初のスクールライフ改造記録 ~元・自殺志願者が完全無欠の男の娘になって囮役をがんばる~

戦食兎

第一部

序章

第1話 いじめと告白失敗

 改造とは救いである。


 どこにでも存在する市立中学校に通うありふれた中学二年生である春日初かすがはじめは、凄惨を極めるいじめの日々を耐えている。僕の事である。

 僕に対するいじめが始まっておよそ一年。理不尽な暴力はすっかり僕の日常になっている。


 今日は中学の卒業式があった。

 素晴らしい陽気の元、式は晴れがましい雰囲気の中無事に終了し、手短なHRを終えて在校生は大体下校していた。残っているのは中学生活の最終日を迎え、思い出話に花を咲かせていたり感極まっていたり名残惜しかったりしている卒業生だけである。


 そんな訳だから僕が今連れ込まれている理科室に誰かが訪れる可能性は万に一つもない。それはつまり、自分がこの状況から救われるチャンスが存在しないということでもある。


 僕は羽交い絞めからのケンカキックを鳩尾に食らって悶絶している。拘束を解かれた僕はそのまま亀のようにうずくまる。

 腹を抑えたい衝動をこらえ、この状況で自分が狙われうる最大の急所である首の後ろから後頭部にかけてを自分の手で抑える。


 誰かが僕の頭を強かに踏みつける。頭に添えた手の甲が衝撃を多少殺してくれた。

 また別の誰かが僕の脇腹を蹴り上げる。身体がひっくり返るほどの衝撃はないから今の一撃はきっと女子のものだ。

 続けてまた別の誰かが瓦割の要領で僕の背中に拳を落とす。今のは効いた。


 僕は二つのことに必死で意識を集中していた。

 決して声をあげないこと、そして不用意に表情を変えないこと。泣くなんて以ての外だ。当然この二つには狙いがある。


 僕にケンカキックをくれたいじめの主犯格がぞんざいに呟く。


 「……ダルくなってきた、つかつまんね。今日はもう帰ろうぜ」


 ……狙い通りだ、と内心独りごちる僕。


 無反応なものを殴ったり蹴ったりするのは、単純に疲れるだけだから、すぐに飽きるのだ。その結果、この暴力も早めに収まる。けれど耳にした発言が今日のところはこれで終わりということと、明日は明日でまた同じ目に合うということを意味すると僕は知っている。

 だから僕に達成感はなかった。


 僕は動かない。僕を取り囲んでいた奴らが去っていくのをただじっと待つ。

 今日はスマ〇ラやろーぜ久々に、なんて言って奴らは笑いながら去っていく。

 その後には、遠く離れた昇降口を中心として広がる、卒業生たちのざわめきが届く程度の静けさが残る。


 僕はおびえるように上体を起こし、手慣れた――あるいは手慣れてしまったと言うべきかもしれない――調子で自分の状態を確認する。


 顔に傷はついていない。手の甲に足跡が付いているけれど洗えば消える。制服にダメージはないし汚れもウェットティッシュで拭けば概ね元通りだ。


 我慢できないほどの鋭い痛みはないから、きっと骨は大丈夫。熱い石を体の中に収めるような痛みもないから内臓も無事だろう。それでも右の肘と左の太ももの付け根あたりがひどく痛む。


