春の亡霊

相模奏音/才羽司

第1話 呪いの百葉箱

 学校の七不思議。7つ全て存在するかはさておき、多くの学校には存在するものだろう。私の学校にも1つ存在する。校舎を出て、校庭を抜け、雄々しく佇んでいる巨木。その付近にある百葉箱に別れさせたいカップルの名前を書いた手紙を入れ、お賽銭を置く。すると、そのカップルは破局するというものだ。

 所詮は七不思議、偶然の産物、それでも、人間は縋らずにはいられない。





 今日も下校時間ギリギリまで勉強し、教室を出る。夏が近づいているので、まだ日は暮れていないが、人気はどの教室からも無くなっている。私はいつも通り職員室に鍵を返し、校舎を出る。

 私はすぐに校門には向かわず、気配を消して、例の『呪いの百葉箱』に向かう。

 多くの人は目の前に広がる巨木に目を取られ、その存在に気付かない。私は百葉箱を慣れた手付きで開けると、中には手紙が入っている。私は封を開けずに回収し、学校を後にした。





 家に着き、イヤホンを外すと、母親の嬌声が耳に喰らいつく。もうなにも感じないが、決して気分が良いものではないので、すぐにイヤホンをつけ直し、音量を上げる。

 冷蔵庫に出来合いの料理はなく、私は大人しくカレー用の食材を取り出す。

 包丁で野菜の皮を剥き、ひとつずつ丁寧に切っていく。切っている包丁が窓越しから差す夕焼けの光で紅く染まっているのがどことなく不吉に感じた。

 1時間ほど経ち、カレーが完成する。私は3人分のカレーを準備し、1人しかいない食卓に着く。咀嚼音が聞こえない食事は嫌なので、渋々イヤホンを外すと、ありがたいことに母親の嬌声は聞こえなくなっていた。上から人の気配も感じないため、恐らく連れ込んだ男と出かけたのだろう。

 気を取り直し、私は手をそっと合わせ、一口目を頬張る。


「……美味しい」


 家庭料理が好きなのは幸せを感じることができるからなのだろうか。くだらないことは考えないようにしよう。せっかくの夕食が不味くなるから。


 食べ終わった私は皿を片付け、食卓の上に乗っている2人分のカレーにラップをかける。温かいうちに食べた方が美味しいのだろうが、きっとあの人は食べないのだろう。

 私は屋根裏にある自分の部屋に入るなりパソコンを立ち上げ、百葉箱の中に入っていた封筒を開ける。中には手紙と5千円札が入っており、手紙には『千賀優馬』『秋月沙梨』という2人の名前だけが丸字で書かれていた。

 私は自分のパソコン内にある秘密フォルダに2人の名前を打ち込み、検索をかけるが、あまり情報がない。


「はぁ……」


 また面倒な調査をせざるを得ないと思うと気が竦むが、5千円も出された以上放棄するのは信条に反する。

 私は下から持ってきた食べ物を胃に流し込み、パソコンに再度向き合った。





「あれ? 有紗どした? クマすっごいよ?」


 翌日、教室でなにもすることなく自分の机でウトウトしていると茶髪の女子で私の親友(仮)こと、天童てんどうかすみが話しかけてくる。


「昨日、夜中まで勉強しててさぁ……」


 もちろん嘘だ。昨日はかなり遅い時間まで手紙に書かれていた2人のSNSなどを調べ尽くしていたため寝不足なだけだが、受験生である以上こう言っておく方が自然だろう。


「有紗はいつも偉いねぇ」


 そう言って、彼女は私の頭を撫でる。しかし、性根が腐っている私にはその行動が純粋な好意からだとは思えなかった。


「ありがと、霞。元気出た気がする」

「あんまり無理しちゃダメだぞ」


 私が程良い笑みを浮かべて頷くと、霞は満足気な表情を浮かべる。


「ねぇ、霞」

「なに?」

「いや……やっぱりなんでもない」


 例の2人の情報を聞こうかと思ったが、足が着くのは嫌だったため、口を噤む。

「もぉ……まぁ、良いけどさ」


 相変わらずの綺麗な顔で彼女は微笑む。誰もが羨む体型にこの顔だ。さすがは学年でも屈指の美人として名高いだけはある。茶髪の髪はしっとりとした質感で、毛先はくるんと内巻き。私が男だったら惚れていたのだろうか。


