第55話 震える心と体
千斗星がアフターバーナー全開で加速した。
身体への負担、燃料の消費が一番心配するところだ。
(でも、千斗星なら大丈夫。彼の腕は誰にも負けない。八神さんにだって、ロ国連邦の戦闘機パイロットにも絶対に負けてないから!)
作戦を振ったのは私たちだ。最後まで我がイーグルライダーを護ってみせる!
「隊長、アフターバーナー使用しました。帰還時まで燃料がもちません」
「ああっ! まさか機体を捨てろってわけにもいかないしな。ったく、あの野郎。おい! 整備隊長と補給部隊長に繋げ!」
隊長はKC-767をこちらによこすという。KC-767は航空自衛隊が保有する空中給油機だ。
「でも、あれは小牧基地にしか!」
「こっちに来てるんだよ。訓練予定だったからな」
(うそ、すごいツイてる)
「でも、うちの隊員は空中給油した経験がない。誘導が難しい」
私の管轄外でこれ以上は踏み込めない。
それより、千斗星の状態を確認しなければならない。
モニターとレーダーを睨むと、オーバーシュート地点まであと三十秒。やはりイーグルは速い。
(瞬きしている暇なんてない! お願い! 神様っ。こんな時だけで悪いけれど、どうか千斗星に力を貸してください!)
握りしめた指先が白く変わり、血管がドクドク音を立てる。心の中で力いっぱい愛する夫の名を叫んだ。
(千斗星! あと、十五秒……)
「スワロー! Now!」
『おらぁ、行けっー!』
(お願い! これで、これで本当に最後にしてーー!)
管制塔内は静まり返り、誰もがモニターとレーダーを見つめていた。
ジーッとサーバーが、息をしているような音だけが聞こえる。千斗星はどうなったのか、フランカーは境界線から出て行っただろうか。
そして、追いかけていたレーダーの光が一つ消えた。
(どっちの光なの? 神様っ!)
『ガッ……ザザザザザーーッ。……した』
ノイズが入ったせいで声が聞こえない。私は必死にチャンネルを合わせた。
「アロー05! 聞こえますか⁉︎ こちら那覇管制、沖田です。応答せよ!」
『……ザ、ザザザザー。える、…い……』
(嫌だ、お願い繋がって! 千斗星! 千斗星!)
「もう一度、アロー05! 無事ですか⁉︎ スワロー! 応答願います」
(バカ! 泣くなっ!)
「沖田千斗星! 聞こえますかっ!」
管制塔内が目覚めたように、全員が私の方を振り向いた。そうか、あれは君のご主人かと憐れむような、申し訳なさそうな視線が突き刺さった。
(やめて、そんな目で見ないで、まだ終わってないから)
『こちらアロー05、ターゲットは日本の領空から離脱した』
「ちとっ……。こちら那覇管制、了解した。無事ですか」
『燃料があと十五分で切れる、基地までもたない』
その時、隊長が駆け寄りマイクを奪った。
「沖田くん! KC-767給油機が向かっている。一発勝負だが他に手段はない。やれるか」
『ラジャー。誘導をお願いします』
「チャンネルを01に変更。KC-767指揮官へ移す」
『ラジャー』
何とかなる。そう思った瞬間、身体の力が抜けそうになった。しかしここで倒れるわけにはいかない。
(踏ん張れ、耐えて!まだ、終わっていない。パイロットが無事に帰還するまで任務は終わりじゃない)
そのとき、隊長がポンと私の肩に手を乗せた。振り向くと、厳しい顔を少しだけ緩ませて申し訳なさそうにこう言った。
「沖田、よくやった。後は私たちがする。交代だ。下で休め。気付いてやれなくて申し訳なかった」
「いえ! 私はアロー05の帰還までここで」
「下で迎えてやれ。君にしかできない仕事だろ?」
「えっ」
「いいから。本来は君を外さなければならなかった。それに気付かなかった私からの償いだ」
「あ、ありがとうございます!」
私は頭を下げ、ヘッドセットを交代の隊員に渡し、管制室を飛びだした。
◇
給油にどれくらい時間を要するのか分からなかった。でも、じっと座って待っている事ができない。
(大丈夫だ。必ず千斗星は帰ってくる! そう約束したから。私が待っているから絶対に帰ってくるって!)
