第4話 明かされた事実と改造計画

 降って湧いたような初対面に何らかの感慨を抱く間もなく、僕の実の母だと名乗る黒髪の女性、報世しらせさんは続けて千条院家について語る。


 何でも千条院家は代々女性が一族の当主を務める女系一族で、政界、産業界、教育界、果ては裏社会に至るまで深いつながりを持ち、代々天才的な女性人材を輩出し続けてきた一族であるらしい。


 その存在を知る者は千条院家をこう形容するという。

 歌われぬ救世の一族。

 何だそれ、無駄にカッコいい。


 千条院の女性はただ一人の例外もなく世界を動かす才覚を生まれながらにして備え、しかしながら決して表舞台には立たず、各方面において隠然たる影響力を行使する女傑として活躍する。


 その一方で、千条院の血を引く男性は皆早逝そうせいしているのだという。病死、事故死、自殺、暗殺。まるで何かに呪われているかのように。三千院家の長い歴史に残る男性の最長生存記録は十四歳二か月。一月一日生まれの中学二年生である僕と奇しくも同じ年齢だった。


 僕は使用人の方から差し出されたお茶に口をつける余裕もなく畏まりながら、次の言葉を待つ。


 「あなたは千条院家の血をその身に宿すたった一人の男性であり、その事実を私とあなたの育ての両親は隠してきました。あなたが生き残るためにです。そしてあなたは今まさに呪われた歴史の中に存在する壁を乗り越え、その先の世界へとあとわずかで踏み出せるという所までたどり着いています。そのあなたが今死を願うということは……あるいは千条院の血を引く者の避けられない運命なのかもしれません」


 「つまりどうしようもないってことですか?」


 僕は死んでもいいと相変わらず考えていたので、単に事実を確認するだけの問いを返す。


 報世さんの反応は、否定だった。


 「いいえ……私たちにはその運命を変える用意があります。いえ、正確に言うならば、結の中には」


 「……結さんの中ぁ?」


 その名前を聞いた僕の胸の内に不穏な空気が漂い始める。ロクなことにならないぞ、という強い確信が芽生える。僕がうんざりとした目線を、ゆい、という名前の変な女に向けると彼女はここからは私の出番だとばかりに勇ましく口を開いた。


 「一言でいえばそうね、春日初改造計画、とでも呼ぼうかしら」


 ほら、聞くだけでわかる。絶対にロクなことにならないだろう計画の名前が告げられた。僕は黙って目を閉じ天を仰ぐ。


 「……あなたそんなに感動しているの? そういえば改造とか、男子ってそういうのが好きだと聞くわね」


 僕の態度を都合よく解釈した彼女が語った計画の要旨とは、僕を別人に生まれ変わらせるということだった。


 世間から徐々に春日初という存在をフェードアウトさせた後、千条院家当主の実子として生まれ変わる。千条院本家の力で身の安全は保障するけれど、千条院の実子を名乗る際の制限として、自衛の力を身に着けるまでの間は対外的に女性としてふるまう必要がある。


 「……つまりあなたはこれから千条院の名に、いえ、この私の妹の名に恥じない立派な男の娘になってもらうということよ!」


 なるほど確かに改造ですね、馬鹿なの? と僕は思った。


 「……話は分かりました。でも一つだけ」


 「何かしら?」


 「僕にメリットないですよね。僕はただ死にたいだけなので」


 「はいこれ」


 そう言って変な女は僕にハンバーガーやコーラを渡すのと同じ調子で、僕に手を差し出した。ただその手には何もなくて、だから僕は見たままを伝えた。


 「……何もないじゃないですか」


 「いえ、あるわ。この手を取るならば、私はあなたに未来をあげられる」


 僕は当たり前のことを言うように発せられたその台詞に呆気にとられながら、そう言えば初めてかもしれない、まっすぐに変な女の目を見た。


 普通の神経ならば口に出すのも恥ずかしいような台詞を口にする彼女の瞳の中には間の抜けた表情をさらす僕の姿が映りこんでいて、けれどその奥には自分の言葉が決して虚言ではないと無条件に信じさせるような、確固たる勝算の光が揺れていた。


 きっと自分が失敗することなど最初から頭にないのだろう。それは一見して、告白に失敗して自殺しようとした自分と同じ轍を踏もうとしているかのようにも見える。


 それでも……、と僕は考える。


 この変な女は自分の好きなようにして、その結果僕の自殺を阻止し、僕をこの屋敷に招き、そして僕を、素直には受け入れがたいけれども、男の娘にしようとしている。

 まっすぐに進み、自分の意を通し、願いをかなえていく、出会って一日にも満たないこの変な女が見せてきた無茶苦茶な姿勢を僕はそれでも……眩しい、と感じたのかも知れなかった。


 「あなたは暴力を振るわれ続け、好きな女に振られ、死のうとして私に邪魔され、ハンバーガーを食べてコーラを飲んで、自分を傷つけた奴らを罵って少しスッキリした。あなたはただの普通の人間。たとえあなた自身が認めなくても私が認めるわ。あなたが死ぬ必要はない、あなたには生きる権利がある」


 強い言葉だった。少なくとも僕が自分自身に向けていた殺意を問答無用で叩き潰す程度には、強い言葉。

 あるいはそれは心のどこかで、僕が待ち望んでいた言葉なのだろうか。


 「千条院は救世の一族、あなた一人救うくらいどうってことないわ。あなたが死にたいというのならそれでもいい。でももしあなたが生きたいと願うなら、どんな困難もはねのけて私があなたの未来を必ず守る……」


 流れるように、歌うように、続く彼女の言葉が途切れたのは何故だろうと、僕は考えていた。やがて目を覆うように広がる熱と頬に筋を引くかすかな冷たさが、僕が今泣いているのだということを静かに自覚させた。


 「……千条院家次期当主である千条院結の名に懸けて誓うわ。だから春日初、はいかいいえで答えなさい」


 僕は今、本当に不可解なことに、心の底から変な女の言葉を待ち始めていた。

 彼女が僕に何かを告げるなら、僕はその言葉を受け入れようと、そう思っていた。


 僕はきっと決めたのだろう、この奇天烈きてれつな女のことを信じると。


 どうしようもなく急激にうるんでいく僕の視界の中で、彼女は笑っていた。どうにかその姿を記憶に焼け付けようとする僕に向けて、彼女が言葉を紡ぎ――


 「春日初、私はあなたを救う。生きていきたいと願うなら、この手を取りなさい」


 「……はい……っ」


 ――そして僕は、彼女の手を取っていた。


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