第46話 部長はよく分からない部活について語り、僕は僕の持っていないものに気づく

 まずは私、三住観咲みすみみさきの身の上話からさせてもらおうか。必要な情報だからね。私は様々な国会議員の元を渡り歩く政策秘書の娘だ。父はその界隈では有名な人物で、三住と名乗ればそれだけで有象無象の政治家から三顧の礼で迎えられる存在でもある。どんな人間かと言えば、内政だけでなく他国との交渉、果ては自国が直接関与しない紛争の開始時期までをも一議員の補佐という立場からコントロールしてしまう力を持つ……まあ化け物だ。


 そんな父を支えるのが私の母。名を綾世あやせという。本名よりも別名のほうが有名かもしれない。千条院家当主の懐刀、あるいは千条院家当主の実妹。父の業績はその筋において冠たるものと言ってもいいだろうが、その実、実務のほとんどを取り仕切っていたのは私の母だ。表舞台に立つことなく世界を動かす、本物の化け物だ。いかにも千条院らしいと君も思うだろう?


 そして私はそんな化け物の娘であり、同時に君たち姉妹? 姉弟? ……ややこしいな。要は君たちの従姉いとこにあたる。そして千条院の血を引く私もまた一種の天才でね。人が言うには、人物評価の天才であるらしい。


 おそらくは幼少のころから両親の仕事場で多くの人間を見てきたからだろう。人と対面して二言三言言葉を交わし挙動を観察するだけで、私はその人物の人となりや考えていることをおおよそ正しく推測できる。仮に私が君について一切の情報収集をしていなかったとしても、会って話さえしてしまえばさっきと同じように股間を掴み上げていただろう。


 その程度の目利きは可能だと自負している。


 そんな私の才能は父の跡を継ぐにあたって十分に有用なものだ。政策秘書の仕事自体にも興味はあるから、順当にいけば私は父の後継者となるだろう。ただ、これが致命的な問題でもあるんだが、私は他者を容易に理解できてしまうがゆえに、他者に関心が持てない。トリックの分かる推理小説に興味が持てない、そんな感覚に似ているだろうか。


 私の口の悪さは君も知っているだろう。私の言動で他人がどう思うか想像は付くが、他人に関心が持てないから言葉を選ぶ必要性を感じない。幾度となく君をイラつかせた理由がこれだ。悪いとは思っているが、なかなか治らない。


 まあ、私の口の悪さ自体は重要な話ではない。


 重要なことは人を評価できることと人と共にあることはまるで別物だということだ。相手がどういう人物かを理解することと、友人や恋人、あるいはビジネスパートナーと共に時を過ごし、共に何かに取り組むこととは違う。私の才能は他人と共に生きるに資するが、他人と共に生きるための保証にはならない。


 わかりやすく言えば、私は誰かがいることで力を発揮するが、私は孤独になりうるし、自分の性格を踏まえれば孤独になる可能性のほうが高いということだ。つまり、私は自分の能力が宝の持ち腐れになると自覚しているんだよ。そのことに不平や不満を感じることはないが、もったいないとは感じていた。


 だから、探すことにしたのさ、自分の使い道を。


 今でこそ私は性格のひねくれたインドア陰キャ女で通っているが、本来は行動力に自信があり、その場限りの他人と良好な関係を構築できる申し訳程度のコミュニケーション能力も持ち合わせている。中学にいた頃、そしてこの学校に入学してすぐの時期は、他校の人間も含めてひたすらに他人と接触していた。まるでナンパを受け続ける君みたいに、あるいは君以上に。


 接触した人間は、そうだな、思春期らしいといえば良いだろうか、程度の差はあれややこしい精神を持つ人間だらけではあった。だがサンプル数が千を超え、万に近づいてきたあたりで、私はあることを認めるに至った。この世の人間の多くが、何かを諦めて、その代わりとして得られる幸せに満足しようとするということだ。


 恋に破れた少女が、慰めてくれた男子と恋をする。部活に全力を注いで学業がおぼつかなかった生徒は、高校でも部活を続けることに希望を抱き、それこそが素晴らしい青春だと思い込む。学業だって同じだ。成績、その一点において他者に優越する、その果てに豊かな未来があると信じる。たとえその過程に恋がなく、きらめく青春がなくとも。


 一言でいえば、それは妥協だ。けれど私はそれが良い悪い、という話をしたいのではない。単にそういう人物が多く、そして彼ら彼女らなりに、確かに幸せを感じていることは事実だという、ただそれだけの話だ。


 ただ他方で、どうしても何かを諦められない人間も確かに存在していた。初恋に破れた、それでもどうしても諦められない。部活に全力投球してはいるが親の家業を継ぎたい、家業を継ぐための進学先を選ぶには学力が足りないけれど、どうしてもどちらも諦められない。果ては学業も部活動も恋愛も遊びも何もかも絶対に満喫してみせるなんて強欲な人間もいる。


