第十一話 黒い影


 訓練を終えて神社の手伝いの後、外へ出ると景色が嫌に赤く感じた。


「嫌な赤だね」


 冬哉が双葉を抱きかかえながら小春の隣に来る。

 鳥居のそばの彼岸花が、夕日に溶け込んで頭をなくしているように見えて不気味だった。


「これは不吉な予兆よ! 気をつけなさい!」

 楓がここにいたのなら絶対にそう言っていただろう。小春でも不安になる景色だった。


「大丈夫だよ。気が落ち込んだときには、もふもふが良いよ。癒やされるから」


 不安な心が顔に出ていたのか、冬哉は小春に双葉を手渡してくる。


「ありがとう。でも、双葉がはじめての人にここまで懐いてるの珍しい。どうしちゃったの?」


「どうもしないよねぇ」

 冬哉の声に頷くように双葉は一声にゃあ、と鳴いた。


 今日会ったばかりだというのに、冬哉の声は懐かしく、優しく心に染みた。

 そこへ若葉もやってきて、小春の足にすり寄ってきた。頭をなでてやると嬉しそうに喉を鳴らす。


 若葉も双葉も、小春が訓練や一緒にいられないときは郷長に預けられている。


「猫の手が借りられて嬉しい」

 などと郷長は冗談を言っていた。


「あ、小春ちゃん達ここにいたんだね」

 若葉の後を追ってきたのか、琴音もやってきた。


 三人で木陰の腰掛けに座るが、しばらく沈黙が続いた。緩やかな風が静かに通り抜ける。沈黙を破ったのは小春だった。


「なんだか不思議。こうしてるとまだ二日目なのに、ずっとまえからこの神社にいる気分。まぁ、ちょっとはじめての訓練に怖気づいてるところもあるんだけど。足なんかもうプルプルしちゃって」


「小春ちゃんは素質もあるし、コツが掴めればきっと上手くなるよ。……実は私もさ、思ったより上手くできなくて不安になっちゃった。前にね、お前には言霊師は向いてない。中途半端な気持ちでやるな、目障りだ。ってお兄ちゃんに言われたことあって」


