第38話 女の子同士の話と称して黒幕を追求する
屋上階段の踊り場に上がってきた二宮さんは先ほど一瞬だけ見せた動揺を見事に押さえつけて、僕に向き直る。
『……女の子同士の話に聞き耳を立てるなんて野暮な真似をする殿方はいませんわよね(=さっさと消えろ。余計な真似したら世界中の全女子を味方につけて社会的に抹殺してやる)』と僕が言うと、残りの男子三人は心配そうな視線を二宮さんに向けつつもその場を立ち去った。
「それで話って何ですか?」
「漫画の話です。この漫画、二宮さんもお読みになりましたか?」
僕は見た目からは想像できない程の容量があるブレザーの内ポケットから『スポ×コイ☆キラキラデイズ』の一巻を取り出して見せた。
「はい。私が紗良ちゃんに勧めた漫画ですから」
これが二宮さんが黒幕だと目星を付けた理由だった。少女漫画を男子から女子に勧めることは単純に考えづらい。
「主人公がすごく魅力的ですよね。運動神経抜群の女の子が様々な男の子たちと関係を深めていく。彼女が活躍するシーンはとてもかっこよくて、私も憧れてしまいました」
「そうですか」
「きっと、一条さんもそうなんですよね」
「何が言いたいんですか?」
「一条さんがこのストーリーをなぞろうとしているように見えます」
この第一巻では、この間で入学当初のスポーツ部の道場破りシーンの後、幼馴染の助言により新たな部活を立ち上げようとするが障害が立ちはだかり……以下次巻、という所までが描かれている。
奇しくもそれは今の一条さんが現在置かれている状況でもあり、見方を変えれば、一巻の終わりでもある。
僕が満を持して会話の冒頭に仕込んだ、さりげなさ過ぎて気づかれない系ジョークである。
僕は二宮さんを見つめる。ジョークは拾ってもらえない。
二宮さんは僕が何を言っているのか理解できていない、という風を装っている。
瞳孔が震える程度だけれども、確かに視線が揺れている。
動揺が現れている。
「一条さんはキラキラとした高校生活に憧れていた。それを聞いた誰かがこれおススメだよと言ってこの漫画を読ませた。彼女には憧れを実現するだけの意志の強さと能力とが備わっていた。結果として今彼女は行動を起こしている……そのように見えます」
「紗良ちゃんはこれと決めたらやるんです。何も不思議はないって思うんですけど」
「そうですね、一条さんのすごさは私も感じています。ただ、一つだけ疑問があるんです」
「疑問?」
「誰も彼女の行動を止めなかった、ということです」
二宮さんが探るような目で僕を見る。
「一条の名を持つ人間が千条院に敵対する。あまつさえ子供同士のいさかいに大人を巻き込もうとしている。それが誰の得にもならない行動であることに気づく人が彼女のそばにいたはずです。少なくともあなたたち四人は真っ先に気づいてしかるべき、いえ、きっと気づいていた。なのに誰も止めなかった。不思議ですね?」
「他の人の考えは私にはわかりません」
「私は一条さんをコントロールする以上に、周囲の行動を制限、あるいは誘導した人がいると考えています」
「それが私だと言いたいんですか?」
「証拠はありません。ですがそうですね、疑うに足る事実があることは知っています」
「何を知っているって……」
「そうですね、例えば……でもその前に、失礼しますね?」
「え……きゃっ!」
僕はそこで言葉を切って、僕は二宮さんに近づき眼鏡を取り上げる。
野暮ったい眼鏡を外した二宮さんの素顔はメイク次第でいくらでも印象を変えられそうな中庸の、しかし素のままでも十分に間近での鑑賞に堪える素性の良さを感じさせた。
「……すごくきれいな顔をしていますね。磨けば光ると言われませんか?」
「……分かりません。普段からメガネは外さないので」
「そうですか。でしたらこれは人違いかもしれないですね」
そして僕はスマホで冴さんから送ってもらった写真を表示させ、適当にスクロールしつつ二宮さんに突きつける。
一人の女子が三人の男子とそれぞれ仲良くしている写真。髪を触っていたり、肩を掴んで抱き寄せていたり、首に手をまわして見つめあっていたりする写真の数々だ。
中には顔がはっきり見えないものも含まれているけれど、そうでなくともその女子の正体が素顔の二宮さんだという事は容易に見て取れる。
そして三人の男子というのも一条さんの取り巻きである三人の男子であることが分かる。
「そんな、何で、誰が……!」
そう言って俄かに取り乱す二宮さんの反応は明確にクロである。
僕は油断なく親しみやすい表情を保ちながら二宮さんの言葉に答える。
「誰かは存じません。ですが私は思うのです、仮にこの子から何か頼みごとをされたなら三人は受け入れるのでしょうと。そう感じさせる程度の親密さがこれらの写真からうかがえます」
「……想像ですね。ただの想像で先走る、まるで紗良ちゃんみたいです」
「その通り、想像です。ちなみにこれから皆さんで答え合わせをして頂いてもよいのですが、いかがでしょう?」
「……」
二宮さんは黙っていた。
彼女はおそらく、その一見平凡な外見からは想像もつかないほどに賢明で思慮深く、そしてここぞというタイミングで自らの素顔という強みを生かす術をわきまえる程度には強かだ。
彼女はすでに気付いている。僕が行動に移ったその瞬間、自身を取り巻くこれまでの関係全てが破綻するということに。
「……とはいえ、今のところそのつもりはないのですが」
「……何が望みなんですか?」
「話が早くて助かります。私の望みは一つだけです――」
僕は少しだけ微笑の色を変える。親しみやすさの中に真摯さを少しだけ溶かして、僕は本題に切り込む。
「――二宮さん、あなたのことを知りたいのです」
二宮さんの表情からは、自分が追い詰められていることについての自覚と、それでもなお状況を好転させる一手を探る強い意志がうかがえた。
「千条院さんの目的が分からないんですけど。あなたがさっき言った通り、証言をそろえられたら私たち……いえ、私は負けです。何でそうしないんですか?」
それは当然の疑問だった。僕が断罪への一歩を踏み出すだけで僕は勝利を手に入れられる状況にある、それをしない理由が二宮さんには見えていないのだ。
「理由は三つあります。ここで証言を揃えて事実を明らかにしても、『千条院にケンカを売った結果、娘の暴走と彼女に近しい人たちの痴情のもつれが原因だったとバラされて返り討ちにあう』という屈辱的な泥を一条の家名に塗ることになる。千条院は敬愛と調和を旨とします。ゆえに禍根を残した時点で千条院にとっては負けなのです。とはいえ、必要であればよその家の名に泥を塗ることも
「……」
「次に、一条さんがこの事実を何も知らないからです。親友と婚約者を同時に失うことになる彼女が負うことになる傷は、そう簡単に癒えることはないでしょう。一条さんであればそれを表に出さないのかもしれません。それでも傷は残り、人知れず痛む。それは忍びないのです」
「……それで、三つめは」
「これは私の想像でしかないのですが、一条さんに深い傷が残るように、二宮さん、あなたもまた手ひどい傷を負うからです」
「私がですか? 何で」
「あなたは一条さんを一つの道へと追い込んだ。ただそこには本来一つだけ脱出口が用意されていた。部室を手に入れた一条さんの目を覚ますことです」
二宮さんは僕の言葉を聞いている。僕の認識を確かめるように、自分だけが知っている事実にどれだけ迫るつもりのかを見極めるかのように。
「一条さんは本来聡明な人です。だとしたら部室を手に入れた後のどこかで気づくはずです。私は漫画のヒロインになれるかもしれない、けれど相応しい相手役が実際にいるとは限らないと。適当なところであなたは一条さんを憧れから覚まさせる。あなたと男子たちとの関係もただの火遊びとして消滅させる。やがて皆はあるべき日常へ戻っていく。全ての問題は過去の中に消えていく。悪くないシナリオだと思います」
「……」
「ですが私が文化研究部を存続させた。私は無自覚にあなたの残していた退路を絶った。二宮さんが男子たちにどれだけの思い入れをお持ちかは存じません。ですが、確実にあなたは親友と呼べる人を一人失うことになる。それも自分自身の行いの結果として。あなたはもう進むしかなかった、どんな手を使ってでも。けれども結局、あなたの命運は今私の手に握られている」
「……」
「……と、ここまでが私の想像です。ですが、最終的に一つの疑問が残るのです」
「……それは?」
「何故あなたがこんなことをしたのか、ということです。私はそれが知りたい、でなければ私はあなたを見殺しにするしかなくなる。それは嫌なのです」
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