かふぇいんの教室

蜜柑

眠れゆりかごゆれないように

「始まりと終わり、どっちが好き?」

 彼女は机の上で両手を重ねて、ニュース番組の女子アナウンサーみたいな調子で言った。またこういう質問だ。時々うんざりするけど、今日はまだイヤな気分じゃない。

「始まりかな。終わりはしんどいこと多いし。あと三日坊主で終わるのは後味悪いけど、三日坊主の一日目は気が楽だし」

「ふうん」

 彼女はまだこっちを見ていた。仕方ないから、それ以上何か言えることがないかとグルグル考えて、思いついたことを片っ端からしゃべろうと、

「あとアレ、えっと、部活も入部するのはどうってことないけど退部しますって言ったら引き止められたりするしさ、なんか終わるのって難しくてダラダラしちゃうけど、始めるのはこう、スパッとできるじゃん。だから始まりのほうがいい。始まりも終わりも両方あるなら、終わりが大体めんどくさいから、始まりの方がいい」

 思いつくことをそのまま口に出したら、自分でも何を言っているのかわからなくなってしまった。祥子は私が話すのを、ぱっちり二重の目でずっとじっと黙って見て聞いていたが、ここでようやく、口を開いた。

「じゃあ、終わりがなければ?」

 その時の彼女の目が、ウユニ塩湖のさざなみひとつない鏡のような水面みたく、しんと静かで奥深くまで澄み渡っていたことを、私は強く印象的に感じた。

 けれども結局、私はそのことを気にかけなかった。

「何言ってんの、何事にも終わりはあるじゃん。すべてのものに始まりがあるし、始まりがあれば終わりがあるよ」

 なんだか寒くなってきた気がして、誤魔化すような言い方をしたら、祥子も、

「まあ確かに。終わりはないと困るもんね」

とボソリとつぶやいたから、ほっとした。うん、うん、そうだよ、と発した声が徐々に大きくなっていった。祥子と話すと、時々こういう気分にもさせられるから、困ってしまう。

「終わりがあれば始まりがあるよ。人間も死ぬから生まれるし、宇宙も大爆発でできたって言うじゃん。なんだっけ、ビッグバン?そういうアイドルグループもあったよね」

「そうかな?終わりがあるとしても、始まりがあるとは限らないよ」

 と、彼女は私の言葉を自然に無視した。私はちょっとムッとしたけれど、祥子のしたい話を逸らそうとしたのはちょっとよくなかったかもしれないとか、ここは大人な対応を、とか考えてぐっと堪えた。

「たとえば宇宙だって、あくまでビッグバンでできたっていうのは言われているだけで、所詮は仮説で、それを誰かが観測したわけじゃないでしょ?本当ははじめから全てのものが存在していて、時間軸だけがなかったのかもしれない。時間って概念がなければ、始まることはないからね。でもたとえば時間がない宇宙に時間の概念があらわれても、それを始まりと言うのはおかしいよ。だって、宇宙はずっとそこにあったんだから」

 彼女の言葉は説明口調だけれど、私に本当に理解させるつもりで言われてる気がしない。早い段階で、すでに私の耳は彼女の言葉の意味が理解できなくなってしまった。こういうのを、馬の耳に念仏、と言うんだろうなとぼんやり思った。

「たとえ時間軸が常に宇宙にあったとしても、それでも始まりがない証明にはならないよ。すべてのものに始まりがあるとか、終わりがあるとか、証明することはできないんだよ。世界5分前仮説、はちょっと違うけど、うん、実際は自分の思ってもみなかったところに始まりがあるのかもしれないし、そもそも始まりなんてなかったのかもしれない」

 いくらか話して疲れたのか、彼女はここでちょっと息を調えた。それから今度は、私に言い聞かせるように、ゆっくりと丁寧に言った。

「人間もそう。私たちは14歳で、14年前に生まれたって思い込んでいるけれど、本当にそうかな?実際は1年くらい前に生まれてたのかもしれないよ。2年3年、10年、2000年、知らないだけで、覚えていないだけでずっと昔から私たちはいたのかもしれない。ひょっとしたら、私たち、生まれてもいないのかも?母親のお腹の中に入ってたなんて全部嘘で、もしかしたら、私たちは、もうずっと永遠に、14歳を繰り返していたりして……」

 ちょうど祥子が言い切る前に予鈴が鳴り、彼女は立ち上がって自分の席にすたすた戻って行った。私は最後の一言の、永遠に、14歳を繰り返す、というところをもう一回だけ思い返して、でもすぐに忘れて、次の授業の教科書を取り出しに、カバンの中に片手を突っ込んだ。


 ◆


 ゆっくりと目を開いた。人工的な眩しい光が、瞳の奥に直接入ってくる。窓の向こうはすでに真っ暗で、残業お疲れ様なサラリーマンたちが作る夜の光がぽつぽつ見えた。

 のそのそ体を起こして、眠い目をぐりぐり擦って、私は教室を見渡した。誰もいない。うっかり、遅い時間まで寝ちゃったみたい。

「帰らなきゃ」

 カバンを提げて教室の電気を消そうとして、ふと、何か頭の中に知らない人の言葉が思い浮かんだ。

「永遠に、14歳を繰り返す……なんでこんなの思い出したんだろう?マンガの台詞?もしかして、夢で誰かが言ってたのかな」

 まあどうでもいいかと、照明のスイッチに触れて、するとその時に、唐突に、この言葉を言った少女の顔が思い浮かんで、アッと声を上げそうになった。

 そうだ、祥子だ。2年ほど前まで同じクラスで、いつも変な質問ばかりしてきた、あの子。終わりを見つけに行くと書き残し、それからずっと行方不明の、かつての友達。

 思い出して、ふ、と自嘲に似た笑いが溢れた。私は今も、彼女の席に花瓶が置かれたこの教室で、同じカレンダーがかかったこの教室で、私以外誰も巡る日々に気づかないこの教室で、また、14歳を生きている。

 彼女の机の上に置かれた白い花瓶を、見るとガーベラが花びらを数枚落としたまま、普通の顔して咲いていた。私は落ちた花びらをチラと見て、スイッチを押した。

 消灯。

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