「錦は意外にも、きつめな毒を吐くんだな」


「もちろん私は中途半端な気持ちでなんてやってないし、でも上手くできなくて、だから気持ちが焦って空回りしちゃって。今日もそれで不安になった」


「そっか、なら一緒にちょっとずつ頑張ろうよ」

「僕ら初心者組だしね、これから得意なことも見つかるさ」


 三人で頑張ろう、と笑い合う。心なしか昨日からの琴音の中のわだかまりが少し解けた気がした。



 ふいに、ざわざわと嫌な風が吹いた。何者かに見られているような感覚もする。

 若葉と双葉は、ぴったりと小春に寄り添った。


「なんだろう、すごく嫌な感じがする」

 小春がそう言うと、琴音は立ち上がり裾を直した。


「とりあえず、皆の所へ戻ろうか」

「錦が神楽殿の方へ行くと言っていたから、僕は様子を見てから行くよ。二人は先に行ってて」

「わかった。気を付けてね」


 冬哉と別れると、小春と琴音は早足で参集殿へと向かった。

 すると入口に人影が見える。


「なんだか、嫌な風が吹いてきましたね」


 先輩方や神社の従者の人だと思い、小春が声を掛けてみたが返事はなかった。相手はちょうど影になっていて顔がみえない。


「忙しいし、考え事でもしてるのかな」

 気にしない事にして、その人の横を通り過ぎ廊下に出た。



「ねぇ、小春ちゃん。あの人なんか変だよ」

 琴音の声に振り返ると、先程の人影がはこちらにゆっくりと近づいてきた。


 しかし、影は影だった。人影のまま、頭と思われる場所には顔はなく、全体的に黒い影だったのだ。


「……サマ」


 あまりの恐怖に二人は数歩後ずさりするも、ただその影を見つめて立ち尽くしていた。


 何を喋ったのだろうか。

 鼓動が早くなる。逃げなければいけない、と思った時にはもう遅かった。


 急に大股で近づいてきた影は小春の首にその手を伸ばし掴んだ。小春は反動で声にならない声を出す。一瞬の事で頭が付いていかず、目の前に光がチラついた。


 若葉と双葉が今までに聞いた事のないような唸り声を上げて、その影の腕に噛み付いた。


 痛覚はあるのか、影の腕は小春を放し、大きく腕を振った。

 床に放り出された小春はそのまま尻もちをつく。


「小春ちゃん!」


 咳き込みながら琴音に大丈夫だと手で合図した。目の前では若葉と双葉が尻尾を太くして影を威嚇している。

 影がもう一度、小春に近づこうと一歩踏み出してきた。息が詰まり、上手く声が出せない。


 また一歩、影がこちらに近づき、若葉が今にも飛びかかろうとした時だった。



「来ないでください!」



 上ずってはいたが琴音の声が廊下に響いた。

 影は動きを止めた。

 ざわざわしていた空間がピリッと張り詰める。


「下がってください」


 今度は迫力はないが、するどい、しっかりした声だった。影は一歩後ろへ下がった。


「そのまま帰ってください」


 影は悩むような素振りを見せてから、困ったように小さく唸る。


「ウゥ……メサマ……ドコ」


 そう言い残し、影は外へ出ていった。それを見送ると、すぐさま若葉と双葉は二人に擦り寄ってきた。


「二匹とも守ってくれてありがとう。琴ちゃんもありがとう。あたし、声も出なくて」


 まだ喉に違和感を覚え、小春は咳き込見ながら猫を撫でた。

 琴音も小春のそばに腰を下ろして脱力していた。


「はぁぁ……怖かった。小春ちゃんは喉大丈夫?」

「うん、なんとか」

「それにしても、猫ちゃんすごいね! 頼もしかったよ。ありがとう」


 その言葉に応じるように、双葉は尻尾を振りながら喉を鳴らした。

 二人して脱力していると、外からバタバタと足音が聞こえた。


「琴音、小春、大丈夫か!?」

 姿を現したのは錦と冬哉だった。


「兄さん! 今、影みたいな奴がいて、小春ちゃんがちょっと首掴まれちゃって」


「中から出てくるそいつを見たんで、もしかしたらと思って走ってきたんだ。小春、見せてみろ」


 小春の体勢に合わせ、錦は目の前にしゃがみこんだ。真剣な表情で、そっと小春の首に手を伸ばす。

 錦の整った顔立ちが近づいて、小春は顔を軽く上げ、視線を宙にさ迷わせた。


「ちょっとふれるぞ」


 そう言うと錦の指の腹が患部を確かめるように、優しく触れた。

 妙に早くなる鼓動に反して、息を止めてしまう。


「瘴気の感染はなさそうだな、立てるか?」


 錦は立ち上がると、小春に手を差し出した。それを気恥ずかしさから、ためらいがちに借りて立ち上がる。


「ありがとう」

「さっきの奴は小春が追い返したのか?」

「いや、琴ちゃんが」


「そうか、まだまだ気は抜くなよ」

 琴音は何か言いたそうにしたが、言葉を飲み込み小さく返事だけをした。


「二人とも痛む所とかはない?」

 冬哉が錦の後ろから心配そうに顔を出して尋ねてきた。


「大丈夫、ありがとう」


「よかった。でも、訓練で上手くできなかったって言ってたのに、追い返すなんて琴音ちゃん凄いや」


「本当に。琴ちゃんかっこよかったの」

「私もどうなるかと思ったけど、猫ちゃんがかばってくれたおかげだよ」


「今回は上手くいったかも知れない。だからと言って、調子には乗るなよ。俺は郷長の所へ報告をしに行ってくる。冬哉、二人をまかせる」


「わかった。気をつけて」

 錦は琴音に一瞥くべると、すたすたと去ってしまった。


「錦ったらそこまで厳しく言わなくてもねぇ。確かに、この状況だとまだ気は抜けないけど」


「お兄ちゃんは、いつだって私を認めてくれないから。言ってることも正しいし」


「でも、今回は琴ちゃんのおかげであたしは助かったんだから。その事実は変わらないよ。本当にありがとう。ひとまず、大広間に行こうか」


 小春達が大広間へ行くと、予想と反して人が全くいなかった。時々、パタパタと人が来ては、またどこかへ足早に去っていく。どうやら、外の方が忙しい様だ。


「鶴彦先輩たちも大広間にいるって言ってたのにね。なにかあったのかな」

「妖怪も怖いし、邪魔にもなりたくないし、しばらくここにいようか」


 部屋のすみで三人と猫二匹は身を寄せた。

 なんとなく暗い雰囲気に、小春はなにか話題はないかと考えて、良いことを思い出した。


「ねえ、飴でも食べる? 気を張りすぎるのも良くないよ」

 小春は兄からもらった飴を巾着から出すと二人に渡した。


「ありがとう。私、甘いの大好き」

「僕も結構好きなんだ。ありがとう。こんな時だからこそ、こういうのを忘れちゃいけないよね」


 錦と別れてから表情の暗かった琴音が笑ってくれたのを見て、小春は安心した。 



「それでもやっぱり、私達だけ何もできないって惨めね」


「早く、戦力にならなきゃなのにね。そうだ、ここで出来そうな簡単な修行はないかな?」

 小春は提案しながら、懐のぬいぐるみを取り出した。琴音と冬哉もそれに習う。


「あ、こんなのはどうかな。”ぬくもりよ、その身に宿りたまえ”」


 冬哉はそう唱えて、ぬいぐるみを優しく包むようににぎった。一見変化はないが、にこっと微笑むと自分のぬいぐるみを隣に座る小春に渡す。


「あたたかい」

 驚きと感動の表情のまま、琴音にそのぬいぐるみを渡す。


「本当、あたたかい。癒される」

「これはね、優しい気持ちを送ることが大切なんだ」


「よし、あたしもやってみる。狸吉、よろしくね」

 小春は冬哉の助言に意気込んだ。


「え、狸吉? これの名前か。というよりも、これ狸なんだね。なら僕のはぶんぶくにしようかな」

 冬哉が笑いながら自分のぬいぐるみを見つめる。


「なら、私は鋼丸にする! 強くなりそうでしょう!」

 高らかに名付ける琴音に反し、予想外な名前に困惑した小春と冬哉は言葉がつまってしまった。

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