第62話 アグレッサーの脅威
いよいよ、訓練の日がやって来た。訓練発表から上層部では何度も会議が行われ、最終的に将来指揮官を務めるであろう幹部を選抜隊員から更に十数名選び、初日に横田基地の特別作戦室へと招集された。
一日目、戦闘シミュレーション(横田基地)。
二日目、模擬戦(百里基地)。
二日間でこの大掛かりな訓練が行われる。そして、その横田基地へ私たちが選ばれた、
「ようこそ、我が防衛省が誇る作戦指揮所へ。まあ、これは訓練用に作られたものだ。本来は幹部学校の学生たちが戦闘シミュレーションで使う場所になっている。いつか君たちもここで司令の訓練を受けるだろう。本日は特別にここを使う事が許可された。貴重な機会を無駄にしないよう励んでくれ」
「はいっ!」
航空総隊司令部の葛城一佐がそう説明してくださった。葛城一佐は私たちがまだ子供だった頃、自衛隊のじの字もしらない頃から日本の空を護っていた戦闘機パイロットだ。
確か当時は極東の暴れん坊が防空侵犯を頻繁にしていた時代で、突然ドッグファイトが始まるなんて事もあったらしい。正真正銘の命がけで空を護ってきた人だ。
「さて、今回の訓練内容を説明する」
最新のコンピューターシステムを使って、敵味方に分かれて交戦をする。某国に我が国の戦闘機が空中哨戒中に撃ち落とされ、それに対する防衛出動が発令されたと言う設定だ。
(本当にいつかありそうな設定だわ……)
葛城一佐の説明が終わる頃、入り口のドアが静かに開いた。視線を向けると肩に
今回はアグレッサーも参加するようで、その物々しい雰囲気に私は呑まれそうになる。
そして、つい見てしまう。千斗星の表情を。
(千斗星……)
いつになく真剣に険しい顔をして並んでいた。隣には元アグレッサー隊員の八神さんと立木さんがいる。緊張した面持ちでサッと敬礼をした。きっとそれぞれに違う意味の緊張があるのだろうと思う。
私は、千斗星にあんな顔をさせるお二人の一佐に嫉妬した。歩んできた道のりも経験も数百倍、いや、何万倍も違うのに、その気持ちはじわじわ増していく。
「ようやくアグレッサーのお出ましか」
「結局、横田に降りる許可が取れなくてな。身体だけ運んでもらったんだ。機体は入間におかせてもらっている」
「まさかお前、コブラの後ろに乗ってきたなんて言うなよ」
「残念ながら昨日のうちに定期便に放り込まれた」
「ははっ。ならいい、じゃあ始めるか」
二人の一佐は航空学生時代からの付き合いらしい。失礼だけど葛城一佐は空自のパイロットを絵に描いたような方だ。ほんの少しチャラけた空気を纏って周りを和ませる。コックピットに乗ったら笑いながらキルコールしそう。
榎本一佐はお兄さんのような落ち着いた空気を身に纏っている。視野が広くて指導者向きな感じ。
あくまでも私のイメージだけど。
(でも、お二人とも元イーグルライダー。狙った
ちょっと失礼なこと考えちゃった。だって、やっぱりパイロットってそんなイメージしか浮かばないんだもの。
戦闘シミュレーションでは敵味方に分かれて行うことになっている。
なんと榎本一佐率いるアグレッサー部隊に千斗星が加えられた。その名の通り敵役となる。それ以外の隊員は葛城一佐が率いる事になった。八神さんではなく千斗星が連れて行かれた事に正直驚いた。
「ではそれぞれに分かれて作戦会議を行う。開始は一時間後」
「はい!」
今回、八神さんが司令官役で私は迎撃指揮官の役を与えられた。これは訓練だと分かっている。けれど、その責任の重さに指先が冷たくなっていくのを感じた。有事の際は要撃管制官として本当に下すかもしれない迎撃命令。
葛城一佐はこのシミュレーションは私たちの動きを見るだけで口出しはしないと言って後ろに下がってしまった。
「司令役を務めます。八神三等空佐です。宜しくお願いします」
