第47話 部長は先輩について語り、僕は混乱する
色浦冬子は私が去年、直々にスカウトした。人の傷の匂いをかぎ分けて声をかけた私がこんなことを言うのは彼女にとって不愉快なんだろうが、控えめに言って彼女は期待の新人だった。これもまた彼女に聞かせられたものではないが、期待というのは、単純に私の興味と言い換えてもらっていい。
何か諦められないものを彼女は抱えている。でも自分が抱えているものが何なのかまるで自覚がない。本人に自覚のない事柄は、さすがの私でも察することができない。私にとって彼女は未知の宝石、その原石のように映った。だから私のそばに置いた。先に言っておこう、私が彼女の抱えるものの正体に気づくまでに半年かかった。
彼女自身、自分が何かを抱えていることに気づいてはいるようだった。彼女は根が真面目なのだろう、自分が抱えているものが何なのかを真摯に探求しようとしていた。彼女は自分自身を探求した。自分が何を好み、何に喜び、何に共感するのか。様々な対象を触媒として、自分がどのような反応を起こすのかを一つずつ確かめていく。そんな営みだ。
結果、彼女は数多の試行の結果として、ショタだの頭を撫でるだの幼馴染だの、私にとって到底関心を抱けないような趣味へと徐々に傾倒していった。傍から見る限り、それは執着と呼んだほうが適切に思えた。今思えば、彼女は
私はただ彼女を見守るだけだった。私なら彼女を助けられたんじゃないか、なんて考えてはいけないよ。私は人を分析できても解決策を提示することはできない。他人のために頭を捻ることについて私は不慣れだ。そういう意味で彼女は先輩に恵まれているとは言えない。
ともあれ、彼女はそんな調子で高校の最初の半年間を報われない徒労に捧げた。
目先を変えればもっと魅力的な道は彼女の周りにはいくらでもあった。いわゆる普通の青春ってやつだ。手を伸ばせば、きっと容易に手に入ったはずだ。それだけの資質を彼女は持ち合わせている。美貌、勤勉さ、優しさ。彼女は本来誰からも好まれる類の人間なのだろう。
だが、色浦冬子はその全ての可能性を自ら捨てて、いつ終わるとも知れない探求にすべての力を費やした。彼女をここまで突き動かすものとは何なのか。流石の私でも後ろ寒く感じるほどの熱意を彼女にもたらしたのは一体何なのか。私はそれを知りたいと思った。
そんな時だ。本来決して表舞台に立つはずのない人間、千条院結が生徒会長に立候補したのは。
私はかつて文化研究部に勧誘する人物として千条院結にも目をつけていた。まあ、君のほうがよく知ってはいるんだろう、彼女の仮面の裏に隠された薄紙のように強固さを欠く精神構造を。私は彼女を文化研究部に誘いはしたが一蹴されたよ。当然の結果だと思っていた私はそれ以上彼女に関心を抱くことはなかった。
そんな彼女が何故、表舞台に立たないという千条院の絶対の掟を破ってまで衆人の注目を浴びる生徒会長に立候補したのか。それ以上に彼女の資質に問題がなくとも、その惰弱な精神構造を鑑みればお世辞にも適性があるとは考えられなかった。そしてそれを彼女自身が理解していないはずがないとも思っていた。
一言でいえば出来心で、私は千条院結が立候補した真相について調べてみることにした。私が君のことを知ったのはその時だ。
千条院の歴史上はじめて十四歳二か月の壁を越えた実の弟を、あろうことか性別を偽ってこの学校に入学させる。そのための万全のサポート体制を確立するために立候補したのだと知ったときは驚いたよ。素直に、馬鹿じゃないのかと思ったね。誤解しないでほしいのだが、これは私からの最大級の賛辞だ。
君の経歴についても私は知った。自殺間際で千条院結に出会い、人体改造とでも言えばいいのだろうか、ごく普通に生きてきた男子中学生が無茶苦茶な教育を受けながら千条院の名に恥じない令嬢へと成長させられていると。
それだけでも興味は尽きなかったが、私を真に瞠目させたのは、君が千条院結と対面する直接的な要因となった出来事に色浦冬子が絡んでいたこと、そして色浦冬子を含む同じ中学に通っていない第三者から見て春日初という存在は消息不明の人間として扱われうる状態にあったということだ。ただの偶然だと見過ごすことはできなかったよ。根拠はなくとも、私は確信した。
色浦冬子を突き動かしているのは春日初という名の消えた幼馴染だ、とね。
千条院結の計画では春日初という存在は当面の間消え続ける。少なくとも千条院結がこの学校を卒業するまでの間、春日初という人物は千条院初としてのみ存在することになる。
色浦冬子を観察する私にとりそれが意味するところは一つ。色浦冬子と春日初が再会するのは、どれだけ早くとも私がこの学校を卒業した後になるということだ。
