第36話 サスペンスドラマの刑事に改造されつつ姉様の改造に手を付ける

 姉様をギャン泣きさせた翌日の夕方。

 千条院家の屋敷の一室には僕と姉様、冴さんに片桐が揃っていた。


 集合した目的はキラキラ部にどう対応するか相談することである。


 発言者は基本的に僕と姉様の二人である。たまにレポートの内容を補足するために冴さんが言葉を挟み、片桐は顔をムズムズさせながらあくびを噛み殺している。


 レポートの内容と生徒会室で実際に一条さんと会話した内容、レポートでは直接言及されていない一条家と千条院家の関係について互いの認識を確認するように、僕は口を開く。


 「……この件に関係する人物は一条紗良、婚約者の安川誠、一条さんの親友である二宮理佐、一条のグループ会社社長の息子であり親の関係で一条さんと知り合った西本康太、一条紗良と家族ぐるみの付き合いをしている幼馴染の吾妻翔平……ただの同級生じゃなくて、みんな何かしら一条さんに関係があるんですね……」


 「しかも揃いもそろってキラキラ部にこだわるとか、どんな集団なのよこいつら……」


 「でも皆さん、キラキラ部以外の面では特に問題のある人物ではないようですね」


 「……何であんな猛獣みたいな生き物が教師にもクラスメイトにも評判がいいのよ……」


 レポートの内容から判断する限り、一条さんも含めたキラキラ部の面々に素行不良や悪い評判はたっていないようだった。


 正直、空気が重たい。ドラマで見る殺人事件の捜査会議のような緊迫感である。


 ……あれ、僕なんでサスペンスドラマの刑事デカに改造されてるの? 荒事専門の便利な用心棒ポリスってことだったの? と姉様に聞いてみたくなるけれど、空気が壊れること必至なので口に出せずにいる。


 ただ、場の空気を重たくさせる原因は先に確認した彼らの人となりとは異なる点にある。


 「……これ、誰も得しませんよね……?」


 「そうね……何でこんなことの為に私たちが悩まなきゃいけないのよ……」


 僕と姉様から見た状況とはつまりこうである。

 一条家と千条院家がそれぞれキラキラ部と生徒会の背後についている。そして仮に互いに家の看板という名の大人たちの干渉を含めて真っ向から争うとする。


 キラキラ部の主張を通す場合、キラキラ部にとってのメリットとはキラキラ部の部室を得られるということだ。

 デメリットはどうでもいいことで因縁をつけた一条家が千条院家との間に保っていた友好的な関係を損なうこと、そして一条さんが得るであろう『家の力で我がままを通す女』というキラキラという言葉とは程遠い悪評である。


