終話
私とノーマさんが辿り着いたのは、あの日ジョディ達がいた岩場だ。私を陸に上げてから、ノーマさんは周囲を見渡す。
「――うん、中継役の精霊達はいないみたい」
レース外の行動、ということで、今度こそ中継役の精霊たちは周りからいなくなったらしい。揃って安堵の息を吐き出し、私たちは隣合って座り合った。視界の先には、どこまでも続く水平線が光を受けて輝いている。あんな騒ぎがあった後だとは思えないほど、海は穏やかだった。
「~~っああああーーーーー心臓潰れるかと思ったああーーーーー!」
そんな綺麗な光景を台無しにするように、私は大声を出して両腕を伸ばしながら後ろに倒れこむ。
「レースで走って、ドラゴンに襲われて、女神さまに会って、恋人が出来て、って、私の人生で間違いなく一番濃度が高いよ今日。これ以上ない自信すらある!」
本当になんて濃密で慌ただしい日だったことだろうか。今更になって体中が痛い。疲労と打ち身・擦り傷、緊張が一気に全身に現れたような感覚だ。あいたた、と身をよじると、ノーマさんが私を見下ろしながら優しい音律で歌い始める。応じるように、体からは少しずつ痛みが消えて行った。どうやら回復の魔法らしい。全身に癒しを感じながら、私は目を伏せて耳に訪れる幸せを受け入れる。
ややあって、歌が止まった。
「どう? 少しは楽になったかな?」
「はい! ありがとうございます、すっごく楽です!」
勢いよく体を起こしてみても、少しばかり引きつるだけで痛みはすっかり引いている。人魚の魔法が凄い、というのもあるが、これは単純にノーマさんの魔力が強いおかげなのかもしれない。
「あ、ノーマさん。もしかしてなんですけど、浜でウェーブススライムが暴れてた時も助けてくれました?」
思い出したのはレース途中の出来事。今冷静な頭で思えば、あの異常な波は自然の物ではなく、人魚の魔法の手助けだったのではないだろうか。問いかけにノーマさんは少し照れたように目を伏せて頬に手を当てた。
「う。やっぱりバレるよね……うん、そう私の魔法です。海でぼんやり中継を眺めてたらエレンちゃんがレースに出てるのが見えたから、ちょっと近くに向かったらあの騒ぎで。エレンちゃんがあの子に水をかけてあげたいのが分かったから少し手伝いを」
「やっぱり。そっちもありがとうございました。助かりました! ちなみに、海の宝石ってノーマさん個人のことですか? それとも人魚全体のこと?」
ハルピュイアのお姉さんが言っていた、「海の宝石に愛されたお姉さん」という言葉。それが指すのがノーマさんなのは確信しているが、そこはどっちなのかが分からなかったのだ。
「人魚の種族全体のことだよ。ふふ、自分で言うのちょっと恥ずかしいね。この呼び方ね、私たち人魚がアリーエリティア様に物理的に一番近い種族だからなの。海神に愛された種族、が、転じて海の宝石、になったんだよ。でも、ちゃんと敬意を払っていればアリーエリティア様は海の生き物たちだけじゃなくて陸の生き物にも優しいのよ?」
今日はちょっと怖い所見せちゃったけど、とノーマさんは眉を八の字にして笑う。「ちょっと」、あれは「ちょっと」なんだろうか。ダイアドラゴンに向けていた絶対零度の眼差しを思い出し私はぶるりと震えた。そんな私に笑いを零し、ノーマさんは「本当に」と言葉を続ける。
「特にこの町はお気に入りなんですって。ここのお祭りはいつも、楽しみながらも敬い奉る気持ちを沢山くれるから。アリーエリティア様ってね、普段は沖合の神殿にいらっしゃるの。私たちの国すぐ近くね。でも、この時期は少しでも注がれる気を多く受け取りたいからってこの近くまでいらっしゃるのよ。さっきすぐに助けていただけたのはこのおかげだね」
ノーマさんは続けて語ってくれた。敬い奉る人間の気持ちが届くと、アリーエリティア様の神気に還元される。還元された神気は町を包み、その神気に当てられた精霊たちの活動が活発になる。つまり、ホルトレーアの精霊たちが人間に協力的なのは、人間たちが海神に祈りを捧げ続けた結果、ということだ。
「なるほど。そういう仕組みになってるんだ」
長年精霊が人間に協力的なのは土地柄だと思っていた(実際ある意味合っている)が、人間の信仰心が巡っているためだった。私が研究者だったら小躍りしたくなるくらいの事実な気がする。学者じゃないから感心しか出来ないのだが。
「ところで――」
それから、私たちは色々なことを話した。離れている間のこと。いつから好きだったか。どんな経緯で国を出て来たか。どんな気持ちでレースに臨んだか。この先どうしていくか。
あれやこれやと語り合い、気が付けば日は傾き世界は斜陽の中に包まれている。
「そろそろ一段落ついたかな? 帰ろうか?」
目の上に手を当て周囲を見渡した。今見える範囲だと水平線しか見えないのだが、陸地はどっちなのだろう。逆方向だろうか。立ち上がろうとしたとき、緩く手を掴まれた。
「エレンちゃん」
呼びかけられてノーマさんの方を見ると、青い双眸から注がれる柔らかな眼差しと真正面からぶつかる。
「帰る前に、これだけ言わせて」
言うが早いか、ノーマさんは私の首元に抱きついてきた。
「――大好きよ、エレンちゃん。本当に本当に、あなたが好き。たとえ泡になっても後悔しないくらい、あなたの事を愛してる」
耳元で囁かれる愛の言葉。泣き出しそうに震えた、熱の篭ったそれに、私の目もまた熱くなる。沢山話している間にふつふつと湧き上がっていた実感が、改めて改めて形になった気がした。本当に叶ったんだ。本当に、私の恋は、愛は、報われたんだ。
「私もです。あなたが好きです。本当に、本当に愛してます。――あなたが泡にならなくて良かった」
同じくらいの力で抱きしめ返せば、ノーマさんは更に力を込めて抱きしめてくれた。細い体からは想像もつかないほど強いそれが、彼女の想いの強さなのだと思うと、泣きたくなるくらい嬉しい。ノーマさんも同じなのかもしれない。先に鼻を啜る音がする。
しばらくしてからどちらともなく離れると、私たちはかなり近い距離で見つめ合った。熱い眼差し。きっと私も同じ目をしてる。
どちらともなく私たちは顔を寄せ合った。静かに瞼を伏せた少し後、唇には柔らかな感触が訪れた。
海と精霊と生きる町ホルトレーアの語り草。町の海辺の一角には、1軒の不思議な家が建っている。地上には普通の造りの部屋が、地下には海と繋がり海水の満ちる部屋があり、その家を作った大工は、終生自慢げに話していた。「俺は海神に祝福された恋人たちが住む家を作った男だ」と。
彼が丹精込めて作った特別な家では、海の女神に祝福されたハーフドワーフと人魚の恋人たちが、末永く仲睦まじくに暮らしていたという。
これはそんな幸せな二人の物語。
海色キャロル 若槻 風亜 @Fua_W
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