第2話 自殺未遂と謎の女とハイ〇ース
自宅に帰り、服を着替え、玄関先で中学の制服を身に纏う妹とすれ違った気がするけれど妹がどんな顔をしていたのかも何を話しかけてきたのかも僕は覚えていない。
ぼろぼろの身体を引きずってたっぷり六時間ほど街中を徘徊した結果、日はどっぷりと沈んで夜が訪れていた。
晩ご飯どころか昼ご飯も食べていないから腹が減っていて、おまけに喉も渇いている。身体はいまだに鈍く痛みを訴えていて、歩みを進めるたびにその存在を主張してくる。
僕は手ごろな場所を探していて、とある国道にかかる歩道橋を見つけた。
ここがいいな、と内心で呟く。
見通しが良くて速度の乗った大型車両が頻繁に通過する。歩道橋の上から路面までは十分な高低差があって、落ちるだけで死ねそうだし、タイミングを合わせれば通行する車が念入りにとどめを刺してくれる。
申し分ない、僕の死に場所。冬姉のいない世界から、果てることのない暴力から、一歩踏み出すのにちょうどいい場所、そう思った。
僕はもう少しでこの痛みともサヨナラだと思いながら歩道橋を上り、車道の追い越し車線の丁度真上で足を止める。一つ向こうの信号あたりにこちらへと直進してくる大型のトレーラーが見えた。きっとあと十秒もせずにこの歩道橋を通過するのだろう。
欄干に立ってはいけない。僕の存在に気づいた運転手が車線を変更したり減速するかもしれない。僕は一息に歩道橋の外へ体を躍らせ落下するべきだ。それができたら、おしまい。
そう思って僕は欄干に手をかけ、注意深くタイミングを探り――
――今だ、と思ったその瞬間、上着を強くつかまれた。
全力で跳びだそうとしていた僕の体勢は崩れ、強かに額を欄干にぶつけた。超痛い。
しばらく額を抑えうずくまった後で恨みをこめて振り向くと、そこには見知らぬ女の人がいた。
暗くて顔がよく見えない。高校生か大学生か判断に迷う。白いメッシュの入ったショートヘア、やたらと主張の強いパンク風のファッション。
誰だこの女。バンギャってヤツなのか?
「……邪魔すんな、誰アンタ」
今の僕は投げやりになっている事山のごとしなので、敵意をむき出しにし不機嫌そうにタメ口でそう言った。
「ちょっと私に付き合って」
その女は僕にそう言いながら、掴んだままの服をぐいぐいと引っ張る。
「は、何で?」
「付き合ってくれないの?」
「今忙しい」
「ウソ」
「しつけえなアンタ」
「これから死ぬんでしょ? 私に付き合っても余命が少し伸びるだけ、死ぬ前に私の頼みを聞いたって
……そりゃそうだけど、とは思う。死ぬタイミングが今すぐでも十分後でも大差ない、と言われれば確かにそうだ。でもなんか納得がいかない。
そう考える僕の前に変な女が紙袋を突き出す。
「付き合ってくれるなら、それあげるから」
「……ハンバーガー?」
「これから死ぬんでしょ? 死ぬ前に腹を満たしたって……」
「……罰は当たらない、ってこと?」
「そういうこと。すぐそこに神社があるから、そこで休憩しましょ」
僕の腹が鳴った。僕はハンバーガーで買収されることにした。
◆◇◆
小さな神社の境内には風情を台無しにする蛍光灯の光が煌々と照っている。
僕と変な女はその蛍光灯を背後に背負うような配置で石段に腰を落ち着け、僕はハンバーガーを腹に収めつつ変な女の質問に答えていた。身長何センチとか、その茶髪地毛じゃないよねとか、その服どこで買ったのとか、そういう毒にも薬にもならない質問。
「ねえ、アンタ中学生?」
少し冷めている三個目のハンバーガーをかじる僕に、変な女が尋ねた。
「……それが何?」
僕は不機嫌な態度のまま答える。僕は正直会話している場合ではない。
ハンバーガーが旨かった。
腹は膨れ始めたけれど、のどの渇きが癒えない。パサついたバンズが口の水分を現在進行形で奪っていく。僕の身体は水分を、欲を言えば強めの炭酸を欲していた。
「別に。ただ何でアンタみたいな子が死にたくなるのか興味があるだけ」
「……それ僕が話す理由あんの?」
「ないけど、これ」
そう言って、変な女が僕にペットボトルを差し出す。
「……コーラ?」
「喋るならあげる。死ぬ前に喉を潤したって……」
「分かった、喋る」
僕は変な女の決まり文句を遮りつつ、このまま餌付けされることにした。
コーラをぐいぐいと飲みつつ、僕は自分の事情を語る。
いじめられている、好きな人に振られた、僕は死のうとしていて、アンタにそれを邪魔されて……くぁーっ、炭酸キッツい。そんな風に。
話を最後まで聞いた後、変な女が納得いかないように首をかしげて僕に問う。
「一ついい?」
「何?」
「アンタが死ななきゃいけない理由ってあるの? 死にたい理由じゃなくて」
言われて気がついた。
死にたい理由はある。痛いのは嫌だし冬姉と離れるのも嫌だ。だけど、でも……
……あれ、僕、何で死ななきゃいけないの? 僕が死ぬのってなんかおかしくね、てかむしろ死ぬべきなのは……
そんなことを考え出した僕に変な女が囁きかけた。
「試しにさ、『死ねクソ野郎、死ねクソビッチ』って大声で言ってみ? 死ぬ前に……」
「死ねクソ野郎どもが! 死ねクソビ……」
僕は変な女の決まり文句に条件反射で従うようになっていた。言われるがまま罵倒語を叫び、けれどギリギリで止めた。
「……どうしたの?」
「……冬姉はクソビッチじゃねえ!!」
「あっそ。で、スッキリした?」
僕の方を見ながら変な女はそう尋ねた。
正直に言えば、思ってたよりずっとスッキリした。けれど、いまだに僕の中に残る反抗心が素直に答える事をためらわせた。
僕はふっと目を逸らし、居心地悪そうに答える。
「……少し」
生意気さの残る僕の態度を前にして、それでも変な女は確かに笑ったように見えた。できることなら明るいところでそれをはっきりと見てみたい、死ぬ前に。なんてことを僕はぼんやりと考えた。
何か満足したのだろうか、なるほどね、と言いながら変な女は立ち上がり、二、三歩前に出てから僕の方へと向き直る。
直観的に、変な女の雰囲気が変わったように感じた。初めてはっきりと見据えた蛍光灯に照らされた変な女の顔には、ゆるぎない謎の自信が満ち溢れているように見えた。
「一つだけ言うわ、やっぱアンタ、今日は生きなさい」
彼女の声が聞こえると同時、僕は背後から伸びた変なにおいのするハンカチを持つ手に口と鼻を塞がれた。誰の仕業だ、というかこれ人さらいの手口では? と僕の冷静な部分が俄かに警鐘を鳴らす。
徐々に気が遠くなっていく、そんな僕に変な女は告げる。
「一晩眠ればさらにスッキリするわ。安心して、善意の送迎してあげるから。目を覚ませばアンタは自分の部屋よ」
言ってることは分かる。今日は眠りなさい、家まで送るから。そういうことを言っている。きっと、それは感謝すべきことだ。
ただ、かすみつつある僕の目は、神社の境内へ猛スピードで突入してくる黒い箱型の車影を捉えていた。強い身の危険を感じる。善意の送迎っていうか、これどう見ても――
――ハイ〇ースじゃねえか……
そう念じたのを最後に、僕の意識は途絶えた。
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