 一方生徒会の場合、得られるメリットはこれ以上この問題に手を煩わせる必要がないという事実。言い換えると問題発生前にただ戻るだけである。

 デメリットは一条家との間に生じるささやかな禍根、そしてあの一条さんの今後の行動という姉様の悩みの種。


 互いに自分の主張が通らなかった場合は得する要素がないのでここでは考慮しない。


 一言で言えば、勝ってもデメリットがメリットを上回り、負ければデメリットしかない。そういう不毛な争いである。


 ちなみに千条院家の家訓は敬愛と調和、一言で言えば敵を作らないという事である。それもあって僕も姉様ももめごとの種を残すのは可能な限り避けたい立場なのだけれど――


 「……初、あの猛獣が無難な決着を求めると思う?」


 「……いえ、想像もつきませんね……」


 ――落としどころを探そうにも頑なな一条さんをどうしたら止められるのか見込みが立たない、という割とどうしようもない状況なのである。


 「初は何か気づいていることあるかしら?」


 「そうですね、色々思うところは。互いに利益がない以上、この争いから利益を得ることのできる第三者がいるのではないか、ですとか……」


 「それはそうね……仮にいたとしてその目的も利益もまるで見当がつかないけれど……」


 「……それに、その第三者は一条さんの行動をある程度コントロールできる立場にいる可能性が高い、ですとか」


 「……ところで初、スポ根キラキラ頭読んでどう思ったかしら?」


 真剣な空気の中で挟まれた可哀想なタイトル間違いにはあえて触れず、僕は脳裏に漫画のあらすじを思い浮かべる。


 中学三年の春に海外から帰ってきた帰国子女の女の子は、夏に開催された数々の部活動の大会を応援し、部活動に対してキラキラとした強いあこがれを抱く。


 高校入学を機に部活を始めようと行動を始めた彼女は、人種の異なる海外在住時代のクラスメイトにも引けを取らなかった高い身体能力と抜群の運動センスで数々の運動部を無自覚に荒らしまわり、勧誘の嵐に遭遇することになる。


 どの部活に入ればキラキラするのか分からない主人公は、『ならどの部活にも顔を出す部活動でも作れば?』という幼馴染の適当な助言によって実際に部を創設。言い出しっぺの為しぶしぶ彼女をサポートする羽目になった幼馴染の男子や主人公の親友、クラスメイト、各部のメンバーまで巻き込んでキラキラするために頑張り続ける……


 ……大まかに言えば高校入学後の一条さんの行動そのものである。行動の起点がよくある子供っぽい憧れであったとしても、その後漫画のシナリオ通りに行動して本当に実現させてしまうとか、発想も能力もちょっと普通ではない。


 「……あの漫画が一条さんの行動を規定しているのは間違いないですね。逆に言えば一条さんが他の影響をうけて行動しているとは考えづらいです」


 「だとすると、黒幕の正体はまあ予測がつくわね。とはいえ直接的な証拠はないし猛獣を暴れさせる動機も目的も不明。問い詰めてもしらばっくれるでしょうし。決め手がないわね、時間もそう残ってないのに。もっと徹底的に調べ上げ……」


 「姉様、仮定の話ですけど、もし黒幕を問い詰める材料がそろったとして勝利条件は二つですよね」


 僕は恐怖のレポートが更に量産されてしまうことを危惧して話題を変えた。しばしの間をおいて、姉様の様子に異変が生じる。


 「猛獣と黒幕、それぞれの説得もしくは懐柔。それも二人に連携を取らせないよう同時に、別々の場所で実行するのが最善かしら……私、囮なしであの猛獣とそれを手なずける猛獣使いのどちらかを相手にしなきゃいけないの……?」


 仮定の話だけで既に姉様は泣きそうである。


 二人同時に、別々の場所で、ということは僕と姉様が別行動を取ることになるということだ。

 冴さんが学校に潜入することはともかく、姉様のそばに立ち会うことは不可能ではなくとも理由付けが難しい。

 生徒会メンバーの先輩たちは頼りになるはずなのだけれど、姉様へのあふれる信仰心が暴走を始めた場合に事態がどう転がるか読み切れないため、話し合いに同席させるにはリスクが残る。自分が何を言っているのか分からないけれど間違いではない。


 結局のところ、メンタルよわよわの姉様はたった一人で一条さんと彼女を操る黒幕のどちらかと向き合い、説得を果たさなければならないのである。


 「……姉様、その時は一条紗良の説得をお願いします」


 「ひぃっ!」


 怯懦の声を漏らす姉様の目に涙が浮かび始める。


 別に僕の発言は姉様をむやみに危険に放り込んで楽しむことを意図したものではなかった。

 僕は自分自身が秘めた楽観的な勝算を少し信じてみたくなったのだ。だからあえて姉様をしおらしくしてみたのである。ややこしいことを考えられなくして、僕の勝算を五歳児の姉様に言い聞かせるために。


 姉様を普通の女の子へと、少しだけ改造するために。


 「私、姉様に伝えていないことがあります」


 「……何……?」


 「あの漫画の存在を私に伝えたのは、読めば私がキラキラ部を作ろうとする気持ちが分かるから、という意味です。私たちを取り込む、という考えもあったのでしょうけど、一条さんはきっと単純に、私たちに漫画を薦めたかったのです」