「本当に……綺麗」


 自分でも予想していない声がこぼれる。霞は笑い出すでもなく、少し心配気な表情に変わる。


「今日の有紗、やっぱ変だよ」

「……ちょっと疲れてるのかな」

「そうだよ」


 霞はそう言うと、そっと私を抱きしめる。私に伝わってくる彼女の体温はとても温かく、自分の冷たさを痛感する。


「有紗が真面目なのは知ってるけど、根詰めすぎるのは良くないよ」

「……ありがとう。もう、大丈夫」


 私が霞の耳元で呟くと、彼女は離れ、優しく微笑むと軽い足取りで自分の席に戻っていった。

 彼女はあくまで貴重な情報源。仲間でも友達でもない。人に甘えてはいけないのだと、私は自分に言い聞かせながら、次の授業に臨んだ。





 放課後になり、私は図書室に向かう。そして、大して中身のないような本を選び、席に着く。本を読みたいわけではない。目的は目の前に座る千賀優馬だ。

 写真ではなく、実際に見る千賀は極度に顔が良いわけでも、悪いわけでもないが、尖った特徴もない。ダンス部の女子を彼女に持っているとは思えない至って普通の男子だった。


「千賀君、だっけ?」


 30分ほどしてから、私は明るい声で尋ねる。同じ学年とはいえ初対面。私は極力明るい声で聞いたものの、彼はぎこちない様子で頷く。


「志望校が同じって聞いたから1回話してみたいなって」

「は、はぁ……」


 彼は理解したような、そうでもないような声を漏らす。


「あ、でも、あれか。あんまり女子と喋ったら彼女に、秋月ちゃんに怒られちゃうか」


 先程の発言を見るに、明らかに引いてしまっているため、あまり長くは話せない。そう思い、1番引っかかりそうなワードを出す。


「いや……秋月は俺が誰と喋ってても気にしないよ……」


 自信無さそうな声は私の理想通りの反応だった。


「そうなの? 秋月ちゃんはそういうの心配するタイプだと思ってたけど」

「そ、そうなんだ……」


 なるほど、もう十分だろう。私は意地の悪い笑みを抑え、あたかも連絡が来たように携帯を見るフリをし、立ち上がる。


「ごめんね、また話そうね!」


 心の中に毒のような黒い感情が落ちてくる。全身に迸る高揚感が抑えられなくなる前に私は図書室を後にした。


 このまま帰っても良かったのだが、思いついてしまった。

 私は秋月沙梨の所属するダンス部の近くにあるベンチで座って携帯をいじりながら、活動が終わるのを待つ。


「……綺麗だなぁ」


 汗を散らしながら懸命に踊る部員達の姿は熱意と輝きに満ちていた。その中の1人の青春を今から破壊すると思うと、心が躍る。つくづく、私は歪みきっている。


 午後6時、全ての部活が終了し、サッカー部や野球部などの少し離れたグラウンドで練習していた運動部の男子達が更衣室に向かってくる。更衣室に向かうまでの道にダンス部の練習場があるため、何人かの男子は陽キャ特有の自然な流れでダンス部の女子達に話しかけに来ていた。

 予想通り、秋月沙梨に話しかけてくる男子もいた。下心の有無は分からないが、お互い楽しそうにたわいのない話をしているようだった。2分ほどの短い時間だったが、私はその様子をすぐさま写真に収め、何事もなかったかのように帰路に就いた。



 


 次の日の放課後、私は再び千賀に会いに図書室に赴いた。1人で黙々と問題を解く彼の姿はまさに受験生そのものだった。


「千賀君」


 私が彼を呼ぶと、目まぐるしく動いていた手が止まり、視線が合う。


「ああ……岸波さん……だっけ?」

「うん、そうだよ」


 名乗った覚えはないが、名前は知られているらしい。私は特に驚くでもなく、千賀の前に座る。


「今日は勉強教えてもらいたくて」

「……なんで俺に? 」


 私が自分の鞄から教科書とノートを出そうとすると、彼は千賀は恐る恐る聞いてくる。


「岸波さんならもっと頭良い人に聞けるんじゃないの?」


 当然だ。だが、君達を破局させるためなんて言えるわけがない。


「同じ大学目指してる千賀君に教えてもらうってことは今の私じゃあ千賀君とはレベルが違うってことでしょ?」

「まぁ……そうだね」

「それなら、私は勝つためならなんでもする。負けてる人が勝ってる人から教われることなんて山ほどあるはずだよ?」


 私が少々真面目な顔でそれらしいことを言うと、千賀は小さく溜息をつく。


「凄いね、岸波さんは」

「そうかな?」

「うん、殆ど初対面なのに負けてるだなんて、俺には言えないよ」


 その声に皮肉はなく、純粋に褒めてくれているようだった。私の予想通り、千賀はプライドが高いようだ。


「……千賀君も誰かに負けてるとか思うの?」

「昨日、秋月さんとのこと……聞いたでしょ?」


 千載一遇のチャンスに笑みが溢れそうになるが、私は真面目な顔で頷く。


「あの人見てると……思うよ」

「そっかぁ……」


 片や一般的な根暗な高校生男子、片や青春を謳歌する高嶺の華。その差は傍から見るより酷く開いているのだろう。

 私はわざとらしく天を仰ぎ、数秒してから戻り、再度笑顔を浮かべる。


「さて! 湿っぽくなっちゃったし、そろそろ勉強教えてもらおうかな!」


 私はその後、小一時間ほど既に分かっていることを教えてもらい、図書室が閉まるのと同時に2人で校舎を出る。あの6時の時間帯に。


「うわぁ……いつも通り人で一杯だねぇ」

「こんな時間までいたことないからな、初めて……」


 千賀はなにかを見つけ、言葉を止める。目線の先には秋月がいた。昨日と同様、男子と仲良さそうに話しているのを。


「……帰ろう、岸波さん」


 その悔しそうな、苦しそうな横顔は私の勝利を確信させた。





 それから、1ヶ月ほど過ぎたある日。千賀と秋月の破局が私の耳にも届いた頃、私の元に、ある手紙が届いた。その手紙には『お前の秘密を知っている。今日の放課後、学校前の公園に来い。来なければ、学校中に噂をばら撒く』と書かれていた。十中八九、私の別れさせ業のことだろう。だが、そうではない場合が1番厄介だ。


