第27話 一目惚れ、だったんだ

 目が覚めて最初に目に入ったのは、ベッドにはめ込まれたデジタル時計。時刻は七時半を過ぎたところだった。


(しまった! 寝坊したっ!)


 私は起床時間をとっくに過ぎていたことに驚いて、飛び起きた。


(ここ、何処⁉︎)


 私の部屋でないことに混乱し、なぜか体に巻きついていたシーツが落ちた。


「えっ、きゃぁっ!」


 はたと周りを見渡すと、ここはホテルの部屋で隣には千斗星が寝ている。恥ずかしながら、いま気づいたの。あまりにも熟睡し過ぎて、てっきり寮で寝ているとばかり思っていたのだ。


「天衣。大胆だな」

「お、おはよう! あっ、ご、ごめん。えへへへ」


 私は裸の体を隠すために慌ててベッドに潜った。こんな明るい時間に全てを晒してしまうなんて、恥ずかし過ぎる。顔から火がでるという表現がとても合う状態。

 すると後ろでシーツが擦れる音と同時に、千斗星は私を背中から抱きしめた。ドギマギし過ぎて心臓も煩いし、真っ赤になっている顔はとうてい見せられない。


「天衣」


 千斗星は最高に甘い声で私の名前を呼んだ。

 千斗星の声が好き。その声で呼ばれる度に私のぜんぶが喜ぶの。


「うん?」

「俺と一緒に寝ていたこと、忘れていただろ」

「えっと……、ごめん」

「くくくっ。正直なヤツだな、じゃあペナルティーな」

「え! なんで? 正直にいったのに、なんでペナルティー? ちょ、きゃっ」


 いつかもこんな事があったような気がするけれど、そんな事を思い出す暇もなく、私はもう一度、千斗星に給油させられたのです。



 ◇    



 それから私たちは、モーニングをブランチに変えてもらい二人でまったりと部屋で食事をとった。午後になれば千斗星はここを立つ。


「新幹線で行くんだ。なんか、わくわくするよ」

「えー、千斗星が新幹線でわくわくするなんて思わなかった」

「笑うなよ。俺、鉄の塊が好きなんだ」

「へぇ。あ、もしかしてお父様が好きで、小さい時に連れ回されたとか?」

「うーん、それもあるかもな。父親は根っからの鉄のマニアだ。母親はいたって普通だったけど」


 千斗星から家族の話が出るのは初めてだった。きっと、ご両親も容姿端麗なんだろうななんて想像した。


「お父様って、何をされているの?」

「父親は、ただの公務員だよ」

「そうなんだ。お母様は?」

「母親は俺が高校の時に事故で死んだんだ」

「えっ、うそ……ごめんなさい」

「謝る必要はないだろ。知らなくて当然だし、もう何とも思ってないし」


 千斗星のお母様はヨーロッパへ旅行中、運悪くハイジャックされた飛行機に搭乗していた。その飛行機はインド洋沖で消息を絶った。関係国の、軍を上げての捜索も虚しく、ご遺体も遺品すらも見つからなかったそうだ。

 当時、邦人が巻き込まれたと言う事で日本も一部の自衛隊を派遣。しかし何の手掛かりも得られなかった。

 そう言えば、そんなニュースがあった気がする。私がまだ中学生だった頃だ。


「千斗星」

「そんな顔するなよ。もう終わったことだ」

「ねえ、だから千斗星は自衛官になったの?」

「さあな」


 今はこれ以上聞いてはいけない気がした。千年星は終わったことだと言うけれど、その瞳の奥はとても悲しそうに光っていた。

 私は千斗星に、そんな辛い過去があったなんて思いもしなかった。この人は持って生まれた才能があって、恵まれた環境のもと今の地位まで上がってきたと勝手に思っていたから。

 

「千斗星!」

「っ、天衣」


 私は椅子から立ち上がり、千斗星を横から抱きしめた。安易な慰めの言葉はきっと彼を傷つける。でも、何もしないでいる事はできなかった。こんな事しかできない自分の力のなさが悔しい。