 「……それが、何なの……?」


 「姉様はあの漫画を読んでどう思いましたか?」


 「……面白いとは……思ったわ……」


 「これはチャンスです。あの漫画をきっかけにして一条さんを姉様の友達にするのです」


 「……友達……?」


 「そして一条さんはこうも言っていました、姉様や私がキラキラしていると」


 「……キラキラってそんなの……私よく分からない……」


 ですよね、僕も分からないんです、と正直に答えても話が進まないので僕は特に意味のない頷きを返す。


 「大事なことは、キラキラしてる姉様はきっと一条さんにとってただ嫌い、敵対するだけの存在じゃないはずだということです」


 「……そう…なの……?」


 「きっと友達にだってなれますし、一条さんも姉様を見ているうちに気づきますよ。キラキラ部がなくてもキラキラできるということに」


 ……というか、何で気づかないんだろう、と僕は思う。


 「……でも、あの猛獣怖い……」


 「大丈夫ですよ、姉様。姉様も一条さんも同じものが好きな、ちょっと変わっているだけの普通の女の子です。難しいことは何もありません、ちゃんと話せば仲良くなれますよ」


 「……普通の……私は、普通の……」


 姉様は僕の言葉に昨日ほど取り乱しはしなかった。僕は春日初としての実感を姉様に伝えた。


 「そうです、そしてこれは普通の妹からのアドバイスです。ただ近くにいるだけの人同士が仲良くしていたらいつの間にかなっている間柄、それが友達なんですよ?」


 「……それが、ともだち……?」


 姉様が、そのおやつ食べていいの? と尋ねる子供のような上目づかいで僕を見る。僕は自分で作った自慢のお菓子を振る舞うように、姉様に微笑みかけた。


 「はい! 覚えてくださいね」


 それから姉様は黙り込み、自らの思考に集中し始める。

 今日の話はこれで一旦お開きにして良さそうだ、と感じた僕はゆっくりと席を立った。


 「姉様、黒幕を追い詰める材料が見つかれば即決行です。準備はしておいてくださいね。あと冴さん、少し相談があります。一緒に来てもらえますか?」


 「かしこまりました」


 僕は会話をそこで打ち切り、事務的に答えた冴さんを連れて廊下に出る。姉様の部屋とは反対方向へと進み、角を曲がったところで冴さんに言う。

 僕がこの件について思うところを調べてほしかったのだ。


 「お願いがあります。一条紗良とお付きたち、五人の恋愛事情についてもっと詳しい情報を証拠付きで集めることはできますか? できればスキャンダル的な意味で。結果は私にだけ教えて欲しいのですが」


 冴さんは事務的な、けれど強い決意を帯びた声音で答える。


 「お任せ下さい。明日の昼までに揃えてみせます」


 そして冴さんは楚々としながらも確かな足取りでどこかへと消えていく。いつになく冴さんは燃えている、と僕はすぐに気付いた。

 何故なら、僕も同じなのだから。


 僕がその後自室へ戻ると、漫画雑誌を抱えた姉様が扉の前で待っていた。


 「……どうしたのですか、姉様?」


 「……少しだけ初の部屋にいてもいいかしら」


 特に断る理由もないので姉様を部屋に招いたけれど、姉様はティーテーブルと共にしつらえてある椅子に腰を掛けたまま、静かに漫画雑誌を読み返すだけだった。

 僕はその間、授業の予習復習を手早く済ませ、姉様の存在を背後に感じながら黙々と黒幕を追い詰める算段を固めていた。


 姉様は結局夜が更けるまで僕の部屋にいて、一言も発することのないまま自室へと戻っていった。


 漫画雑誌は僕の部屋に残されたままで、眠気をこらえつつも僕は一番上に置かれていた一冊を手に取り、そのままベッドへ寝転んで中身を眺めた。

 姉様がこの部屋に来てから考えていたことが何か分かるかと思ったけれど、結局分からないまま、気づけば僕の意識は闇に落ちていた。

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