15. 少しだけ、早いお返し

(SE:上演開始のブザー)

アナ「本日は、当劇場にお越しいただき誠にありがとうございます。大変長らくお待たせ

いたしました。これより『私と先輩が結婚すべき理由』第15話【少しだけ、早いお返し】を上演いたします。最後まで、ごゆっくりご鑑賞下さい」


正嗣N:設楽との付き合いも、もうけっこう長くなった。にも関わらず、俺はその日、初めて設楽からチョコレートをもらった。

 


正嗣「ほら設楽。今日の弁当だ」


薫「先輩。ハッピー……ばれんたいーん」


正嗣「お、おう」

 


正嗣N:突然、サンタが背負っていそうな、クリーム色の袋を渡された。それは、俺の顔ほどの大きさの布製の袋で、受け取ってみたら、ずっしりと重い。

 


正嗣「……なんだこれは」


薫「先輩には、日頃からお世話になっていますから。そのお返しということで」

 


正嗣N:そういえば……今日はバレンタインデー。事務所の中にも義理チョコスペースが設置されていて、女子社員たちからのささやかなチョコの差し入れが置かれていた。

 

でも、今回はそれだけでなく、設楽が俺に個人的にチョコをくれた訳だ。

 


正嗣「ありがとなー設楽」


薫「どういたしまして」

 


正嗣N:俺のお礼に満足したのか何なのか……設楽はよく分からない仏頂面で、こちらをジーッと見ている。……早く開けてほしいのか?

 


正嗣「とりあえず、開けていいか?」


薫「どうぞ」

 

正嗣「……なんだこれは」


薫「チョコですが」

 


正嗣N:袋の中に入っていたのは……色気の欠片も、女の子的可愛さもない、お徳用割れチョコ、一キログラムという代物だった。

 


正嗣「……割れチョコか」


薫「女子力がなくてすみません。ですがおいしいチョコなので。一キロのものを探すのは苦労しました」

 


正嗣N:そう言いながら満足げに鼻の穴をぷくっと広げる設楽を横目に、俺はなんだか残念な気持ちを抱えていた。

 

……いや、ありがたいよ? こんなにたくさん……しかもラベルを見るに、使っているカカオは一級品。大人向けのビターチョコという訳でもなく、甘党の俺好みの、さぞや美味しいチョコに違いない。……でもね? バレンタインに、包装にデカデカと真っ赤なフォントで『お徳!!』と書いてある物を選ぶ、その微妙すぎるチョイスは何なんだ? いやうれしいよ? うれしいけど……!

 

正嗣「……ま、まぁ、ありがたくいただいておく」


薫「どうぞご堪能下さい」

 

正嗣N:俺の困惑は設楽には伝わってないみたいで一安心だが……それにしても、女の子っぽさの欠片もないこのチョイス……設楽らしいといえば設楽らしいのだが……

 

沈んでいく気持ちをなんとか上向きに修正し、俺は弁当を食べ進める。

 


薫「もぐもぐ……ふぇんふぁい」


正嗣「(食べながら)なんだ」


薫「ごぎゅっ……私のチョコ」


正嗣「それがどうした」


薫「……食べないんですか?」

 


正嗣N:設楽が、先程俺にくれた、割れチョコお徳用一キログラムが入った、白い布の袋に視線を向ける。……ははーん。さてはこいつ。

 


正嗣「(笑う)食べたいのか」


薫「いえ、そんなわけではありませんが」

 


正嗣N:うそつけ。鼻の穴がぷくってふくらんで、座高だって一瞬ぴこんって上に伸びたくせに。

 


正嗣「……食べるか。……ほら、設楽」


薫「よろしいんですか」


正嗣「食べたかったくせに」

 

薫「ではいただきます」


正嗣「めしあがれ(正嗣も食べる)」

 

薫「……」


正嗣「…………うまいな」


薫「……おいしいです」

 


正嗣N:設楽も同じ結論だったようで、その、人を殺す勢いの鋭い眼差しが、キラキラと輝きを帯びているように見えた。

昼休みが終わり、その後はいつも通り仕事を終わらせて帰宅した……のだが。

 