「宜しくお願いします」
コンピューターに事前に戦闘パターンを入力していく。こちらは攻撃された後のシミュレーションをしなければならない。決して先に攻撃をしてはいけないのだ。
(敵はどう仕掛けてくるのだろうか……)
基地に待機している戦闘機は計15機。これで足りない場合は三沢や小松に応援要請をする。都内各所に地対空誘導弾のPAC-3を配備し、横須賀基地の護衛艦隊のイージス艦とも連絡を取れるように入力した。
「これだけ入れても怖いな」
「えっ」
八神さんの表情は険しい。
「相手の性格を知らないほうがいいのか、知っていたほうがいいのか」
「どう言う事ですか」
私の問いかけに他の隊員たちも八神さんに注目した。戦闘機要員の松田さん、立木さん、整備部隊から来た青井さんは特に気になるようだった。
「
「アグレッサーですからね」
八神さんと共にアグレッサー部隊に所属していた立木さんが口を開いた。彼は現在、八神さんの僚機としてアラート任務をしている。彼の頭の中はコンピューターと噂されるほど切れる人らしい。
「俺が言うのもなんだが、彼らの機動はえげつないだろ。それになぜか沖田が引き抜かれた。あいつの突拍子もない機動と思考は危険だ。そう言った点からして今回の敵は本当に手強い」
全員が眉間にシワを寄せた。葛城一佐は腕を組んだまま何も言わない。ほんの少し、片方の口角を上げており、私達のやり取りを楽しんでいるようにも見えた。
「間もなく時間だ。始めるぞ、いいか」
「はい!」
基本的な動作は全て入力した。あとは、向こうの出方を見るだけだ。そこから私達の戦いは始まる。
◇
それは突然訪れた。
私は偵察機から送られてきた情報を画面で確認し声を失う。
(何このミサイルの数!)
これまでの任務は防空指令所からの知らせで戦闘機をスクランブル発進させる事が主だった。何か不測の事態が起きたときは、全て防空指令所の指令または航空総隊の指示を待った。
しかし、今回は違う!
「20発のミサイルが基地周辺地域に向けて発射されました。到達時刻は……8分後」
「なんだと! 巡航ミサイルか! 迎撃準備、スクランブルだ!」
いきなり20発の巡航ミサイルが撃ち込まれた。
「2機ショットダウン! 要救護!」
恐ろしいスタートだった。その瞬間、八神さんの顔色が変わった。
「沖田! うちの
「2機です!」
「その2機をエーワックスの護衛に回せ! 立木は基地待機中の
「「了解!」」
八神さんの判断は早かった。巡航ミサイルが放たれ2機のイーグルが撃ち落とされたことで、敵対行動とみなしたのだ。ほんの何秒の判断の遅れが被害を拡大し、多くの戦死者を出してしまう。これは戦争なのだから。
八神さんが青井一尉に残りの戦闘機が全部出撃した場合を仮定に相談を始めた。一度離陸した機体が燃料切れ弾切れなどで戻ってきた場合、最短何分で再び空に上げることができるのかを。
私は偵察機や警戒機から送られてくる状況を細部に渡って報告をした。その後は空に上がった戦闘機の活躍で日本優位で敵機を順調に撃破していった。しかしその後、私達の予想を上回った事態が起きる。
「硫黄島航空基地が落されました!」
「なんだと!」
海上自衛隊が管轄する硫黄島の航空基地が敵国に占領されてしまった。首都圏を護ることに必死で、本島から離れた島の存在を私達は失念していたのだ。
立木さんが八神さんに作戦会議を申し出た。僅かな休戦時間を縫ってこちらの体勢を立て直す必要がある。
「あそこを取られたら、爆撃機や軍艦がどんどん押し寄せてきます」
「立木お前ならどうする」
「奪還は難しいでしょう。なんとかギリギリの線で押し返すしかないです」
島を取られ敵の基地と化してしまった日本の領土。そこから襲い来る敵は士気も高くなっているはず。私も思いつくことを提案した。