 私が泣いてもなにも変わらないのに、涙をどうしても我慢することができなかった。


「おい、なんで天衣が泣くんだよ。なんなんだよっ!」


 千斗星は私を強く抱きしめ返した。

 千斗星はこれまで淡々とすべき事をやり、何でもない振りをして生きてきた。泣きたいのに、泣けず、悲しみに蓋をして頑張ってきたんだ。


「俺、天衣が空を飛べなくなったことを、心のどこかで良かったって思ってしまったんだ」

「えっ」

「初めて天衣を見た時、戦闘機パイロットを目指していると知って、すげえイラついた。空はそんなに甘くない、簡単に命を持って行ってしまうんだって」

「だから、あんなに冷たかったんだ」


 その言葉を聞いてちょっとショックだった。パイロットになれないと分かった時、千斗星は励ましてくれた。俺が乗せてやるって、言ってくれたのに。


「天衣に、俺の過去の悲劇を、重ねてしまったのかもしれない」

「それって、お母様の?」

「ああ。自分が愛した人は二度と失いたくないんだ」

「待って、でもその頃って私たちはまだ」

「一目惚れだよ。天衣に一目惚れ、だったんだ」


(一目惚れって――⁉︎)


 千斗星は私が松島基地に着任した日の挨拶に行った日から、そんなふうに思ってくれていた。


「噂は聞いていた。パイロット志望の女性隊員が来るって。初めてだよ、俺を睨み返して名前を教えろって言ってきたの。そして、夢を絶たれ悲しむ天衣を見て、確かに俺も悔しかった。でも、同時に安心した。これで俺の知らない所で飛ばなくてすむって」

「だから、俺が乗せてやるって言ったの?」

「空に行く時は、俺と一緒じゃなきゃダメだ。天衣を護るのは俺なんだって思ってた。今でもそうさ」

「ねえ、もしも私がパイロットになってたら、どうしたの。今みたいな関係にはならなったのかな?」

「そうだな……バディに申し込んでたかも」

「なにそれ」


 千斗星は少しだけ顔を高揚させて私を見つめた。


「俺専用のウイングマンに仕込んだかな。まあ、実際にそんなことできるかはさて置いてだ」


 ウイングマン。千斗星の後ろで敵の攻撃や位置を知らせ、動きを読む人間の事だ。

 そこまで私の事を考えてくれるなら、だったら私もあなたに応えたい。


「今からでもなれるよ。千斗星がいうようなバディに」

「は?」


 千斗星はコイツは何を言っているんだと、言いたげな顔をする。


「その日を楽しみに待っていて!」


 何が何でも要撃管制官になってやる。私があなたに確実な指示を出すわ。ぜったいに危険な目には合わせない。一緒に空を護るのよ。

 そう心に誓って私がにこり笑うと、千斗星はぷっと吹き出した。私の誘導であなたの命と日本の空を護るから。


(それって最高のバディじゃない?)




 ◇



 午後、いよいよ千斗星は築城基地へと移動する。

 千斗星からホームまで来なくていいと言われたけれど、そんなつれないことはしたくない。私は入場チケットを買って改札を通った。


 この前は基地の空港て飛び立つ彼の背中を見送った。今日は新幹線の駅のホーム。

 自衛官は特に幹部になると二、三年おきに勤務地が変わる。その度に私は彼の背中を見送るのだろうか。いつか同じ基地で働く日は来るのかな。

 約束のない未来に、少し不安になった。


「天衣。ここ、シワが入ってる」


 千斗星が私の眉間を人差し指でつついてきた。だから来なくていいって、言ったじゃないかと言われそう。私は慌てて笑顔を作り直す。


「築城に着いたら連絡ちょうだいね! あと、スクランブルがあまり無い事を祈ってる。千斗星の安全を……、それから隊員、みんなの」

「天衣」


 千斗星はそっと私の手を握って、ぐっと顔を近づけて耳元で囁いた。


「俺の事だけ、祈っておけよ」


 天衣はそんなに器用じゃないんだからって、言いたげだ。いつもそう、私が無理をしようとするとこうやって気持ちを楽にしてくれる。


「千斗星の事だけで、いいの?」

「ああ、俺の事だけでいいんだ」


 ホームに新幹線が入るアナウンスが響き、千斗星が乗る車両は指定された場所にきっちりと停車した。

 千斗星は黙って車両に乗り込む。そして、ちょうど振り向いた所で静かにドアが閉まった。

 発車メロディがホームに優しく鳴り響く。

 私は笑顔で手を振った。

 私は、何度こんなふうに彼を見送るのだろうか。でも、その度に成長した自分を見せたいと思う。

 ドア越しに、微笑む千斗星の顔が一瞬だけ真顔に戻った。そして彼の口元がゆっくりと動いた。

 それを見た私は、泣きながら笑った。


『俺もオマエの事だけ』


 そう言ったように見えたから。

 わがままであっていいんだよ。我慢はしすぎるな。俺もおまえも互いのことを一番に祈ろうと。


 ありがとう。わたし、がんばるからね。

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