第22話 デートを遠慮なく楽しむ僕、姉様に嫉妬されるも逆に泣かす

 夏目文なつめあやは美少女である。


 役得だなあ、と思う僕と僕の内心に気づかない夏目さんはそれからの放課後、連日の制服デートを楽しんでいた。


 言うなればこれは、表向き女の子であることにかこつけ相談の解決策という建前を掲げたナンパの成果である。春日初であれば実行に怯むこと間違いなしのデートのお誘いも、千条院初である今の僕には女の子同士という建前があるのでどうにでもなるのだった。


 一応良心は痛んでいる。


 とは言え、普段自由に外出する機会がほとんどないため、僕にとってこのような時間は貴重である。僕は正直上機嫌だった。


 デート、といっても興味の赴くままに街やお店を散策するだけである。


 僕の見つけた店や彼女の興味ある店を冷やかし、スイーツを味わいながら他愛のない話に相槌を打ったり笑わせられたりする。


 アイスを一口ずつ交換したり、カラオケで熱唱したり、プリクラを撮ったり、女子が好きなドラマや俳優の話に相槌を打ったりしながら、彼女と僕の間に聳え立つ見えない壁が融解していくのを辛抱強く待ち続ける。


 僕の護衛である片桐はその間、一定の距離を保ったまま僕らを監視し、ナンパ男や疑わしい人物の接近を防いでいた。


 人の多い場所、予定のない移動ルート、護衛としては悪条件が重なり負担を強いていることは重々承知しているが、仕方がない。


 かわいい服を試着してキャッキャしたり、おしゃれな小物を物色したり、ガチャを何百連回せるか一目では分からない値札をひっさげるブランド物のバッグを眺めてうっとりするも仕方のないことなのだ。


 必要なことなのだ。


 だってほらその甲斐あって、夏目さんの口調から固さが取れてきて、注意深く用意した僕のジョークを少しずつ拾い始めて、二人の間に霧のように横たわっていた遠慮が徐々に晴れていって、そして……。



◆◇◆



 「というか、ただ遊んでいるだけでは……?」


 いらだちを隠そうともせず、姉様は冷たく僕に問う。


 「必要なことなのです」


 と、僕は悪びれることもなくふっくらとした湯気の立ち上るティーカップを手に取り、ふくよかな香りを楽しむ。


 姉様の自室で高校デビュー指南の状況について報告する僕とそれを聞く姉様がいる。


 僕たちの様子を冴さんと片桐が無表情で眺めている。正確には無表情ではなく、それぞれに微かな呆れと疲れの色が見える。


 「だってどう見ても楽しんでいるじゃない! 何これ、ケーキを互いにあーんして、口元についたクリームを指で……指でぇっ! 千条院の風上にも置けないわ! 恥を知りなさい!」


 姉上は備え付けのテレビに映し出されている僕と夏目さんのデート盗撮動画を、僕の口元に彼女が指を伸ばすところで一時停止させてぷりぷりと頬を膨らませる。


 「必要なことなのです」


 僕は紅茶を優雅に一口飲んで、ほぅっ……、と心地よく息をついた。


 「人と人との関係は一朝一夕では築けません。日々の積み重ねが大切だと、そうは思いませんか?」


 「うるさい!人の心なんて薬物と催眠術で一発よ! 初だって分かってるでしょ!?」


 「学友を洗脳するのは倫理的にNGですよ、姉様」


 この家では時々人倫に悖る発想が自然と飛び出す上に誰も眉一つ動かさないから、おまわりさんこいつらです、と指さしてのたまいたくなる。


 「う~~~っ」


 呻く姉様の手元でリモコンがきしんでいる。


 心底悔しそうな姉様の表情に僅かならざる嫉妬の色を見て取った僕の脳裏に一つの疑問が浮かぶ。そのリモコンの電池は単三ですか、と尋ねるような何気なさで僕はいてみた。


 「……そういえば、姉様のご友人の方ってお目にかかったことありませんでしたよね?」


 「うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!」


 脊髄反射の速度で姉様の慟哭が響きわたる。

 僕は姉様の地雷を無警戒に踏み抜いたのだと刹那のうちに理解させられた。


 ……なるほど、姉様には友人がいないのか、それもそうか、と僕は無慈悲に納得してしまう。


 「さえー、ハジメが私をいじめるわ……ずずっ!ぐひっ」


 「今のはいけません、ハジメ様。おーよしよし、大丈夫ですよ結様。私がついてますよー」


 「さぇ……さえー……うわーーーーん!」


 事務的に姉様をあやす冴さんの冷ややかな視線が僕を射抜く。

 彼女のエプロンにたちまち巨大なシミを作り上げていく姉様は実は五歳児なのではないかと僕は心の片隅で疑う。


 それと同時に、この二人は僕を非難するときにハジメと呼ぶのだという、しょーもない事実に気付く。


 そして片桐がぼそりと、……泣ーかした、と呟く。


 僕はそれから30分に渡り謝罪を続けて姉様を泣き止ませることに成功したけれど、明日は土曜日なので朝からデートです、という言葉のナイフを口にすることは結局最後までできなかった。



