第四章

第91話 アドラダワーへの預け物

 おれも、やり残したことが一つある。


 木の兜と手袋、誰に預けようかと考え、治療院へ行くことにした。


 今日は治療に来る人も少ないらしく、あのジジイは院長室の書斎机で暇そうにしていた。


「誰も彼もが、家で縮こまっておる。この国の瀬戸際じゃ。やはり、わしが行くべきではなかろうか」


  おれは首をすくめた。


「止めはしませんが、謎がありますよ」


 書斎机のまえに置かれた椅子に座る。ベルベッドが張られた高級そうな椅子だった。


「謎とな?」

「院長がケガしたら、誰が院長を治すんです?」

「ふむ、お主、妙なところで賢いのう」


 おれはもう一度、首をすくめ、リュックから布にくるんだ兜と手袋を出した。預かって欲しいと伝えると、院長は隣の部屋に行った。


 ちらっと見えたが、書庫のようだった。


 しばらくすると、あの宝箱を持って帰ってくる。フタを開けるのに何か呪文でも必要なのかと思ったら、何も要らないらしい。フタに手をやり力を入れると、普通に開いた。


 ブーツの脇に兜も手袋もギリギリ入った。


 フタをしめると、また「バキッ」と木が折れるような音がした。


「もし、おれが帰ってこなかったら」

「カカカ、よさんか」

「いえ、重要なんです」


 おれは真面目に院長の目を見た。


「もし、おれが帰ってこなかったら、いつの日か、おれを訪ねて来るやつがいるかもしれません。そいつに渡してください」


 院長がけげんな顔をした。


「それは、お主が記憶喪失になる前を知っている者か?」

「まあ、そんなとこです。あっ! オノカズマサという人を探している人でもいいです。渡してくれれば」


 アドラダワー院長がおれを見つめる。そうですよね。意味不明ですよね。


「おれ、その、なんていうか」


 言うべきか、言わざるべきか。でも、この世界で一番大きな恩がある人だ。言うしかないか。


「おれ、この世界の人間ではないんです」

「そうじゃろうの」


 おれは口を大きく開けて固まった。最初に予想した帰る方法その三「大賢者に転移呪文」ひょっとして院長が?


「院長、転移呪文なんて、使えたりします?」

「テンイ? それはわからんが、記憶喪失としては、お主はおかしすぎるからの」


 あー! そっちか! ちょっとガッカリした。


「記憶喪失というのはの、自分の事が思い出せんだけじゃ。世の中の事は覚えておる。ところが、お主は違う。まるで赤ん坊のように常識を知らん。信じられん話じゃが、この世界の人間ではない、というのはしっくりくる話じゃ」


 なるほどね。考えてみると、このジジイに嘘をつくのは難しいな。


「おかしいと思っていて、よく問い詰めませんでしたね」

「わしの患者じゃからの。健康にするほうが先決じゃ。注意はしておったがの」


 わお、名医ってほんとに心まで名医。でも、わかった。見たかったのはチックではなくて、おれだったのか。


「元の世界には戻らんのか?」

「それが、さっぱり方法がわからなくて。死んだら戻るかもしれませんが」

「それは博打じゃのう」


 この院長が、おれと同じ意見なのにおどろいた。


「院長も、そう思います? ここの世界って、死んだらどうなるんですか?」

「それは誰にもわからん」

「院長でも、わかりませんか?」

「カカカよ」

「はい」

「その答えは、お主のいた世界でも解けた問題じゃったか?」

「院長」

「なんじゃ?」

「院長は、大賢者ですね」

「ほうかの」


 まったくもって、その通りだ。このジジイは賢い。なんか妙にスカッとした気分になって腰を上げた。


「では、このへんで。おれ、行きます」

「うむ。夜は冷える。気をつけてな」


 風邪を引く心配どころじゃないだろう、とも言えたが、院長の言葉は心地いい。


「じゃ、行ってきます」


 そう言って、おれは治療院をあとにした。

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