第4話 魔術

「ああ、さっきのあれ? 魔術よ。風の魔術」


 カティの村へは徒歩で3時間ほどの距離にあるということだった。

 その道すがら、文鬼はカティが先ほど使った技について訊いてみた。 

 武に繋がるものには何であれ興味を持つのが、文鬼という男である。


「魔術――」


 いわゆる手品マジックなどではなく、本物の魔法マジックなのだろう。

   


「ざっくり言っちゃうと、世の中の様々な現象を操作する術ね。

 この世界の大気は霊質エーテルっていう元素で満たされてるの。

 それを介して色んな現象を起こすってわけ」

  

 エーテル。

 文鬼の知る限り、物理学における仮想の物質の名ではなかったか。

 確か現在ではその実在が否定されていたと思うが、そこは文鬼の住む世界とは世界の法則自体が異なるのかもしれない。 


「風の魔術――あれは、風を操っていたわけか」


「正確には、固めた大気の霊質エーテルそのものを《弾》として飛ばしたの。

 修行不足のせいで、小鬼ゴブリン一匹すら倒せなかったけど……」


「研鑽の余地がある、ということか」


「ええ。私のは怯ませたり牽制する程度にしか使えないけど、熟練すれば盾を貫通させたり、無数に連射したり、軌道を自由に曲げたりする使い手だっているって話よ」


 なるほど。

 奥深そうだ、と文鬼は思った。


「それは、おれにも使えるものなのか?」 

  

「うーん、どうだろう。

 師匠の話だと、生まれついた魔力マナの影響が強いそうよ。

 あ、魔力マナっていうのは霊質エーテルを操作する力のことね」


霊質エーテルを操作する為の動力となるのが、魔力マナか」


「そういうこと。

 いくら霊質エーテルに満ちた場所でも魔力マナがないと魔術は使えないし、いくら強大な魔力マナを持っていても霊質エーテルの少ない場所では大した現象は起こせない。

 そんな感じ――って、ブンキ、使いたいの?」


「いや、どういうものなのかを知っておきたかっただけだ。

 俺の武は空手で出来ている。

 そこに余計なものが入り込めば、むしろ強さを損なう」


「カラテ……それが、ブンキがさっき使った武術?」


「そうだ」


「私がそのカラテを使ったら、強くなれるかな?」


「空手は誰にでも使えるが、一朝一夕でものではない。

 強くなろうと望むならば相応の年月をかける覚悟が必要だな――」


 と、その時。

 文鬼は気配を察知して立ち止まった。

 ただならぬ殺気である。


「……なにか居るな」


「え?」


 釣られて立ち止まったカティが文鬼の視線の先を見る。

 木の後ろに、何やら巨大な影が動いていた。

 それはどうやら人の形をしている。

 やがて、それが木の陰からのっそりと現れた。

 

「ウソでしょ……」


 その姿を見て、カティが呟く。

 巨体であった。

 ゆうに3メートルはあろうかという身長の高さもだが、何より横に太い。

 胸も腕も分厚い脂肪に覆われており、腹などは大きく前に突き出る程だ。

 脂肪の塊から手足が伸びているかのようだった。


巨鬼オーク……なんでこんな場所に……」


「オーク、というのか。巨大なあれは」


 その姿から文鬼が連想したのは相撲の関取である。

 関取は脂肪の下にその大量の脂肪を維持するだけの筋肉を備えている。

 それ故に、あの体脂肪量で動けるのだ。

 それはつまり、単純に力が強いだけでなく、脂肪という質量をそのまま武器とし、対象への破壊力に変じられる、という事だ。


「強いか」


小鬼ゴブリンなんて比較にならない魔物よ」


「何か気を引いて、その隙に逃げるか」


 文鬼のよく知る熊が相手であれば、戦いを避ける場合そういう方法を取る。


「ムリよ。巨鬼オークは一度狙った獲物は決して諦めない。

 倒すしかないわ」


「倒すか」

 

「私の使えるものの内、最強の術をぶつけてみる」


「ほう」


「でも、その魔術を発動するには少し時間がかかるの。

 その間の時間稼ぎ……お願いできる?」


「承知した」


 既に巨鬼オークは5メートル距離まで歩み寄ってきている。

 威嚇は無い。

 狩るつもりであるからだろう。

 

 文鬼はカティを庇うように、前へ進み出た。



「開け、ことわり大門たいもん――」


 文鬼の背後で、カティがそう呟いた。

 同時に、エネルギーの流れが生まれ、カティ自身から発せられる不可思議な圧が徐々に増大してゆくのが文鬼にも分かる。


 ――気功に近しきものか。


 気功とは、意識の集中と呼吸法により、おのれの《気》を高める技法である。

 全く同じものではなかろうが、魔術にもこの世界なりの方式で、術の作用を高める技法があるのだろう――


 思いつつ、文鬼は迎撃の構えを取る。

 約2メートル。

 巨鬼オークにとっては、既に攻撃の間合いであろう。


 ――来る。


 巨鬼オークが、その巨木の如き右腕の手を開き、横薙ぎに繰り出してきた。

 掴み、捕らえる気だ。

 文鬼、それを後方に飛び退いてかわす。

 初手で難なく捕らえられると考えていたらしく、巨鬼オークは不思議そうに自身の右手を見た。

 そして、捕らえそこねた事を悟ると、顔を巡らせて獲物がどこへ行ったを探す。

 既に巨鬼オークから見て左前方に移動していた文鬼を認め、今度は左手を繰り出してきた。

 文鬼、これを難なく躱す。

 頭はあまり良くないらしい。

 良くはないが、動きそのものは巨躯に見合わず速い。

 野生動物や武の心得の無い者であれば、簡単に捕まってしまうだろう。

 攻撃を自身の方へ誘導しつつ巨鬼オークの腕を躱し続ける文鬼は、そのように分析していた。

 やがて、なぜか捕まらない事に苛立ち始めた巨鬼オークは、ついにその巨体ごと突進を始めた。手だけでなく足も使い、踏みつけようとする。

 捕まえる事は諦め、潰すことにしたらしい。

 巨鬼オークが地を踏みつける事に、地面がら土煙が上がり、大地が揺れるようであった。

  

 と、その時――


「行くよ、ブンキ! どいて!」


 背後からのカティの声に文鬼は横へ大きく飛び退く。

 飛び退きながらカティを見ると、その身体が薄く輝いているかのようだった。


「風の第三深層――――《龍巻トルナード》!」


 カティが、両方の掌を巨鬼オークへ向けてそう言い放った。

 同時に、巨鬼オークの周囲の大気が急激に渦巻いてゆく。

 瞬く間に、風が唸りを上げて《超局地的台風》とでも言うべき風の奔流をその場に作り出していた。


「ブギョオオオオン!!」

 

 巨鬼オークが叫び声を上げる。

 風そのものの強烈な風圧に加え、それが巻き上げた砂や小石などがその身体に裂傷を与えているのである。更にあの暴風の中にあっては呼吸もできまい。

 

 ――これが、魔術の力か。

 文鬼の知るあらゆる体術でも到底なし得ないわざであった。

 この先、こういった術を遣う相手と相対することもあるやもしれぬ。

 文鬼は長年の癖で、その術理と対策について自然と思考していた。


 暴風は10秒ほどもの間続いていたが、そのうちに徐々にその力を弱め、やがて、嵐が去った後のように雲散した。

 と同時に、巨鬼オークの傷だらけの巨体が、大きな音を立てて前のめりに地に伏せた。

 それを見て、カティがやっと巨鬼オークへ向けていた両の掌を下ろす。


「やった……の?」


 肩で息をしている。

 かなり消耗したらしい。

 しかし――

 

「ウソ……!」


 巨鬼オークが起き上がる。

 かなりのダメージを受けたと見えるが、まだ動けるようであった。

 その分厚い脂肪があの強烈な暴風のダメージを軽減したらしい。

 それにしても、驚くべき生命力であった。


 手負いの獣は、危うい。


「ブギュアアアアアア!!」


 雄叫びを上げて、巨鬼オークはカティへと猛進した――

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