神様ゲームをぶっ壊せ!

御堂教慈

白い狐と爆弾鬼

01 ~少年と少女のオアシス~

 今日も今日とて、カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中は、梅雨特有のじめじめした不快さとは無縁だった。

 そこは、四人家族で暮らす3LDKの賃貸マンションの一室。六畳間のフローリングの中央に置かれたコタツ机の前には、あぐらをかいたTシャツ短パンの男子高校生――神崎かんざき陽兵ようへい。外見的に特徴と呼べるものは、七三分けにされた黒髪に、贅肉多めの大柄な身体ぐらいだろうか。

 陽兵はクーラーと扇風機の黄金コンビに感謝しながら、手元のノートパソコンに細々としたデータを入力し続ける。最近はすっかり、自分でRPGゲームが作れるというそのソフトに夢中になっていた。

 所詮、画面の中の仮想世界。それでも、自分で設定した数値や数式が世界のあり方に反映されるのは、なかなかどうして楽しいものである。

 こんこんこん

 入口の扉を叩く小気味良いノックの音に、ノートパソコンの画面から目を上げる陽兵。手元のリモコンを操作して、天井の照明に光を入れる。

「よーせんぱい、遊びに来ました!」

 室内を照らし始めたLEDの光に負けない、明るく元気な声。勢いよく扉を開いて室内に入ってきたのは、栗色の髪をおさげにした一人の少女。学校帰りにそのまま寄ったのだろう。少女は白のセーラー服に紺のスカートという、中学校の制服のままで、手には通学用の黒のリュックを提げている。

 涼城すずしろ花撫かなで――僕より一学年下の中三で、うちの妹と同級生。妹とは頻繁に勉強会を開くほどの仲であり、今日もその帰りに部屋に立ち寄ると、事前にメールで連絡があった。

「ゲーム作ってたんですね。順調ですか?」

 前屈みになり、パソコンの画面を覗き込んでくる花撫。好奇心に溢れた茶色の瞳が、数値データの羅列を見つめている。

「ストーリーの概要を考えながら、とりあえず道具や魔法のデータベースを作ってるところだよ」

「どんな感じの物語なんですか?」

「悪の魔導組織と戦う、五体の魔導人形の物語――かな」

「へぇぇ……もしかして、人形さん達を作ったのが、実はその悪の組織だったり?」

「……なかなか、鋭いね」

「燃える展開ですね~。完成したら、カナも遊んで良いですか?」

「もちろん」

「やった! 今から楽しみです」

 胸の前で手を合わせ、微笑む花撫。

 自分一人で作成過程を楽しむだけのつもりだったが、花撫が遊んでくれるのなら、完成に向けていっそう気合いが入るというもの。

「はい、今月の新刊」

 陽兵は話の切れ目を見計らい、コタツ机の上に用意しておいた三冊の少年漫画を、花撫へと差し出す。

「ありがとうございます、よーせんぱい」

 勝手知ったる他人の部屋。目的の物を受け取った花撫は、部屋の奥へと一直線――勢いよくベッドの上に倒れ込む。

「やっぱりここは、落ち着きます~」

 うつ伏せで枕へと頬ずりしながら、その傍らに漫画を配置する花撫。横手のタオルケットを手早く羽織り、いつも通りの読書体勢を確立する。

 母親の教育方針で漫画・アニメが禁止な花撫にとって、この部屋は心のオアシスなのだろう。いや、漫画喫茶と言うべきか。

「あ~、よーせんぱいの匂い~」

 だからといって、僕の匂いまで満喫しないでほしい。

「……恥ずかしいから、止めてくれ」

「いいじゃないですか~、減るもんじゃなし~」

「いや、僕の精神力とか、色々磨り減るから……」

「だったら、カナの匂いで上書きしておくので、よーせんぱいも後で楽しんでください。これで、減った分も元通りです」

 花撫はタオルケットを身体に巻き付けると、ベッドの上をごろんごろんと左右に往復し始める。どうやら、照れる僕の反応も含めて、楽しんでいる様子。

 けれど、その顔に浮かぶ笑みに、いつも以上のはしゃぎぶりに、どこか作り物っぽさが感じられるのは、僕の気にしすぎだろうか。

「……何か溜め込んでるなら、吐き出してもいいよ」

 陽兵は話の流れをぶった切り、花撫へと穏やかに声をかけた。

 僕が心配性なのは昔からだ。花撫に笑って流されるなら、それでも良かった。

「…………」

 返ってきたのは、言葉にならない僅かな吐息。花撫は枕に顔を埋め、ぴたりと身体の動きを止める。

「ここには、花撫の味方しかいないから」

 吐き出す場所がない辛さを、僕は知っている。だからこそ、花撫にそんな思いをして欲しくなかった。

「……どうして……わかるんですか?」

 花撫は枕から僅かに顔を上げると、ぼそぼそと小声で呟いた。

「……まぁ、そこそこ長い付き合いだからね」

 挨拶以外の言葉を交わすようになったのは、今から三年ほど前のこと。

 当時、中学一年生だった僕の心は、すでに壊れかけていた。己の快楽だけを求める、下劣な同級生の悪意に晒されて。肥満体型で運動はダメダメな上に、性格も気弱で臆病――格好の獲物だったのだろう。

 君が扉を押し開いてくれたから、空気を読まずに話しかけてくれたから、僕は自分自身に絶望せずに済んだ……君はきっと、気づいていないだろうけど。

「どうして、勉強って……楽しくないんでしょうか?」

 ごろんと身体を横に転がして、コタツ机の前に座る陽兵へと顔を向ける花撫。どこか不安げに、タオルケットで口元を覆い隠している。

「勉強の楽しさ、かぁ……」

 僕にとっても、学校での勉強はそれほど楽しいものではない。次々に押し付けられる情報を、義務的に取り込んでいるだけの受け身姿勢。上の下あたりの成績を保てているのは、心配性で真面目な性格の成せる業だろう。