 僕は思う。


 「……まだ大丈夫」


 よろよろと僕は立ち上がり、肩を回したり身体をねじったりその場で足踏みしたりする。勿論痛い。けれどこれはその痛みの程度を把握するための儀式だ。


 どのタイミングでどれだけの強さで我慢すれば平静を装えるかを探る、そのための儀式。


 「こんな感じで……」


 と呟いて、先ほど行った動作を繰り返す。


 傍から見た今の僕は、ただそうしているだけ、と思わせる程度には痛みを感じさせない自然な動作ができていると思う。勿論痛い。


 「……これなら大丈夫」


 そして僕は学ランを脱いで机の上に広げる。鞄に常備してあるウェットティッシュで丹念に汚れをふき取る。理科室だから水道が通っている。ついでに手も洗っておく。


 僕は全身を包む悲鳴のような痛みに耐えながら考える。


 これで大丈夫、僕は冬姉ふゆねえに会える、と。



◆◇◆



 僕は周囲の様子を慎重に伺いながら昇降口で靴を履き、校門へと向かう。


 卒業式、と大きく書かれた看板が立てかけられた校門の側では、僕の良く知る一人の卒業生、つまり冬姉が僕を待っていた。


 きっと卒業生には渡されたり持ち帰ったりするべきものがたくさんあるんだろう。大きな紙袋を手に提げている。

 一つの区切りを迎えた彼女の表情はひどく大人びて見えて、僕はほんの一瞬、胸を締め付けられるような感覚を覚えながら彼女の姿に目を奪われた。

 

 色浦冬子。しきうらとうこ、と読む。隣の家に住んでいて幼いころから一緒に遊んでいた彼女を、僕はふゆねえと呼んでいた。


 「あーっ、やっと来た。お姉ちゃんを待たせるとは随分といいご身分だね、ハジメ君?」


 「ごめん冬姉、ちょっと用があって」


 「そっか、なら仕方ないね」


 「うん、仕方ない。じゃ、帰ろ」


 そんな調子で僕と冬姉は横並びに歩き出す。


 全身の痛みをこらえるタイミングはちゃんと分かっていたから、普段と同じ歩幅と姿勢で歩いて行けた。


 見慣れた通学路の風景を少しずつ消化していく。もう二度と冬姉と一緒に歩くことはないだろう道を他愛のない会話を交わしながら歩く。


 僕はその間ずっと考えていた。今日、冬姉に告白をしようと。


 好きだと気付いたのは冬姉が今日と同じように小学校の卒業を迎えた頃で、その頃の僕もまた今日と同じように、冬姉のことを妙に大人っぽく感じていた。

 その時に感じた胸の鼓動をその後三年間きっちりと保ったまま、あるいは少しずつ育てながら、僕は今日を迎えていた。


 冬姉は学校で唯一、超高難易度の進学校の合格を勝ち取っていて、恐らく今後、僕と冬姉の道が取り返しのつかないほどにかけ離れていくのだと僕は予感していた。だから告白して、今後も冬姉と一緒にいられる資格を得たい。

 僕は無邪気にそう考えていた。


 僕たちはいつの間にか冬姉の家の玄関前に到達していた。

 冬姉に伝える覚悟はできていて、言う言葉も決まっていた。


 「……ねえ、冬姉。聞いてほしいことがあるんだけど」


 「なーに、ハジメ君?」


 ただ一つ、気付いていなかったことがある。


 誰かに思いを伝えるときには、それが届かなかった時のこともあらかじめ覚悟しておくべきだということを僕は見逃していた。


 「僕、冬姉のことが好きだ! 僕と……付き合って下さい!」


 冬姉の表情が変わっていく、驚きから、困惑、そして恐怖へと滑らかな変化をたどる。色でいうなら、見事なまでの赤から青へのグラデーション。


 「えっ?……えと、あの、ハジメ君……待って、そう言うの、ウソ……ありえないっ」


 そこで言葉を切って、玄関の奥へと姿を消す冬姉、その後ろ姿を僕は茫然と見ていた。絵にかいたような拒絶だった。ものの見事に僕の告白は失敗した。


 僕は目の前で展開された光景にショックを受けるよりも早く、全身の痛みに顔をしかめて姿勢を崩していた。この事実は、僕にとってヒントになった。

 この時、僕は自分が失ったものの大きさと、その意味するところに気づいた。それは単純なことだった。


 僕は冬姉がいるから痛みをこらえることができていて、不用意な告白で冬姉を失った僕はもう、この全身を苛む痛みを抱えて生きていくことができない。


 ただ、それだけ。これが僕の出したきっと最後の、結論。

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