◆◇◆



 そして翌日。


 待ち合わせ場所である駅前に30分前に到着した僕は、ポニテにフェミニンな装いで夏目さんを待っていた。


 さほどの間も置かずに現れた夏目さんは黒のTシャツとスカートに白くもこもこした生地のブルゾンをまとっている。ゆるく巻かれた長い髪は束ねて横に下げられていた。普段は美人で通っている夏目さんの印象とは異なる可愛い印象の装いだったけれど、不思議とよく似合っていた。


 「ごめんなさい、待った?」


 「今来たところですよ」


 「千条院さんいつもと印象違うね?」


 「デートですから。文さんもすごく可愛いです」


 「えへへ、そうかな。ありがと」


 「では、行きましょうか」


 「そうだね」


 というように集合の儀式を終えた僕たちは電車に乗って郊外のアウトレットへと向かう。実はアウトレットモールって初めてで凄く楽しみだったと言って、電車の座席に座る夏目さんは笑っていた。

 隣の座席に座る僕はスマホで店舗案内を表示させて行きたい店を伝える。


 「私ここ絶対行きたいんです」


 と夏目さんが好きそうなセレクトショップの情報ページをいくつか表示させると、夏目さんは分かってんじゃんとでも言いたげな表情を浮かべる。


 「千条院さんも私の好みが分かって来たねぇ」


 「勿論。ずっと夏目さんのこと見てましたから」


 「その言い方、何かドキドキするんですけど」


 「デートっぽいでしょう?」


 「ぽいね」


 みたいな会話を交わしているうちに目的地に着く。行きたい店をめぐり、疲れたらカフェやベンチで休み、またお店を冷やかしていくという流れを二人で繰り返す。


 その裏側で片桐は打合せ通りに、半径四メートル以内の狙った相手だけに『死にたくない死にたくない』という子供の音声を繰り返し聞かせる手持ち可能な指向性音響機材を巧みに用いて、僕たち二人に取りつこうとする男たちを追い払っている。


 片桐曰く、誰も傷つかない、自分の拳も傷まない、効果範囲も狭いから余計な二次被害もほぼ発生しない、とても穏便な解決方法じゃねえか、とのことだった。


 きっと片桐は流血と痛覚の有無でしか穏便かどうかの判断を下せないんだろうなぁ、それ精神を傷つける兵器だよね? と話を聞いた時の僕は思っていた。今も思っている。


 そんな事実を知らされないまま快適なショッピングを楽しんでいた夏目さんと真相を知りながら素知らぬふりをする僕は偶然本屋の前を通りかかった。夏目さんがかなり早い時点から本屋の存在を気にしていることに気づいていたので、僕は足を止めて夏目さんを誘う。


「夏目さん、この本屋少し覗いていきませんか?」


「千条院さん、よく私が本屋行きたいって気づいたね?」


「本屋から少し不自然に目を逸らしてましたから。ちゃんと見てますよ、夏目さんのこと」


「そっか……じゃあ、少しだけ」


 そう言って、言葉のそっけなさとは裏腹に目をわくわくと輝かせる夏目さんと本屋に入る。


 ファッション雑誌に軽く目を通して感想を交換した後、あてもなく二人で本棚の森を歩く。適当なところでどちらともなく足を止めては本を手に取り視線を走らせ、また歩き出す。そんなことを何度か繰り返して入店から一時間近くが経った。


 古い文庫本が並ぶコーナーで僕はふと足を止めて、ドイツ語の詩を集めたといういつか見た一冊の詩集を手に取って中をパラパラと覗く。


 女の子と詩集と憧憬の眼差しは最高の組み合わせなのよ、という地獄の淑女教育の際に耳にした姉様の持論が脳裏をかすめる一方で、僕は中学時代のいじめが始まるきっかけとなった出来事を思い起こしていた。

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