「第一護衛艦隊群に出てもらい、時間稼ぎをしてもらうのはどうですか。イージス艦なら迎撃可能ですし、敵と距離をおいて戦えます。その間に各基地に援護を頼んで」
海上自衛隊が持つ護衛艦には高性能のレーダーが搭載されており、組まれた陣形によってはバリアの様な機能を持ち、敵の艦、航空機及びミサイルを寄せ付けない戦術がある。
「くそ……」
ここで時間を使うわけにはいかない。刻々と敵は侵略を続けているのだから。
「海上自衛隊、第一護衛艦隊群に出動命令を。今待機中の戦闘機全部上げろ。全力で阻止する」
「了解。戦闘機、全部上げます!」
◇
戦闘シミュレーションは終わった。私達は全員脱力し、しばらく椅子から立ち上がる事ができなかった。
結果は何とも言えない後味の悪いものだった。首都は何とか守り抜くことに成功したものの、各基地に大きな被害をもたらしてしまう。もし、二度目の攻撃がなされたなら間違いなく日本は敵国の手に堕ちる。それも、戦わずして、だ。もう手元に弾がないのだ。
項垂れる私達のもとに葛城一佐がやって来た。
「今の君たちの自衛力はこんなものだ。指示されるのと指示するのでは大きく違うだろ。戦闘機に乗って出撃し、目の前に敵が現れたときパイロットの判断で処置できない。全て命令を待ってからの行動だ。弾を撃ち込まれても命令がない限り迎撃できない。戦闘機乗りなら分かるだろう。ほんの一秒の遅れがどれだけの影響を及ぼすのか」
一秒という瞬きをするほどの時間で戦闘機は何百メートルも進んでしまう。私達は何も返す言葉がなかった。
「しかし! これでいいんだ。ここで間違って君たちが勝ってしまっては、万が一のとき日本は終わっている。この訓練は勝つことが目的ではない。負けて知るべき事がある」
「はい」
暫くして榎本一佐率いる敵役のアグレッサー部隊がやって来たので、今回の訓練の総括をした。
ここで反省し明日の模擬戦、さらに今後の訓練の為に生かさなければならない。敵役となった千斗星はどんな事を学んだのだろうか。私達は八神さんが言うアグレッサーのえげつなさを痛いほどに味わった。八神さんにいたっては、終わったあと暫く瞬きをしなかったので、よほど悔しかったのだろうと思う。
「本日はこれで解散する」
「ありがとうございました!」
このあと私達は翌日の模擬戦に向けて百里基地に移動しなければならない。
数名のパイロット組はT-4に乗り込み、その他の者は輸送機に放り込まれて帰る段取りだ。
葛城一佐はどうもT-4で向かうようだ。
それを見た榎本一佐は「はぁ……」とため息をついた。私はついつい榎本一佐を目で追ってしまう。まるでストーカーみたい。
すると突然、榎本一佐に声をかけられた。
「君は旦那の後ろに乗らないのか。要撃管制も低圧訓練受けているんだろう?」
「あ、わ、私は持病がありまして、あの手の航空機には乗れないのです」
そう言うと榎本一佐はほんの少し頬を緩める。
「私も似たようなものだよ。一緒にC-1の後ろで転がっておくか」
(指令と一緒に? 転がっ……て⁉︎)
「ふふっ。あ、失礼しました!」
つい想像してしまうと、笑うのを堪えきれなかった。
「いや。昔はよく嫁さんの操縦で移動したもんだ。あぁ、俺の後ろにも乗せたっけな」
そう言いながら、榎本一佐は作戦指揮所から出て行った。その背中はなんとも言えない優しさで溢れていて、アグレッサー部隊のドクロのイメージとは随分とかけ離れていた。
榎本一佐ご本人はもう飛べないけれど、奥様は今も飛び続けている。
一佐の翼は、今も奥様の背中で羽ばたいているのかもしれない。そう感じた瞬間だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます