20話 僕のことを愛してください



 瑞季を抱き抱えたまま助手席に乗せ、自分は運転席に乗り込む。


 人目を避けるように、急いでエンジンをかけた。


 ハンドルを握る間は集中しようと、故意に瑞季を見ないよう努めた。

 だが信号で止まる度、ただぼんやり窓の外を見る瑞季の横顔を盗み見てしまう。


 盗み見ては、歯噛みする。

 なぜ、こんなことになったのか。

 なぜ、自分はもっと早く迎えに来られなかったのか。


 後悔しても仕方のないことだとわかっていたが、苛立ちを抑えきれない。


 新堂は迷うことなく自宅へ向けて車を走らせた。



 駐車場に車を停め、シートベルトを外す。隣を見遣ると、瑞季はシートベルトを外す素振りを見せない。


「着きましたよ」


 あえて声をかけても反応はない。

 新堂は左手でボタンを押し、瑞季のシートベルトを外した。

 だが瑞季の視線は窓の外へ向けられたまま、ピクリとも動かなかった。


「・・・下咲さん、」


 心配になり、脈を図ろうと瑞季の首に触れた。

 途端に瑞季の身体が跳ね上がり、驚いた表情で新堂を見る。それに驚き、新堂は手を引っ込めた。


「すみません、いきなり触って、」


 新堂が詫びると、瑞季は力なく首を振る。


「降りましょう。ここにいても仕方ないし、」

「・・・」


 瑞季は俯いて何も答えない。


 新堂は頭を掻いてとりあえず車を降りた。そして助手席側に回り、ドアを開ける。瑞季は一瞬新堂を見上げ、ゆっくりと車から降りた。だが降りてすぐその場に崩れ落ちる。足腰から力が抜けているようだった。


 新堂は瑞季の脇を抱えて立たせようとするが、瑞季は意思をなくした人形のように脱力していた。


「・・・わ、ちょっ、ちょっと、」


 迷いなく新堂は瑞季を抱き抱えた。

 困惑した瑞季が力ない両手で抵抗するが、新堂は意に介さず車の鍵を閉めた。


 そのまま自宅のマンションへと連れ込んだ。



 部屋につくと、瑞季をソファーに座らせ、跪いて靴を脱がせる。

 そして靴を玄関に持っていくと、リビングへは戻らず、浴室へ直行した。


 一人残された瑞季は、気だるそうに、自身のアパートより高級そうな部屋を見回した。

 派手さはないが、モノトーンに揃えられた家具や小物にこだわりを感じる。


「・・・凄いな、」


 泣き疲れ、遠退きかける意識の中で瑞季は、ここにいる自分は場違いだなと、嘲笑を漏らした。


     ・・・


 風呂から出ると、瑞季がソファーにもたれ掛かり眠っていた。

 一つ息を吐いて、瑞季を抱えてベッドルームへ連れていく。

 自分のベッドに寝かせると、新堂はリビングに戻り、ソファーに寝転んだ。


「明日から、どうすっかな、」


 スマホで「摂食障害の食事」と検索しながら、しかしどのサイトにもアクセスすることなく、あっけなく意識を手放した。


 翌朝。

 スマホのアラームで目を覚ますと、自分に毛布がかけられていて驚いた。


 だが辺りを見渡しても瑞季の姿はない。

 慌てて起き上がり、ベッドルームに駆け込む。やはり瑞季の姿はなかった。

 玄関へ向かうが案の定瑞季の靴がない。


「嘘だろっ」


 新堂は部屋着のまま玄関から飛び出した。


「下咲さん!」


 エントランスに降りても、駐車場の辺りを見回しても、どこにも瑞季の姿はなかった。


「下咲さん!」


 何度呼んでも返事はなく、新堂は焦燥感に駆られて走り出した。


 自分の息がうるさいほど走り回り、やがて大通りに出たところで、バス停に座っている瑞季を見つけた。


「よかった、」


 瑞季の姿を見て、一気に込み上げてきたのは安堵感だった。

 急ぎ走って瑞季の元へ向かった。


「下咲さん!」


 新堂の声に驚いた表情の瑞季は慌てて立ち上がり、新堂から逃げようとする。

 途端新堂は獣のように身を低くして加速し、あっという間に瑞季の腕を掴んだ。


「は、離して、」

「なんで、何で逃げるんですか!」

「俺は、・・・新堂さんに庇護されるほどの価値がないから、」

「はあ?」


 新堂は、乱れた息を整えながら、瑞季の言葉の意味を考えた。だがまったく理解できなかった。


「何言って、」

「俺は、新堂さんに相応しくない」

「なんだよ、相応しいとか相応しくないとか、」


 新堂は明らかに苛ついていた。

 瑞季の腕を掴む力が無意識に強くなる。

 瑞季は痛みに顔を歪めた。

 その顔に驚き、手を離す。


「あ、すみません。でも、相応しくないとか、何なんですか」

「俺は、・・・俺は、もう新堂さんには十分救ってもらいました。だから、俺にかまってないで、あんたは、他の人を、探した方がいい。」

「何言ってんですか」

「俺はあんたなんか好きじゃないって言ってんだよ!」


 それは瑞季の、悲鳴に近い声だった。

 新堂はそんな瑞季から一瞬も目を離さなかった。


「そんな泣きそうな顔で言われても、説得力ないですよ。」

「・・・」

「俺のこと、嫌いなんですか?」

「・・・嫌いじゃ、ないけど」

「俺は、あんたが好きですよ。こんな格好で汗だくであんたを探すぐらい、あんたが好きです」


 瑞季は俯き、何かを懸命に堪えている。

 新堂は小さく微笑んだ。


「今は好きじゃなくても、俺のことを、好きになってもらえませんか?」


 俯いたまま、瑞季は堪えきれずに大粒の涙をアスファルトに幾つも落とす。


「俺のことを、愛してください。」


 新堂は、その暖かい手を、瑞季の前にそっと差し出した。



 

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