ハンガーの前でおろおろする私に、整備士の青井さんが駆け寄ってきた。
「天衣さん!」
「青井さんっ。すみません、邪魔はしませんから」
「こっちに」
「えっ、青井さん」
青井さんは私の手首を掴んでそのままエプロンへと連れて行く。そして、青井さんは私に整備士と同じヘッドセットを被せてくれた。
「待ってください。これ!」
「話は後で。これつけてないと耳、ヤラれますよ。ほら、聞こえますか? チェック、チェック」
ヘッドセットのイヤーカバーから青井さんの声が聞こえてきた。「聞こえます」とマイクを介して言うと、彼はニカッと笑って親指を立てた。
不思議なことに青井さんの笑顔を見ると安心する。なんの心配もいらない。アイツは大丈夫だよと言われているみたい。
私はイヤーカバーに手を添えて、青井さんの隣に腰を下ろしてその時を待った。
先に帰還したF-15が続々と着陸する。それを横目で見ながら、私は再び目を空に向けた。まだ見ぬF-15、アロー05の姿を探すために。
(千斗星、わたし待ってるよ。ここで、待ってるよ)
その時、管制塔からパイロットを誘導する声が無線から聞こえてきた。
―― アロー05、滑走路2へ着陸を許可する
―― こちらアロー05、滑走路2へ着陸する
(千斗星が、降りてくるっ!)
私は思わず青井さんの顔を見た。するとニコリと笑い人差し指でツンツンと上を差した。
その方向へ目を向けると、チカチカと銀色の光が近づいてくる。
(帰ってきた!千斗星っ……!)
だんだんと機体の形がハッキリとしてきた。
間違いなく、千斗星が降りてくる。ふわっと風に乗るような柔らかな着陸は、スワローの特徴だから。T-4からF-15に乗り換えても、それは変わらない。
車輪が滑走路にゴツンと着いた。
(だめ、泣きそう……でも、まだ泣いちゃ、だめ)
戦闘機特有の着陸音を響かせて、アロー05は私の目の前を横切った。速度が落ちゴトゴトとアスファルトを鳴らしながら大きく回りUターン。
青井さんの誘導で滑走路脇のアーミングエリアに停止した。
エンジン停止。
キャノピーが開く。
シートベルトを外し取り付けられた
千斗星は青井さんと言葉を交わす。
その姿を私は力なく眺めるだけだ。目には我慢して流すまいとためた涙が、今にも溢れそう。視界はどんどん銀色に染まって、とうとう見えなくなった。
気づいた時には、ヘルメットを片手に持つ千斗星が目の前に立っていた。
「あっ、ぁぁ………」
言葉がぜんぜん出なかった。
お帰りなさい、お疲れ様でした。何か言いたいのに声もまともに出ない。私はいったいここに、何をしに来たの。
目の前の千斗星は首を傾げ、厳しい表情で私を見下ろしていた。傷一つない端正な顔で。
「ぁ……っ、お、おかっ……!」
「天衣!」
千斗星は私の名を力強く呼び、同時にヘルメットが足元に転がり落ちた。
彼の私を抱きしめる腕はとても強く、ほんの少しの隙間も無いくらい密着させて、息苦しささえ覚えた。
「ちとせ」
「天衣」
千斗星の声は縋るようで切なく、背中に回された腕が震えていた。
(千斗星も怖かったんだ。恐怖と闘いながら、ここに帰ってきてくれた)
「お帰りなさいっ!」
私は出せるだけの大声で答えた。千斗星の腰に自分の腕を絡ませ、ありったけの力をこめて、生きている事の歓びを伝えたかった。
さっきまで止まらなかった涙はもう出ない。ただ、ただ、嬉しさと安堵が込み上げていた。
「天衣ただいま」
その言葉を聞いて、私の全てが震えた。どれ程、その言葉を待っていたことか。
「お帰り、お帰り……お帰りっ」
今はそれ以外の言葉は、生まれてこなかった。
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