7. 正直な所、俺は困り果てていた
(SE:上演開始のブザー)
アナ「本日は、当劇場にお越しいただき誠にありがとうございます。大変長らくお待たせ
いたしました。これより『私と先輩が結婚すべき理由』第7話、【正直な所、俺は困り果てていた】を上演いたします。最後まで、ごゆっくりご鑑賞下さい」
正嗣「うーん……」
薫「なにか?」
正嗣N:誰が俺の立場でも、きっと困り果てるだろう。こいつに『結婚して下さい』と言われて、『ふざけんなコノヤロー』と思うアホはいない。俺だってそうだ。確かにいろいろな意味で難のある女だが、こいつは付き合っていて退屈しない。『結婚して下さい』と言われれば、悪い気はしない。……だが。
正嗣「……」
薫「さては先輩」
正嗣「……?」
薫「ついに私に輿入れする覚悟が……」
正嗣「だまれ」
薫「ひどい」
正嗣N:こいつと俺では釣り合わない……それはこいつも分かっているはずだ。おれよりいい男なんて、世の中にはごまんといる。それなのに、俺に拘る理由は一体何だ……?
設楽が黒霧島をぐびっと煽ったその瞬間、こいつが今来ているスーツの上着の、左の袖口が目に入った。
正嗣「……そのスーツ」
薫「?」
正嗣「ボタン、まだ換えてないのか」
正嗣N:設楽のスーツの左手の袖口には、ボタンが3つついている。そのうちの2つは黒色だが……うち一つは、以前に俺が応急処置でつけてやった、真っ赤なボタンだ。大きさも、他の2つに比べると、ちょっとだけ大きく、そしてポップで……。
薫「ああ、このボタンですか」
正嗣「休みの日にでも付け替えろって言っただろ」
薫「私はお裁縫なぞ出来ないと言ったはずですが……」
正嗣「だとしても、店に持っていくとか色々解決策があるだろうが……」
薫「これ、実は意外と客先で評判が良いんです。『おしゃれですね』って言ってくれるんです」
正嗣「ホントか?」
薫「冷や汗混じりですが」
正嗣「……」
正嗣N:目に浮かぶ……きっとこいつの話し相手は、仏頂面のこいつの迫力に押されて、苦し紛れに『おしゃれですね』と言ってるんだろう……。
正嗣「……設楽、上着こっちによこせ」
薫「なぜですか」
正嗣「元々は俺がそのボタンしか持ってなかったのが原因だ。だから……」
薫「おっ。ついに私の上着につけるための、柴犬『ワタベ』のアップリケを作ったのですか」
正嗣「作ってないし、着けるつもりもない。そもそも犬は飼ってない。ちゃんとそのスーツに合うボタンをつけてやるから」
薫「でも残念ながら袖口にアップリケをつけるのは私はどうかと思います。キチンとTPOをわきまえて……」
正嗣「だからつけるのはボタンだと何度説明すれば……」
薫「……ハッ。でも裏地なら、存分に先輩作のアップリケをつけていただく十分なスペースが」
正嗣「離れろ!まずアップリケから離れろ!!今なら黒のボタンあるから、付けなおしてやるってんだよッ!!」
薫「……先輩」
正嗣「なんだよ。いいから早く脱げって」
薫「やーん」
正嗣「仏頂面でかわいいことを棒読みで言っても何の可愛げもないぞ」
薫「ちくしょう」
正嗣「早くこっちに上着よこせよ」
薫「いやです」
正嗣「なんでだ……みっともないだろ。そんなボタン……」
薫「みっともないって何ですか。これは私が選んだボタンです」
正嗣「……」
薫「これは、先輩がつけてくれたボタンだから、取り替えたくありません」
正嗣「……」
薫「このスーツに何色が合うかなんて正直、関係ありません」
正嗣「……」
薫「このスーツに合うか合わないかより、先輩がつけてくれたボタンかどうかのほうが、私には大切です」
正嗣「……」
薫「……そしてアップリケはいつつけてくれるんですか」
正嗣「だからアップリケから離れろ。どれだけアップリケをつけてほしいんだよ」
薫「先輩のアップリケならさぞ可愛いだろうと、あの日から胸がドキドキして夜も眠れません」
正嗣「え……」
薫「嘘ですが」
正嗣「……」
正嗣N:仏頂面から繰り出される設楽からの突然の抗議に、俺は何も言い返せなくなった。
……呆れすぎて。
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