 高校受験を控えた中三の花撫は、うちの妹と同じ進学校を目指しているから、尚更深刻な悩みである。

「頭の良い人たちが、とっくに正解出してる問題を……どうしてお馬鹿なカナが、必死に解かなきゃいけないんでしょうか?」

 将来挑むことになる、答えのない難題に備えるために、学生時代には基礎をしっかり固める必要がある。そんなことは、花撫もわかっているだろう。

 それでも、その心は溺れてしまいそうで、どこかに助けを求めている。

「ほどほどで、良いんじゃないかな……つまらないことはさ」

「……ほどほど……ですか?」

 陽兵の答えが腑に落ちないのか、花撫は不安げに顔を曇らせたまま。

「苦手だからって、全てを避けては通れないからね。ほどほどに努力は必要だよ。

 でも、つまらないことで埋め尽くされたら、心が悲鳴を上げてしまう。自分が好きなものに没頭する時間を、絶対に忘れちゃいけない」

「……よーせんぱいの、ゲーム作りみたいに?」

「そうだね。これが将来の仕事に繋がるかは、わからないけれど……納得はできると思うんだ。自分は好きなものを、十分満喫したってさ」

 優れた学力などない自分の将来に、不安がないわけじゃない。それでも、かつて命の瀬戸際に追い込まれていたからこそ、一年後も自分が生きているとは限らないと、思い知っているからこそ……好きを後回しにしたくない。

「好きなもの、ですか……」

 ベッドに横になったまま目を閉じて、何やら深く考え始める花撫。

「……好きなもの……好きなもの……カナの好きなもの……」

 僕の言葉を聞いて、何か感じ入るところがあったのだろう。

「……カナって……いったい何が……好きなんでしょうか?」

 けれど花撫は、自分の好きをすっかり見失っていた。

「シュークリーム」

 間髪を入れず、陽兵は思いつくままの答えを口にする。

「――っ!? 好きですけど! 確かに好きですけど! 皮がパリパリで、中のカスタードクリームがとろっとろなのとか、大好物ですけど!

 でもそれじゃ、カナがただの食いしん坊みたいじゃないですか!」

 花撫は火がついたように、早口で捲し立てる。

 そのあまりの愛らしさに、顔がにやけてしまいそうだ。

「取っ掛かりは、食べ物でも良いんじゃないかな?」

「……取っ掛かり……ですか?」

 花撫はじっとりとした恨みがましい視線を、陽兵へと突きつける。

「別に、将来お菓子屋さんになればいいって、勧めてるわけじゃないよ。

 好きなものを好きだって気持ちを、少しずつその周りに広げていけば良いんだ。

 そうすれば、いつかきっと見つかるから。自分の人生を注ぎ込みたくなるような、もっと大好きな何かが」

 陽兵は温和な笑みで言葉を贈る。

 先輩面をしてはいるが、花撫とは一つしか歳が違わない。それでも、どん底を味わい続けたからこそ、希望の価値を知っている。僕の言葉が、少しでも花撫の救いになるのなら、あの絶望にもきっと意味はあったのだろう。

「……シュークリームよりも、ずっとずっと……大好きな何か……」

 花撫は難しい顔をしながら、小さく唸り声を漏らし始める。

「そんな、焦って考えるようなことじゃないから」

 陽兵は軽く窘めるも、花撫の思考を邪魔しないよう、手元のパソコン画面へと視線を移す。

 暗くなっていた画面に光が灯り、姿を現す数字の羅列。他人からは意味不明であろうデータベースが、僕の好奇心を掻き立てる。

 夢は現実世界で叶えなければならない――なんてルールは、どこにもない。現実世界がつまらないなら、自分にとって楽しい幻想世界を、自分の手で作り上げれば――

「……見つけた……」

 ぼそりと漏れた花撫の呟きに、陽兵の思考は中断される。

 画面から顔を上げた視線の先で、花撫は真っ直ぐにこちらを見つめていた。

「エクレア」

 僕は思いつくままに、花撫の好物を挙げてみる。

「ちょっとビターなチョコが皮に塗されてると、中のあま~いクリームと絶妙なハーモニーを……って、食べ物の話はもう良いですってば!」

 こちらのボケに乗ってくれる、なかなか律儀な後輩である。

「食べ物以外の好きが見つかったのなら、何よりだよ」

「……カナが見つけた答え、気になりますか?」

 花撫は口元をタオルケットで覆い隠しながら、おずおずと陽兵に問いかける。

「気にはなるけど、無理に言う必要はないよ」

 見つけた答えが本当に大切だからこそ、花撫は言い淀んでいるのだろう。自分が大好きなものを他人に否定されるのは、とても苦しいことだから。

 はたして、伝えるべきか否か。

 花撫はタオルケットにじゃれつきながら、しばし逡巡し続けて――

「……やっぱり、まだ秘密です」

 恥ずかしさに耐えられないと、花撫は陽兵から視線を逸らして、気を紛らわせるように枕元の漫画を手に取った。

「うん、それで良いと思うよ」

 それだけ好きなものが見つかったのなら、花撫はきっと大丈夫だ。あとは、花撫が好きなものを満喫できるように、それとなくサポートすれば良い。

 花撫が漫画の世界に浸るのを邪魔しないように、陽兵は一人静かにゲーム作りを再開し――

 コンコン

 小さく鋭いノックの音が、趣味に没頭しようとしていた陽兵の意識を、再び現実世界に連れ戻していた。

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