俺は今、自宅の台所で、設楽から貰ったチョコの楽しみ方を思案している。

 

正嗣「うーん……」

 

正嗣N:これだけたくさんのチョコ。そのまま板チョコとして楽しみ続けるだけではもったいない。


もらった時は正直面食らったのだが……設楽のこのチョイスは、俺にとってかなり有意義なプレゼントだった。板チョコとしてはもちろん、あらゆるお菓子へとクラスチェンジ出来る。

 

……そういえば、明日……つまり2月15日は、あの仏頂面女、設楽薫がこの世に生まれ落ちた日だ。

 


薫『先輩。誕生日のプレゼント、楽しみにしております』


正嗣『お前は俺の誕生日にプレゼントをくれたのか?』


薫『後輩にたかる気ですか。人でなしですね先輩は』


正嗣『うるさいわ』

 


正嗣N:去年のそんな会話が思い出される。確か去年は飲み屋で黒霧島のボトルをプレゼントしたのだが……あいつ、いつもと変わらない仏頂面だったな……もっともその頃は、あいつは嬉しい時に鼻がぷくって膨れるってことに俺は気付いてなかったから、本当は喜んでいたのかもしれないが……。

 

そういや今年は何も言ってこなかったな……そんな風に設楽の誕生日に思いを馳せていたら、ふと思いついたことがあった。

 

正嗣「……そうだ」

 

正嗣N:台所と冷蔵庫を見回し、使えるものがあるか確認する。今使えそうなのは……ホットケーキミックス……無塩バター……バナナも問題ない。

 

次に、設楽の割れチョコの山を見る。見事にすべてが割れていて、俺が考えていることに使えそうなものはない。

 

腕時計を見た。今の時刻は午後9時。少し離れたスーパーなら、まだギリギリ開いている。今ならまだ間に合う。俺は必要な材料を買い揃えるために、普段は行かない高級スーパーへと、自転車を走らせた。


そして翌日の朝。俺は出勤してすぐ、設楽のもとへと、足を運んだ。理由は一つ。昨晩作ったものを、設楽へと渡すためだ。

 


正嗣「おはよう設楽」


薫「おはようございます。珍しいですね。私の席に先輩が足を伸ばすなど」

 


正嗣N:眠そうな目ではあるがいつもの仏頂面のまま、こちらをじーっと見つめてくる設楽に対し、俺は手に持っていた15センチ四方の平べったい、四角い箱を手渡した。真っ白でツヤのある、とてもキレイな化粧箱だ。

 


正嗣「ほい」


薫「……これは?」


正嗣「昨日のバレンタインチョコの礼だ」


薫「ホワイトデーはまだ先ですが……」

 

正嗣「心配せんでも、その時はその時でちゃんとお返しするわ」


薫「はぁ」


正嗣「これはそれとは別に、お前にやるプレゼントだ。たくさんチョコをもらったからな。そのおすそ分けだ」


薫「ということは、チョコですか。あのままちびちびくれればいいのに。わざわざ化粧箱に入れてくるなぞ」

 


正嗣N:こっちをジッと見上げる設楽の鼻が、さっきからピクピクしてやがる……。鼻の穴の痙攣なんて生まれて始めて見たな……。こいつ、今よっぽどうれしいのか。

 


正嗣「ああそうだ。昨日のチョコだ。昼にでも食べろ」


薫「……ありがとうございます。でももしかしたら、仕事中に食べてしまうかもしれません」


正嗣「構わん。好きなタイミングで食べるといい」

 


正嗣N:俺は言いたいことだけ言って……しかし核心には触れないまま、設楽の席を後にした。俺は設楽に背中を向けたから、今あいつがどんな顔で何を見つめているのかは分からない。でも、これだけは分かる。アイツの鼻は、今もきっと、痙攣していることだろう。ぷくっ、ぷくっと、膨らんだりしぼんだりしているはずだ。

 

 

そうして午前中の業務が始まったのだが……明らかに、設楽の様子がおかしい。なんだかそわそわして、仕事に集中しきれていない。

 


後輩「係長、岸田建築のメールの件はどうなりましたか?」


薫「……あ、す、すみません。午前中のうちに終わらせます」


後輩「それから、ノムラ事業所との業務委託契約書についても……」


薫「す、すみません。そちらも今日中に準備いたします」


後輩「……はい、お願いします」


薫「……ふぅ」



正嗣N:部下がいなくなると、設楽はため息をつき、周囲をキョロキョロと見回した。……さてはあいつ、俺が渡した箱をこれから開けるつもりだな? 今の機能不全なあいつが、一体どんな反応をするのか楽しみだ。クックックッ……胸が踊るぜ。

 

そうして俺が、罠にハマっていく哀れな設楽をほくそ笑みながら眺めること数分。ついにヤツは、仏頂面のまま、俺が渡した化粧箱を机の上に出した。周囲を警戒しながら、設楽は化粧箱を開いた。そしてその途端……

 


薫「ひゃあッ!?」

 

全員「「「「……?」」」」

 

薫「す、すみません。何でもない……です」

 

正嗣「っく……ぶぶっ……」

 


正嗣N:まさか、あの冷静沈着で仏頂面の設楽が、あんな素っ頓狂な声を上げて驚くとは……!! これは予想以上の反応だ! ひょっとしてあいつ、リアクション芸人の才能もあるんじゃないのか!?

 


正嗣「くくっ……ぶふぅ……っ」


薫「……!?」

 

正嗣N:ダメだこらえきれん……いかん……設楽が俺に気付いてこっちを睨みつけている……我慢だ……我慢して仕事に専念……できんッ!

 


正嗣「うっく……ぶ、ぶふぅうッ」


薫「……ッ!!!」

 


正嗣N:身体をプルプル震わせて笑いをこらえる俺のことを、設楽がじーっと仏頂面で睨みつけているが……ダメだその姿がもはや面白い。笑いがこらえられん。

 

しかもさらに面白いのは、設楽はいつも以上のものすごくするどい眼差しで俺のことを睨みつけているにもかかわらず、それでも設楽の鼻はぷくっと膨らみ続けていることだ。なんだかんだで、設楽はアレが嬉しくて仕方がないらしい。

 

見ていて愉快過ぎる。あの、常に冷静かつ意味不明な物言いで俺を振り回す設楽が、今は俺のプレゼントに翻弄されている。面白すぎる。これが面白くなくて、一体何が面白いというのか。

 


こうして、笑いをこらえながら午前の仕事は終了し、晴れて昼休みの時間となった。

 

薫「……先輩」


正嗣「おう。飯を食べるか」


薫「……この箱は一体、何ですか」


正嗣「ぁあ、昨日のチョコのおすそ分けだ」


薫「いえ、そうではなく……」


正嗣「じゃあ何だ」

 

正嗣N:しらばっくれる。あくまで平常心ぽく見せねば……笑いを堪えねば……ぶふぅっ。

 

薫「こらえきれてないじゃないですか」


正嗣「す、すまん……ついな……ぶふっ」

 

薫「……これを、昨日のチョコで作ったのですか?」

 


正嗣N:化粧箱の中には、俺が朝セッティングしたままの、ホイップクリーム乗せバナナチョコブラウニーが入っていた。

 


正嗣「そうだが? 何か問題でもあるのか?」


薫「確かに、料理ができる先輩のことだから、ただのチョコのおすそ分けではなさそうな気がしてたのですが……」


正嗣「それで中が気になって、午前中はあんなにそわそわしてたのか? ぶふっ……」


薫「それよりも、これは一体何ですか?」

 


正嗣N:設楽が、箱の中のチョコブラウニーを指し示す。何について言っているのか俺は見ずとも理解出来たが、あえてわざとらしく、俺も箱の中を覗き見た。

 

設楽が指差したもの。それは、チョコブラウニーのホイップクリームの上にちょこんとのっかった。ホワイトチョコでメッセージが書かれたチョコプレートだ。そこには俺の筆跡で、『はっぴーばーすでい しだら』と書かれている。

 


正嗣「だってお前、誕生日だろ」


薫「そうですが……」

 


正嗣N:おーおー。今日は本当に珍しいものが見られる日だ。設楽がまたうろたえ始めたわ。今日はこいつの新鮮な姿が見られて楽しいのう。

 

実は昨日、俺は設楽の割れチョコを使って、バナナチョコブラウニーを作ったのだ。ブラウニー自体は、ホットケーキミックスを使えば、実に簡単に作ることが出来る。詳しい話は割愛するが、基本は全部ぶっこんでオーブンで焼けば終わりだ。こんなに簡単に出来るのに、味は格別。たまらん。

 

さらに今回はそれだけでは寂しく感じたので、わざわざホイップクリームを作って出来上がったチョコブラウニーに乗せ、さらにちょこんとメッセージを書いたチョコプレートを乗せた。わざわざ夜遅くに普段行かない高級スーパーに行って、プレートとホワイトチョコのペンを買ってきて、俺が直々に書いてやったのだ。設楽のこの顔を拝むために。

 

効果はバッチリだ。こいつは午前中、俺の予想を軽く上回る反応を見せてくれた。普段から俺を意味不明な言動で振り回してきやがる仕返しだ。ざまーみろ。

 

とはいえ、純粋にこいつの誕生日を祝おうという気持ちも、まったくないわけではない。

 

正嗣「誕生日おめでと。設楽」


薫「う……ありがとう……ございます」

 

正嗣N:去年は黒霧島のボトルだなんて、あまりに色気のないプレゼントだったからな。今年はキチンと喜ばせてやろうと思ったんだよ。恥ずかしいから、本人には言わないけどな。

 

薫「……ところで先輩」


正嗣「おう」


薫「ご飯食べ終わったら……これ、一緒に食べましょう」


正嗣「いいのか」


薫「はい。一緒に食べて下さい」

 

正嗣「(鼻が膨らんでるのを見て満足そうに)

んじゃあとで食べるか」


薫「はい。でも今日は私もおすそ分けしますから、卵焼きはいつもより多めに下さい」


正嗣「……いや、それはなんかおかしくないか?」


薫「おかしくありません」


正嗣「……」

 

正嗣N:そう言って、鼻が膨らみっぱなしの設楽は、午後からはいつもの落ち着きを取り戻し、いつものようにバリバリと仕事に取り組んでいた。チョコブラウニーは2人で半分ほど食べ、残りは家で食べるそうだ。せいぜいチョコを満喫してくれ。

 


それから数日間の間、設楽の様子が妙におかしかった。……いや、俺に対する態度は、いつもの通りといえばいつもの通りなのだが……

 

正嗣「なぁ設楽」


薫「はい」


正嗣「お前、最近仕事が忙しいのか?」


薫「いや特には」


正嗣「んじゃ何か難しい仕事でも抱えているのか」


薫「そういうわけでもないですが」

 


正嗣N:こうやって俺と一緒に、普通に昼飯を食べてはいるし、本人曰く、別段忙しいわけでもないらしい。普段と何ら変わりのない、いつもどおりの日々なのだそうだ。

 

だが俺には、とてもそうは見えない。設楽は、一日中机にかじりついてパソコンを忙しそうに叩き、頭を捻っては何かの資料を眺め……ときに思い出したようにピコンと座高を伸ばして、またせわしなくキーボードを叩く。

 

……そして、そんなケッタイな様子の設楽を、俺が頭を捻りながら見守っていた、ある金曜日の昼飯時のこと。

 


薫「ふぇんふぁい」


正嗣「……口の中のコロッケを飲み込んでから話せ」


薫「ぐぎょっ……ふぃー」


正嗣「今日のカニクリームコロッケはうまいか」


薫「おかげさまで。それよりも先輩」


正嗣「おう」


薫「今晩は空いてますか?」


正嗣「空いている」


薫「では、居酒屋『チンジュフショクドウ』に行きませんか」


正嗣「なんだ飲み会か?」


薫「そんなもんです。7時から始めるのでよかったらぜひ」


正嗣「分かった。一度家に戻っていいか?」


薫「構いません」

 


正嗣N:とこんな具合で、突然に飲み会に誘われてしまった。特に断る理由もなく、予定も何もなかったため、二つ返事でOKした。

 

その時は、『何か相談事でもあるのか? やっぱり何か問題を抱えていたのか?』と思っていたのだが……いやはや…… 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る