第71話 ブルーインパルスが、好き

 低圧訓練で合格を頂いたことをお義父さんには伝えた。問題は千斗星にどのタイミングで伝えるかだけが残った。

 季節は夏に向けて動き出し、ブルーインパルスの展示飛行もシーズン真っ只中。ほとんどが週末に行うため、千斗星とゆっくり話す機会がなかった。神経を尖らせているだろうし、唐突な私の報告で心を乱してはいけないと思えば、尚さらに言えずにいた。

 そして、なかなか言い出せないまま、ある日の航空祭を迎える。米軍基地で毎年行われるフレンドシップデーにブルーインパルスが招待されたのだ。

 そして嬉しいことに家族などの関係者に基地の入場許可証が配られた。


「すごい! ブルーインパルスとF-35が同時に見れるなんて!」

「ママ、新しい戦闘機が見れるの?」

「そうよ! 見て星羽っ、これ! この戦闘機が見られるの」

「やったぁー!」


 私は低圧訓練のことをすっかり忘れて星羽とキャッキャと大騒ぎをしていた。


 そして迎えた当日。

 天候にも恵まれて、私たち招待客は特別観覧席でその時を待った。英語でのアナウンスのあとに日本語が流れるという普段とはひと味違う航空祭だ。

 航空自衛隊が保有していない航空機が目の前を激しく飛び回る。空軍だけでなく海軍も参加してアクロバットも見応えがあった。


 ―― ヒューン……ドドトーン!


「きゃー!」

「うおぉ!」

「すげぇ!」


 国内ではなかなか見ることのできない爆発音に、訪れた観客たちは興奮が入り混ざった悲鳴を上げた。

 航空自衛隊でもデモンストレーションで爆破を演出することはある。けれど目の前で煌々と燃え上がる炎の演出はない。周辺住民の理解が良く得られたものだと驚いてしまう。その炎を背に米軍が保有する精鋭たちが誇らしげに整列していた。


「ハリウッド映画を見ているみたい」

「天衣ちゃん。口が開いているぞ」

「あっ、ふふ。失礼しました。スケールが違いすぎて言葉になりません」


 星羽は大好きなおじいちゃんの膝の上で耳をふさいで見ている。怖いと泣かないところが、さすがあの親ありてこの子ありと思えた。

 私の血より千斗星の血が濃そうだなんて思ってしまう。


『お待たせいたしました! まもなく航空自衛隊第4航空団第11飛行隊、ブルーインパルスによるアクロバット飛行が行われます。会場中央をご覧ください!』


「ママ! ブルーインパルスって!」

「うん。もうすぐパパが飛ぶね」

「タカヒトさん! パパが飛ぶ!」

「楽しみだね、星羽」


 凛々しい声のアナウンスが流れた。

 そう、彼が葛城翔二等空尉。新しく入ったブルーインパルス6番機に乗る予定のパイロットだ。


『Ladies and Gentlemen!』


「わぉ、英語でもご挨拶するのね。噂通りの美声。発音もいいし、どうりで人気が出るわけよね」

「彼、葛城くんの息子なんだろ」

「はい」

「なかなかいい所に目をつけたな」

「ご存知ですか? 彼の機動」

「父親ほどの闘争心は感じられないのに、父親並の判断力と攻撃力を持っているよ。顔は、そんなに似てないんだけどな。お行儀の良い機動をするよ。よくアグ集団に釣られなかったな」

「釣られる前にこちらからお願いしちゃったんですよね」


(もしかして榎本司令が欲しがっていたかもしれない。わたしたちが横から取っちゃったかも? 大丈夫かな)


「わははっ。なるほど、良くやった。今ごろ苦笑いする榎本くんの顔が目に浮かぶよ」


『只今より、ブルーインパルスのパイロットを紹介致します。1番機、沖田千斗星二等空佐。東京都出身! 2番機……』


 葛城二尉のアナウンスが始まると、ブルーインパルスのパイロットことドルフィンライダーたちが、横一列に整列をし歩き始めた。ウォークダウンが始まったのだ。空と同じ青色のフライトスーツに紺色のキャップ。そして、お揃いの黒いサングラス。

 一糸乱れぬ動きでそれぞれが乗る機体へと移動していった。


「パパかっこいい!」

「うん。かっこいいね」


 星羽の「パパかっこいい!」に周りの人たちが一瞬ざわついた。

 本人はお構いなしで目を輝かせながら大好きな父親の晴れ舞台を見ている。今でも目を閉じれば若かりし日の5番機が、クルクルと空を舞って華麗にスモークで絵を描く姿が鮮明によみがえる。


(うん、確かに千斗星はかっこいいよ。一番、かっこいい)


「タカヒトさん! エンジンかかった!」

「もうすぐタキシング滑走準備だね」


 大きなレンズを構えた人たちのシャッター音が、あちこちから聞こえてくる。空自の広報官も顔負けの、あの大砲のようなカメラは何度見ても驚く。


(大砲とは、よく言ったものよね)