 夜8時。人気のない公園のベンチに座って待つこと2時間が経過していた。


「お前が……岸波有紗か」

「うわぁ……勝手に呼んどいてお前呼び? しかも遅過ぎでしょ」


 馬鹿みたいな言葉使いが流石に勘付かれたのか、目の前に立つ男子生徒の表情は険しくなる。


「その白々しい演技をやめろ」

「……へぇ、分かったんだ」


 私は一気に声のトーンを落とし、光を消した目を浮かべる。家族ではない誰かにこの表情を見せるのは何年ぶりだろうか。


「半年も観察すれば分かる。お前が『呪いの百葉箱』だってこともな」


 私の持つ最大級の秘密が露見したが、不思議と動揺がないのは勝てる自信があるからだろう。


「……だからなに?」

「この事実がバレればお前はこの学校に居られなくなる」

「確かに、それは間違ってない。ですが……」


 一度言葉を切り、男子生徒の目を見つめる。


冴島さえじまりつ、貴方にそこまでの影響力があるんです?」

「なんで名前を……」

「私だって馬鹿ではない。半年も観察してくる人がいれば、調べておくのが常識でしょう」


 私が意地の悪い笑みを浮かべると、冴島の顔が青くなる。


「貴方こそ、私が教師陣にストーカー行為をされた、暴行を受けたと報告すれば、学校どころか社会にすらいられなくなりますよ?」

「それは……」


 冴島がなにかを呟くが、私はそんなことお構いなしに私は続ける。


「なんなら、私は友人にストーカー被害に遭っていることを既に話している」

「っ……!」


 冴島は自分の敗北を悟り、奥歯を噛み締める。襲ってくる様子はなさそうなので、私はひとまず安堵した。


「まぁ、座ったらどうです?」


 私は口調を和らげ、彼を自分の隣に座らせる。


「そもそも、なんで私に目をつけたんです?」

「……たまたま、見かけた時に惚れただけだ」

「それで観察してただなんて……気持ち悪い」


 3年間モテた試しなどなかったが、とんでもない男に惚れられたものだ。


「じゃあ、なに? 今回のことで私を強請って身体でもよこせって言うつもりだったの?」

「そこまで常識外れでは……ない」

「……別に身体ぐらいあげてもいいんですがね」

「え?」


 あえて軽い声色で呟いたせいなのか、私の言葉を信じられなかったようで、冴島はすぐに聞き返してくる。


「私も貴方に興味が湧いてきた。そもそも私自身、肉体関係を持つことに嫌悪感もないので」

「お前……」


 冴島は目を見開き、まじまじと私の顔を見る。


「そんな女だとは思ってなかったって?」


 冴島の目に困惑はあるが、逃げる様子はない。その姿に私は加虐心に似たなにかに駆られ、彼の手を取り、自分の胸に押し付ける。


「どんなに内面が破綻していても、外見は変わらない。そうでしょう?」 


 私が更に力を入れると、手は私の胸の中に沈み、彼は生唾を飲む。


「恋人になるわけじゃないですし、純粋な欲望に身を任せても、良いのでは?」


 私が誘惑するようにそう言ってから、手を抑える力を緩めると、冴島はすぐさま手を引き抜く。


「でも、1つだけ条件を呑んでもらいますよ?」

「……内容は?」


 即座に断るつもりはないらしく、彼は恐る恐る尋ねてくる。


「私の『呪いの百葉箱』としての仕事に全面協力すること」


 1人で続けてきた仕事だが、人手不足は常々感じていた。そこに私の正体を知った人間が来たとなれば、利用しない手はない。なによりも私の秘密を知った生徒を放っておくのはあまりに危険すぎる。


「俺にお前の悪事の片棒を担げと……?」

「悪事だなんて……酷い言われようですね」


 こんな男でも、多少ぐらい善悪の分別はつくらしい。だが、逃がしはしない。


「私の別れさせ屋として手が欲しい時はいつでも協力してもらいます。その代わり、私は貴方がしたい時にいつでも身体を委ねる」


 私は彼の頬に手を当て、視線を合わせる。


「こんな女でも……やりますか?」


 無限にも思える数秒の沈黙が流れ、冴島は目線を逸らし、距離を取ると、ゆっくりと口を開く。


「……分かった、やろう」

「じゃあ……よろしくお願いしますね、冴島君」


 分かりきった返答に私は満面の笑みを浮かべ、そう言った。

 こうして、2人の破綻した人間が出会ったのだった。

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