私は色浦冬子の結末を見届けることができない。それは私にとって確かに重大事ではあった。だが、それ以上に色浦冬子の徒労が更に一年半追加されるという残酷な未来予想が成立してしまうことの方がより重大なことのように私には思えた。
ここで白状しておこう。色浦冬子を観察するだけの自分が、いつの間にか色浦冬子を応援しようと考え始めていたということを。
とはいえ、私にできることなどそう多くはなかった。できることは、人を分析すること、情報を集めること、背景を推測すること、そして新入生を文化研究部に引きずり込むこと。その位だ。
更には、私が彼女の探究に関与する方法も多くはなかった。彼女が望む物品を用意すること、彼女の趣味に対し理解はせずとも認めること。どれも大して実りのある行いではない。一言でいえば、手詰まりだったのだ。だから私は待っていた、千条院初がやってくるその時を。
入学式の壇上に立つ千条院初を初めて見たとき、率直に感じたのは、資料の上で見ていた春日初という少年と目の前の少女がまるで結びつかない、ということだった。壇上で老若男女を問わず万人を魅了する、その千条院初が一年前まで普通の男子中学生だったと疑うことはまるで重力の存在を疑うかのようにナンセンスに思えた。
千条院初がもたらしたこの認識の混乱が、私に一つの閃きを与えた。千条院初が文化研究部に参加したらどうなるのか、ということだ。色浦冬子をもってしても千条院初の正体には気づかないだろう、ならばこの思い付きを成立させる余地はあるのではないかと私は考えた。
春日初にとって失恋相手と顔を合わせることが酷なことであると分かってはいた。それでも私は千条院初が色浦冬子に何かしらの影響を与えるのではないか、というささやかにもほどがある可能性を優先することにした。
実際に君と顔を合わせて言葉を交わして、私はすぐに気づいた。色浦冬子の存在を度外視しても、千条院初は文化研究部に参加する資格を備える人間であると。今にして考えてみれば当然だ。春日初の失踪は色浦冬子に多大な影響を与えた。そうであるのなら、その当事者である春日初本人にもまた多大な影響が残っていても不思議はない。
私はあの時、単純に千条院初が資格を持っていることを喜び、君を文化研究部に勧誘することにした。本当はこの時に気づくことができたはずなのだ。春日初が自殺しようとしていた、という事実に思い当ってさえいれば。
私が見過ごしたのは、春日初が自殺を決意するほどの精神的外傷を受けたのであれば、何らかの理由で色浦冬子もまた同程度の精神的外傷を負った可能性がある、ということだ。はっきりと言おう。色浦冬子は自分の不用意な言葉が春日初を殺したと考え、それを今も悔いているのだろう。消息を絶って一年たった中学二年生の生存を信じることは、単純に合理的ではない。私は彼女の最大の急所に気づいていなかった。
そんな私の目の前で、千条院初と色浦冬子は私の想像をはるかに超えて打ち解けていった。まるで色浦冬子と春日初の関係性を置き去りに、千条院初と色浦冬子という強固で安定した新たな関係性が急速に構築され、それが色浦冬子の救いのない探究に終止符を打たせるのではないか、と錯覚するくらいに。
加えて白状しよう。この時、私は色浦冬子を応援すること以上に、色浦冬子が救われることを望んでいた。そしてその時があとほんの少し手を伸ばせば届きそうな、ごく近くにあるのだと信じ込んでしまった。消化試合とでもいえばいいのだろうか、色浦冬子が足掻きに足掻き続けた長い戦いの大勢は決したのだと私は考えていた。
だから色浦冬子が幼馴染という言葉をきっかけに千条院初と深く話し合うことを止めもせず、むしろ焚きつけた。何が起きたかは知らない。それでも私はここで最後に白状しよう。
色浦冬子と千条院初が昨日、等しく深手を負ったのは、まぎれもなく私が原因だと。
◆◇◆
「……これで、色浦冬子の話はおしまいだ。君も色浦も私を恨む資格があるだろう。煮るなり焼くなり好きにしてくれていい。私はそれを伝えておきたかった」
陽は既に傾いていた。
薄雲を透けて射し込む茜色の日差しを背中に背負った部長の表情は明らかに憔悴していたけれど、その態度は堂々としていた。それが先ほど感じた彼女の決意の表れなのだと僕は頭の片隅で理解したけれど、僕は正直それどころではなかった。
単純に混乱していた。
一息には呑み込めない情報量の事実が僕を弄ぶ。あらかじめ部長から刺激が強いと警告されていなければ、僕はすかさずこの場から逃げ出していただろうと思う。思わず嘔吐いてしまいそうになるのをなけなしの意志で封じ込めながら、僕はテーブルに視線を落としていた。
僕は情報を整理しなければならなかった。
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