「天衣ちゃんも乗りたいだろ」

「え?」

「せっかく低圧訓練に合格したんだから、アレの後ろに乗ってみたいだろ」

「ああ、ふふ。いえ、もう見ているだけで満足です」

「私の後ろに乗るかね。いつも佐原くんで面白くないんだ」

「お義父さんひどいっ。そうですね、お義父さんの操縦なら安心できますね。あ、でも、そんな事をしたら千斗星さん凄く怒ると思うので遠慮します」

「わはははっ。それも、そうだなっ。はははっ」


 俺が乗せてやる。そう千斗星に言われたこともあった。

 でも、その言葉だけでじゅうぶん。私は千斗星に何度も空に連れて行ってもらったから。あなたが向かう先にはいつも私もいた。だからもう大丈夫。


 1番機から4番機までが離陸して、いよいよ展示飛行の始まりだ。


『4機の機体がひし形の隊形をたもち離陸します。ダイヤモンド・テイク・オフ!』


 おお! と歓声があがった。


『皆様! 会場正面をご覧ください。4機のブルーインパルスがギアを出したまま戻ってきます』


 見事なダイヤモンドテイクオフ、そしてダーティーターンだ。スモークを噴きながら迫りくる4機のブルーインパルスに会場は盛り上がる。


『続きまして、5番機と6番機が離陸します。会場、左手をご覧ください』


 ソロポジションの2機が派手なアクロバットで離陸すると、会場の熱は最高潮へと登っていった。

 この何とも言えない高揚は何度見たって変わらない。白と青の機体が真っ青な空に上がると、抱いていた憂いが吹き飛んでしまう。彼らは私たちに勇気や希望、そして夢を与えてくれる。


「私もブルーインパルスが好きよ。大好き!」



 米軍基地での展示飛行が終わった翌日。

 千斗星たちは浜松基地を経由してお昼過ぎに松島基地に帰投した。松島の家でお帰りを言いたかったけれど、残念ながら平日は休むことができない。

 いくら休暇を優遇するといわれても、警戒管制に穴を開けるわけにはいかなかった。だからまだ、千斗星に低圧訓練の事を話しそびれたままだった。



 ◇



 やっと訪れた週末、星羽を迎えに行ったその足で特急列車に飛び乗った。コンビニで買ったサンドイッチを美味しそうに食べる星羽はとてもご機嫌だ。

 今日は千斗星が駅まで迎えにきてくれる。


「星羽、ちゃんとお利口にできる! 言うことちゃんと聞く! お手伝いもする!」

「はいはい、分かりました。お約束だよ? 守れなかったら、次はありません」

「はい!」


 今夜、星羽は青井さんのお宅にお泊りをすることになっていた。千斗星と同期の元戦闘機パイロット、現在はブルーインパルスの整備班の総括班長さんだ。その青井さんの奥様のナナさんと星羽はとても気が合うらしくて、今回のお泊りが決まった。


「ナナちゃん大好き」

「星羽。ナナちゃんじゃないでしょ?」

「ナナお姉ちゃん」

「そう」


 今夜は久しぶりに千斗星と二人。何気にそんなことを考えてしまい勝手に頬が緩む。そんなだらしのない顔が窓に映って思わずハッとした。


(お母さんなんだからちゃんと、しなくちゃ)




「パパー!」


 列車の旅も何度と繰り返せば、幼い我が子も慣れたもの。一人で改札を飛び出して大好きなパパへダイブした。


「おおっ、元気だな。寝てなかったのか」

「うん。星羽、お利口さんだから」

「千斗星。お疲れ様」

「お疲れ。青井が駅の駐車場で待ってるから、行こうか」

「うん」


 駅前の駐車場に行くと、青井さんとナナさんが車から降りてきた。パパに抱っこされた星羽は一転、ナナさんの元に走り出した。


「ナナちゃん!」

「星羽ちゃん、こんばんは」

「星羽っ、ナナちゃんじゃないでしょ」

「あ、ナナお姉ちゃん」

「ふふ。ナナちゃんでいいよー。明日は遊園地行こうね。いっぱいクルクルする乗り物に乗ろうね」

「やったー!」


 本当に二人は気が合う。ナナさんがとっても純粋だからかもしれない。美人さんで優しくて、心がきれいで、側にいるだけでくすんだ心が洗われそう。


「言うこと聞かなかったら、叱ってくださいね!」

「ん、大丈夫。星羽ちゃんはいいこだから」

「ママ、パパ、バイバイ。またねー」


 星羽はにこにこ笑顔で手を振りながら、青井さんの車に乗り込んだ。窓から顔を出した星羽を見えなくなるまで見送った。


「星羽、あっさりと行っちゃったね」

「ああ」


 嫌だと言われても困るけど、大喜びで行かれるとやっぱり寂しい。母親の複雑な心境だった。


「俺たちも帰ろう」

「はい」


 千斗星にそっと手を繋がれた。星羽が生まれてからあまり繋ぐ機会がなかった。親子三人並んで歩くことはあっても、こんな風に歩くのは本当に久しぶり。なんだかドキドキしてしまう。

 千斗星の無骨で長い指、手首には出会ったときから時を刻み続ける黒い腕時計がある。この腕に空の平和がかかっていると思えば、胸が苦しくなる。


「天衣?」

「うん?」

「眉間にシワが寄ってる。あんまり色々考えすぎるなよ。今夜は俺たちも楽しもう」

「うん」

「天衣」

「はい」

「笑えよ」


 千斗星は昔から私の心を読むのが上手。だけど、そこに無理に入ってこようとしない。私がにニコと笑って返事をすると、千斗星がイタズラっぽく片方の頬を吊り上げた。そして握る手に力が入る。


「夜通し、楽しもう」


 背中を屈めて私の耳元でそう囁いた。カッと体が発火したのが分かった。思わずギリと睨み返してしまう。


「くくっ。顔、真っ赤だぞ」

「もうっ!」


 次の瞬間グッと引き寄せられて、千斗星の薄い唇が私の口元を掠めた。

 そして千斗星は何事もなかったように歩く。


(いくら夜でも外なのに! 千斗星はそんなことする人だった?)


「天衣、嬉しいことがあった」

「え? なに?」

「いや、なんでもない」


 その夜の千斗星はなぜかとてもご機嫌だった。

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