭いなんてこと、ないよね?」
僕は冬姉に明るく笑ってそう問いかけた。僕が中学時代にいじめられている間、冬姉に余計な心配をかけないようにと磨き上げた笑顔だ。
「だからこの話はこれでおしまい。僕は生きてる。僕たちは元通り。冬姉と後輩さんも元通り。決定。終了。ていうか冬姉は元通りになりたくないの?」
「……っ! なりたくないわけないっ、よ……」
「だったら本当にこれでおしまい。お姉ちゃん命令も無効だから」
「……お姉ちゃん命令も、効かない……じゃあ、仕方ないね」
冬姉は若干納得いってない雰囲気を漂わせつつも、諦めたような、気が抜けたような、そういう声で降参した。これで最後の勝利条件を満たした。千条院初にごめんと言えばそれで解決、というところまでやって来た。
あとは自由時間である。
命と時間の許す限り思う存分に冬姉との久しぶりの会話を楽しもうと思ったそのタイミングで、不意にドアを三回ノックされる。
片桐だ。二回の場合は残り五分、三回の場合は速やかに撤収。それが今回片桐と決めた符牒だった。
つまり、自由時間終了である。
片桐、そういうとこやぞ、と考えつつも僕は冬姉に別れを告げることにした。
「……ごめん冬姉。もう時間みたい」
冬姉が、言葉の意味を理解できないように茫然と僕を見る。そこに少しずつ、縋り付くような意志の色が広がっていく。
「待ってハジメ君、私もっと……」
「……冬姉、ごめんね。僕行かないと」
僕ももっとここにいたい、という言葉を飲み込む。優しく言い聞かせながらも反論は許さない、そういう口調で僕は冬姉に答えた。
もうここに長居することはできない。そう考えていた自分に、冬姉が狼狽を隠すこともなく話しかける。
「いやっ、ダメ、聞いてよハジメ君、一つだけでいいから」
「……一つだけなら」
冬姉の必死の勢いに負けて、僕はそう答えてしまっていた。
「……ハジメ君にとって、私は何?」
僕と冬姉との関係性なんて決まっていた。
ただ、僕はそれに、あわよくば僕自身の希望も相乗りさせてみようなんて考え始めている。
僕は開き直る。今を逃せば伝える機会はそうそうないのだから、ささやかな願いくらいここで吐き出したっていいだろう、と。
「……幼馴染のおねえちゃんかな、今は」
「……今は?」
「いつかその続きを言えるようになったら、ちゃんと会って、ちゃんと伝える。だから今は、幼馴染のお姉ちゃん。これでいい?」
「そっか……わかった。でもあまり待たせたらダメだよ? お姉ちゃん命令です」
「お姉ちゃん命令なら仕方ないね。できるだけ頑張るよ……それじゃあ、バイバイ」
そして僕は本当にこれで会話は終わりだと表明するように窓を閉め、カーテンを引いた。
今後もLINESで連絡を取る言質は取れた、冬姉と実際に会って話もした、千条院初に謝るきっかけ作りまでできた、これで勝利条件はすべて満たされた。
冬姉が救われたのかどうか今は分からない。冬姉が千条院初に謝ってきたのなら、その時は救われたんだと思ってもいいのかもしれない。どちらにしても、ただの春日初にしては上出来だと思った。
冬姉の姿が見えなくなって、次は明かりを消さなければと思ったけれど、意に反して僕は膝から床にへたり込んだ。
開き直ると決めておいて、いざ自分の気持ちをほのめかしてみれば、まるで息の根を止めようとするかのような緊張が僕を襲っていたのだ。
僕は今、二つの疑問を抱えていた。
冬姉に『その先』を伝えるとき、僕の心臓は耐えきれるだろうか。
そして、この不甲斐ない状態が今の冬姉にバレてはいないだろうか。
ある意味で千条院初の正体が世間にバレること以上の恐怖を感じながら、僕は懸命に乱れた呼吸を整えようとしている。
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