第二十九話 生い立ち

 その夜は談話室ではなく、役場の裏庭に小春たち新米六人と虎丸班、銀次班は集まっていた。

 これから野営をする可能性もあるので、外灯の少ない、瘴気に包まれた夜の郷に慣れることが目的らしい。


 役場の裏とはいえ、役場の中の電気はなるべく少なく、なるべく小さく使用する決まりになっているので、外に漏れてくる光はごくわずかだった。もちろんそれは、夜の妖怪の恰好の的にならないための行動である。


 猫神様の力のおかげで夜目が幾分か利くようになっていたので、暗闇には特にこれといって支障はなかった。


 気温も例年通りなら寒くて防寒具なしでの野営は厳しい時期のはずだが、瘴気の影響でそれも心配なく、外套があれば十分だ。


 だが、役場の結界の中とはいえ、建物の中ではない不安感と何処から妖怪に狙われているのかわからない緊張感は身を引き締めた。


「なんだか、今日はいつもより楽し気な声が聞こえてきますね」

 今の小春たちの気持ちとは裏腹に、陽気な話声が時折聞こえてきた。


「ああ、明日都へ発つ奴らもいるからな。別れ酒をやってる奴らがいるんだろう。お前らは可哀想なことに都行きの連中には冷たい目で見られているから、都派と郷派は仲が悪いようにしか見えないかもしれないが、皆がみんなそうじゃない。俺は郷を守るから、お前は都で家族を守ってくれ、なんて言ったりな」


 都へ行く理由は皆様々だ。郷を守りたい気持ちは強くても、残れないものだっている。その気持ちをお互いに分け合っているのだろう。

 いつもであれば小春たちも陽気に話をしている時間なのだが、夕方の件もあり、どうも上手く会話ができないでいた。盛り上げようとするも空回り、どこか皆お互いの顔色を伺うようでもどかしかった。


 星も見えず、夜風もない。先輩同士の話声がとてもありがたかった。


「俺さ、生まれて間もない頃、狗神に憑りつかれたことがあるんだ」


 いままでずっと俯いていた夏月がポツリと話し始めたので、皆がそちらを向き、耳を澄ませた。


「いや、俺が原因で迷惑かけたしさ、これからもまた言われることもあるかもしれないから話しておこうと思って。冬哉や小春は知らないからよ、混乱させるだろ」

 そう言って夏月は小春と冬哉に笑いかけた。


「あんまり重たい話に受け取らないでくれよ。まあ、なんだ、昔話だと思って聞いてくれ」


 夏月はなんとなく背筋を伸ばした。


「生まれて間もない頃に狗神に憑りつかれた俺は、運が悪いことに、お祓いをしても狗神は払えなかった。このままだと俺が死んでしまうってことで、狗神を俺の体内で封印することになった。もちろん、その時の記憶なんて俺にはない。


あと、なんで俺が狙われたのかっていうのは、まだ自我が確立してない、抵抗のない体を乗っ取ろうとしたんだと思う、って祓い屋の人に後々教えてもらった。


で、それから俺が六歳になった頃だったかな。

ひどいめまいと腹痛と吐き気に襲われたんだ。あのつらさは今でも覚えてる、二度とごめんな体験だ。そして、俺はそのつらさに気を失っちまった。


……気が付いた時には郷長と言霊師が俺を取り囲んでた。

どうやら封印が解けて、狗神が暴れて逃げたらしい。

その時に家は荒らされ、両親と妹は死んでいた。

なんで俺が生き残ったのかはわからず、奇跡だとも言われたが、俺にとってはいい迷惑だった。


俺が物心ついたころから、一部の人間から避けられているのは感じていた。

でもそれが、狗神が逃げてからは一段とひどくなった。


狗神はまたお前に憑りつくために、お前を生かしたんだ、とかあることないこと言われもした。ま、実際に本当のことはわからねえんだけどよ。


そんで、まだ小さかった俺は居場所がないのと、皆の言う通り死ぬべきなのかと感じて、自殺をしようとした。

その時に橋の上で会ったのが錦だ。

川に飛び込もうとしていた俺を掴み下ろして、急に殴ってきやがった。

ありゃ、さすがにびびったぜ。

口では散々言われても、直接殴ってくるような奴は今までいなかったからよ」


 夏月は思い出して笑っているが、錦は困ったように微笑んだ。


「そんでまあ、俺はそん時は親戚の家に居たんだが、事情を知った郷長が神社経由で別の引き取り手を探してくれたんだ。俺の事情を知ってても腫物扱いしない人の所にな。それで今の宮大工の息子として育てられた。