 頭がおかしい、と人は言うかもしれない。事実頭がおかしい思ったことを私は否定しない。けれども、そんな人間が自身の前に立ちはだかる険しい壁を乗り越えた時、まるで夢のような幸せを手に入れることがある。私はそれを、ただ単純に目撃したいと思った。


 では、そのためには何をしたらいいのだろうか、と私は考えた。私の導き出した方法論は、諦めきれない何かを抱える人間を保護し、壁の向こう側まで導く、あるいは導けずとも壁を乗り越えるための力を蓄えることのできる場を用意する、ということだった。


 何かを諦めきれない人種は、多くの傷や挫折、懊悩を避けようもなく抱えている。私は私自身の目利きをもって挫折や懊悩を抱えた人間を見つけ出し、私の用意した場へと誘い込み、彼ら彼女らの、覚醒とでも呼べばいいのだろうか、その時が来るまでの経過を観察しようと、そう考えた。


 そんな企みを小脇に抱えて私はこの学校に入学した。そうしたら、すでに存在していたのだ。私が作ろうとした、その場所が。


 よく分からない先輩に、私はその場所へと誘い込まれた。まるで引きこもりの部屋のようなその部室には、少数とはいえ誰かしらが居て、彼らの間には共感であったり連帯であったり、形は様々だったがただ同じ場所にいるだけではない何かしらの関係性が存在していた。


 そして彼らはよく分からない先輩に、一様にこう諭されていた。


 ここは僕たちがいつか出ていく場所だ。二度と戻ることを許されない場所だ。そして僕たちの不確かな未来に勝算を兆す、そのためだけに存在する場所だ。行動理念は一つだけ。いつの日か自分の足で歩いて、自分の生きたい場所へ行け。


 その部活動の名が、文化研究部。活動内容があいまいで有るがゆえにあらゆる人物を受け入れ、またすべての未来へと進むためのあらゆる活動を許容する、そういう部だ。この部がいつから存在しているかは私も知らない。ただ、学校の片隅でそれは脈々と受け継がれ、縁あって今私が部長を務めている。



◆◇◆



 そこで、部長は一度話を止めた。長机の上のコーヒーが湯気を吐き出すことをやめていた。僕は部長の話を咀嚼そしゃくしながら、僕がこの部に入ることになった真の理由に思いを巡らせていた。


 部長は、僕が見て、知って、想像しうる限界を超えた先まできっと見通している。そんな部長ですらが誰かに導かれてこの部に参加した。文化研究部とはそういう部であるらしい。


 この部への参加資格は、何かを諦めきれない人間であること、あるいは深刻な挫折や懊悩おうのうを抱える人間であること。


 僕には諦めきれない何かがあるんだろうか、どんな挫折や懊悩を抱えているのだろうか。それは簡単に言葉にできそうで、少し思い浮かべようとしてみたけれどうまく像を結べなかった。


 そんな僕を部長が、いつも通りに人を食ったような笑みを浮かべて楽しそうに眺めていた。


 「そう簡単に言葉にできたら苦労はしないさ。それを可能にするためには自分が見たくないものも口にしたくない思いも、すべてをさらけ出した自分を理解して受け入れようとする意志がなければならない。陳腐な言い方にはなるが、それは俗に勇気と呼ばれるものだ。千条院初、君にそれはあるかい?」


 あるかどうかは分からない。あればいいとは思う。一方で、それを見た記憶はあった。アウトレットモールの噴水前で。


 僕に文と同じ真似ができるだろうか、と考える。そして歯がゆさを覚える。今の自分にはできていない。だからきっと、今の僕にはそれがない。


 僕の表情からすべてを見通したのだろう。部長は肩の力をぬけよ、とでも言いたげに肩をすくめて口を開く。


 「それが高校生になりたての人間の中にあるかどうかは本来大した問題じゃない。君のお気に入りの先輩たる色浦冬子だって、同じくまだ持っていないだろう」


 「冬ね……色浦先輩も、ですか?」


 「可愛いねえ、ふゆねえ、か。かつての君はそれはもう思う存分撫でまわしてもらえたんだろうな?」


 心底楽しそうに僕をからかう部長を、僕はジト目で睨みつける。部長は両手を上げて降参の意志を表明すると、しばしの間目を閉じた。冗談めかした態度の裏に、こちらへ向き直る仕草の端々に、別の感情が見える。


 僕の知る限り、それは決意に近い。


 「……悪かった、冗談だ。本題の枕にちょうどいいかと思ったが悪趣味だった。そろそろ再開しようか、色浦冬子の話だ。あらかじめ言っておこう、君には刺激が強い話になる」


 そして再び、部長の語りが始まる。

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