Ⅱ第十五話 バフ爺さん

 入った小屋は食堂のようになっていた。


 壁ぎわに、小さな炭の焜炉こんろや水場がある。部屋の中央にはテーブルが置かれていた。


 部屋の奥には暖炉があり、それを囲うように木の長椅子が二つあった。爺さん本人が寝るのは別棟なのかもしれない。


 いい匂いがすると思ったら、暖炉で大きな鍋が煮込まれていた。


「イノシシのシチューだ」


 爺さんがぶっきらぼうに言った。それから暖炉に近づき、木の杓子でかき混ぜる。おれも、暖炉のそばにある長椅子に座った。


 ドンブリのような木の皿になみなみと注がれ、わたされる。もう一つ、これも木の皿に山のように盛られたパンをわたされた。


「そいつらは何を食う?」


 そいつらとは、おれの足下にいるハウンド、それにちょっと離れた地面に置いたチックのことだ。


「こっちが肉食、こっちが草食です」

「サソリが草食うのか」


 だいたい、みんなそこにおどろくね。


「サソリじゃなくて魔獣なので」

「ほう」


 爺さんは奥の部屋に行くと、皿を二つ持ってきた。それぞれに生肉と野菜が乗っている。


 二匹が食べ始めたので、おれもシチューに取りかかった。


「うまっ」


 イノシシのシチューは美味かった。トマトのスープに玉ねぎやジャガイモ、それによくわからない香草も入っている。塩気が強めだが、それがパンとよく合う。


 しかし無言だ。爺さんも向かいの長椅子で食べているが、もくもくと口に運んでいる。


「イノシシ、おいしいですね」


 これはお世辞じゃない。思ったより柔らかくクセもない。


「ああ、この時期の鹿やイノシシはうまい」

「この時期? ほかの時期はダメなんですか」

「春になると繁殖期になるんで匂いが出る」


 なるほど。秋は魚の季節だけでなく、狩猟の季節でもあるのか。


「鹿も食ってみたかったな」


 ぼそりと漏らした。熊さえ出なきゃ食えたかもしれないのに。


「しばらく宿は休みだな。客があぶねえ」


 客っているんだろうか? その疑問よりも別のことが気になった。


「熊って、いつもいるんじゃないんですか?」

「ここいらの山にはいねえ」

「えっ、じゃあどこから?」

「中央の山脈だろう」


 ああ、そうか。そういう事を言ってたな。


「しかも、ありゃあ、東山の大渓谷にいた大熊だろう」


 爺さんの話によると、この島に熊は少ないそうだ。しかも、あれほど大きな熊はめったにいない。猟師の間で噂になった大熊じゃないかと。


「東山の大渓谷って、どのへんです?」


 爺さんが、壁に貼られた古い地図を指した。なんとなく場所がわかる。そこは切り立った渓谷があり、元の世界では「寒霞渓」と呼ばれ、ロープウェーで登れた山だ。


 港近くの山を調査するだけだと思ったら、原因は中央の山か。


「おい」

「はい?」


 急に声をかけられて、とまどう。


「もう一人の仲間はいいのか?」


 もう一人? ああ、オリヴィアか。


「食事はしないと思うんですが・・・・・・」

「こんな山奥に人は来ねえ。外に出しといてやれ」


 爺さん、おれがオリヴィアを見えない檻にでも入れてると思ったのかな。


「いえ、消えてるだけでして。別に呼ばれたくもないでしょうし」

「本人が言ったのか?」


 そう言われると、自信はない。


「オリヴィア」


 呼んでみた。光の粒が集まり、女の霊が現われる。


「オリヴィア、出とく? 消えとく?」


 ダメ元で聞いてみた。オリヴィアは何も答えない。


「まあ、こんな感じでして」

「目を見て、聞いてみろ」


 目? まいったな。おれはオリヴィアの正面に立った。


「オリヴィア、ここにいるかい?」


 やっぱり、オリヴィアは答えなかった。いや、でもなんだろう。表情も変わらないけど、よろこんでる気もする。


「ここにいたいみたいです。いいですか?」

「かまわん」

「いいってさ」


 オリヴィアは、おれの後ろには来ず、暖炉から少し離れた所にただよった。火が苦手なのかな。


「俺も昔、相棒がいてな」


 相棒、猟犬のことかな。


「そいつも、めったに吠えねえが、相手してやらんと悲しい目をするやつだった」


 やっぱり猟犬だ。


 しかし爺さん、宿泊を予約はしたけど、あまりにおどろきが少ない。オリヴィアにはおどろいたようだったが、チックを見てもおどろかなかった。


「あの、ダネルから、おれのこと聞いてました?」

「おう、変なやつが、変なの三匹連れて行くと」

「ダネルと仲がいいので?」

「うん? 俺の息子だ」


 イスからずり落ちそうになった。ダネルの親父さんかよ! それはつまり、ダンとダフの親父さんでもある。


 よく見ると、ヒゲでわからなかったが、いかつい顔はダンに似ている。寡黙なところはダフにそっくりだ。


「ダネルが世話になってるようだな」

「いえ、世話になってるのは、おれのほうで」

「そうか? カカカは実の息子と同じ扱いでいいと言われた」


 くそっ、あいつめ! 不意打ちで感動させんじゃねえよ。


「まあ、息子と同然なら酒でも飲むか」


 爺さんは戸棚から一本の瓶を出した。木のカップに注ぐ。


 液体は紫色をしていた。葡萄酒?


「うまっ!」


 飲んでびっくり。葡萄酒だけど荒々しいうまさ。香りは弱いが、酸味と渋みが強い。


「山の葡萄で作った酒だ」


 なるほど、山葡萄酒か。野性味あふれるとは、この事だ。


「あっ、お名前聞いてもいいですか?」

「バフだ。バフ・ネヴィス」


 バフ爺さんか。ダネルの親父さんなら、知ってたら饅頭の一つでも持ってきたのに。異世界に饅頭ないけど。


「まあ、ゆっくりしていきな」


 バフ爺さんが酒瓶を出してくる。おれは木のカップでそれを受けながら、今度ダネルに会ったら何て言ってやろうかと考えていた。あんにゃろう、覚えとけよ。

 


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