ウィクストの記憶手帳

愛と勇気と希望A

第1話 僕の名前は???

 その人を構築するのは記憶である。記憶とは人の存在を証明する一番簡略なものであり、自分と他者との明確な違いである。記憶とはだれもが持っていなくてはならないものであり、持っていることが当たり前で、世界に重力というのがあることとおんなじだ。

 ならば、もし、その人を構築する記憶がなくなったら人はどうなるのだろうか。それは自分という己という唯一無二のものをなくした言わば人間失格なのではないだろうか?

「 一体どうしたもんですかねー」

 誰に伝わるでもなく自虐の意味を込めて独り言をつぶやく

 俗にいう記憶喪失というやつだった。記憶喪失といっても確認した結果言葉は理解できるし文字も難なく読めた。あまり実感がないので、今のところ自分の行き先を決めかねている所だった。鏡で確認したところ僕の見た目は灰色の髪をした普通の青年ぐらいの印象がしかなかった。年は19歳ぐらいだろうか。

 「やっぱり、記憶を取り戻したほうがいいのかな?ていうかどうしたら記憶をなくすんだよぼく!!」

 「さっきからぶつぶつ独り言がうるせぇぞ兄ちゃん!男はもっと堂々としておくもんだぜ」

泣き言をつぶやいた僕に今度は意外な反応が返ってきた。声のした方をみると御者台からコワモテな顔がのぞき見えた。40代前半で目には傷を覆ったのか漆黒の眼帯がしてあった。それが余計に怖さを助長していた。

 「すみません、ハロリアさん」

 「別にいいけどよ… 兄ちゃんあともう少しで王都だぜ、そんなシケタ面してねぇで旨いもんでも食ってこい、まだ若いんだ何があったか知らねぇがまだいくらでもチャンスはあるぜ」

 そういって、僕を励ましてくれるハロリアさん。こんな見ず知らずの男を乗せてくれるあたり出来た漢って感じだ。本当なら記憶がなくなって自分のいる場所もわからず路頭に迷っていた僕を助けてくれたのが何を隠そうコワモテのハロリアさんなのだ。

 「ありがとうございます。ところで、王都ってどんなところなんですか?」

 純粋な疑問を言葉に出す。

 「そうだな、王都ってのはとにかく広いからな、観光ってならサーミラ城が一番わかりやすいぜ!!中には入れないがとにかく大きいからありゃ遠くからでもよくみえるぜ…」

 頭を掻きながら思い出すように語る、さぞすごいのかハロリアさんの声が興奮したように大きくなる。それでも表しきれないのか、今度は手で大きさを表してくれる。

 「ハロリアさんは王都に何しに行くんですか?」

そういえば、聞いてなかったと今更ながら思う。自分のことで手一杯になっていてハロリアさんの身の上話など聞く余裕がなかったので仕方ないといえば仕方ないんだけど

 「兄ちゃん、人には知らない方が幸せってこともあるんだぜ」

その一言に僕は息をのむ、背中から冷や汗がとまらない。まるで世界が止まったかのような錯覚を覚えた。僕は地雷を踏んでしまったようだ。助けてくれたのでいい人と思っていたですけどやっぱりあの見た目で御者ってのがおかしいかったんだ。無茶苦茶筋肉あるし大剣を背中に背負ってるし、僕はどこに連れられのだろうか、さらば第二の人生よ

 「冗談だよ、兄ちゃん、ビビらせって悪かったって…」

 僕が不安がる姿をみて、大笑いしたあと安心させるように言った。どうやら僕がものすごいリアクションがよかったからなのか鼻歌が聞こえてくる。なんであんな怖い顔からきれいな高音がでるんだと内心思いながら。

 「そういえば、僕お金持ってないや」

 今更ながら、ドンでもない事実に気づいた。やばいですよ、記憶を取り戻す前に職を手にいれないと明日があるとは思えない。というか、ハロリアさんに殺されてしまう、打開策はないかと持ち物を確認してみてもお金になりそうなものはない。

「これは、僕の記憶を取り戻すために必要なものだから大事にしないと」

そういって革袋が一冊の手帳を取り出す。ところどこと欠損していたりするが、何とか文字らしきものは見える。文字は見えるのだが、内容はわからない。手がかりだった手帳も何を書いてあるのかわからないので、役に立ちそうもない。踏んだり蹴ったりなんですけど

 「あの…ハロリアさん、僕お金がなかったです、すいません!!命だけは勘弁してください」

腹をくくって命乞いをする。恐怖からなのか声が上ずる。

 「安心しな、兄ちゃん俺も金なら別に大丈夫だぜ!、というか、見るからに金なんて持ってなさそうだしな。盗賊だって、兄ちゃんを無視するぜ」

返ってきたのは、何とも優しい言葉だった。ハロリアさん…神。もし僕がお金に余裕ができたら何かしようと心に決める。不幸つづきだった僕だけれど、ハロリアさんという人に出会えて本当によかった。

 「おい、兄ちゃん王都に着いたぜ!!」

心の中でハロリアさんに感謝していると、どうやら王都に着いたようだ。

 「ハロリアさん、この度は、助けてくれてありがとうございました。ハロリアさんがいなかったら僕はあのまま、魔獣の腹の中でしたよ」

あの時のことを思い出す。ハロリアさんが背中に背負っている大剣の魔獣を一閃して真っ二つしたときは、安堵より、恐恐としたのを覚えている。人の何倍もある魔獣はたった一振りで真っ二つするなんて、さすがハロリアさんだぜ。

 「へへっ!まぁ、いいってことよ、もうあんなあぶねぇ場所に近づくなよ、あそこは普通の人なら近づかない場所だぜ。そんなことより、もう行きな、兄ちゃん。兄ちゃんのせいで人目がすごいぜ…」

 「すびばせん、何にも恩返しできないでお別れなんて…」

自分の不甲斐なさとお別れに涙がこぼれる。そんな僕とは裏腹に王都にいる人たちの視線が痛い。王都だからなのか、亜人や獣人など多種多様種族が歩いていた。

「まぁ、俺も王都にいるけどな、またどっかで会うだろうっか。じゃ、兄ちゃん元気でな!!」

そういってハロリアさんは、馬車ともに、どこかへ行ってしまった。多分馬車をどこかにおいて来るんだろう。

 「よし、まずは、職を手にいらないと」

記憶を取り戻すのは、後回しでいいだろう。まずは、この世界の常識を身に着けないと、生きていけない。

 その時の僕はそんな悠長なことを考えていた。僕はもっと自覚してなければいけなかったのだ、僕の運の悪さを。そして、記憶喪失という厄介で致命的な欠陥を。

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