だから俺も小さい頃から神社で遊んでてよ、自然と琴音や秋穂とも仲良くなった。そんなこんなで、神社の人には本当に良くしてもっらったからさ、役に立ちたいってのが俺の心境なんだ」


「……夏月、話してくれてありがとう」

 話し終えてどこかすっきりした表情の夏月に冬哉はお礼を言った。


 夏月の話は思っていた以上に重く、父親に煙たがれることはあるものの、ぬくぬくと育った小春には考えられない過去だった。


 同じ郷でそんなことがあった話も聞かされていない。自分だけが助かって家族が死んだとなれば、心の傷も大きかっただろう。今でさえもあの言われようだと、当時も周りからの言葉なんて考えたくもないものだ。夏月は何一つ、悪いことなどしていないのに。とにかく、良い人たちに巡り合えて、夏月がここで笑ってくれている事実に安心した。



「それじゃ、僕も話さなきゃだね」

 冬哉が口を開いたが、いつもの明るい表情はそこにはなかった。


「……僕の祖父はこの郷に住んでたんだ。

そして、今回の元凶でもある桃香姫とも接点のある人物だった。

それでね、この郷にもしものことがあった時は駆け付けて、手伝うようにと幼い頃から言われて育ったんだ。だから少しの霊術は身に付けていたし、郷長も僕の名字を聞いて、すぐに受け入れてくれた。祖先のことでも、桃香姫と接点があったと言うのはまずい雰囲気だったから言えなかったんだよ」


「確かにその話は、火に油を注いじまうな」


 夏月は意地悪そうに笑った。それに冬哉も微笑むが、まだ言い残していることがあるのか、どこか暗い顔をして口をつぐんでしまった。


「ついでだから俺もここで話しておくが、封印を解いたのは俺じゃない。

ただ、あの時期、御神石の様子がおかしいと感じてよく見に行っていたのは確かだ。

御神石がまとっていた雰囲気も変わってきていたし、何よりも時折あの辺りで人影も目にした。しょっちゅう誰かが行くような場所じゃない。


だから、実は俺もはじめは郷長を疑ったんだ。でも、そうじゃなかった。


郷長も御神石の違和感を感じて見に来ていたそうだが、俺と同じく人影を見たといった。お互いの影を見ていたわけでもない。

俺の行動、人影を見た時間と郷長の行動、郷長が人影を見た時間は違っていた。

つまり、怪しい奴は別にいるんだ」


「猫姫様の封印を解きたいと思う人が、実際にこの郷にいたってこと?」


「いや、人間じゃないと俺は考えている。人間の姿をした妖怪か何か、とかな。まあ、これは俺の勝手な妄想だ、忘れてくれ」


 少しの沈黙を確認すると、牡丹はふいに立ち上がった。

 

「さてと、話の区切りはいいかしら? 明日は皆に体術の訓練をしてもらうからね、しっかり寝ておきなさい」


「体術?」


「そ。身のこなしと、即座の判断力、そして受け身を覚えてもらうわ。妖怪に突き飛ばされても大丈夫なようにね」


 この言い方だと、明日の訓練も手厳しそうだ。それを感じて小春たちは引きつった笑いを浮かべた。


「わかったら早く寝る」

「おやすみなさぁい」


「はい、おやすみ。……銀次、明日のことで話があるんだけど」


 牡丹は素早く切り替えて、少し遠くでひそひそと話し合っていた。

そう感じているうちに、小春は眠りについた。

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