15話 君の声が届かない



 新堂が息を切らせて病院にたどり着いた頃には、日はとっぷりと暮れていた。


 足早に受付を通り抜け、救急病棟を目指す。


 診療時間を終えてはいたが、救急外来は未だに患者が疎らにいた。新堂は彼らの目に留まらぬよう、できるだけ隅の待合の椅子に座った。


 呼吸を整えながらスマホを取り出す。

 だがそこには着信も新着メッセージもない。

 再びポケットにスマホを突っ込もうと腰を浮かした時、受付に顔を出した看護師と目があった。看護師は新堂に気がつき手招きをする。


「新堂くん、今、谷口先生立て込んでるから、病棟五階の休憩室で待てる?重光呼ぶから」

「え、重光さんをですか?」


 新堂は、瑞季のサポートにあたる上で、看護師の重光に様々な介助について軽く指導を受けていた。しかしそれきり話したこともない。


 だが、先程の谷口の伝言を思い出すと、どうやら重光は新堂のことをよく知っている風ではあった。


「これ絶対怒られるやつじゃないか」


 職員室に呼び出された生徒の面持ちでエレベーターから降りると、既に白衣を着た何者かがエレベーター前で仁王立ちで待ち構えていた。


「遅い!こっちは持ち場離れて来てんだよ!」

「わ!すみません!ヘタレなもんで」

「そんなもん周知だわ!さ、時間ないから座って。コーヒーはブラック?微糖?」

「じゃあ、カフェオレで。」

「ないわよ。はい、ブラック。160円ね」


 飲めないブラックコーヒーのペットボトルを160円で買わされた新堂は、促されるまま休憩室の一角に座らされた。


「単刀直入に聞くわよ。新堂くん、下咲さんのこと、どう想ってるの?」

「ストレートすぎてちょっと・・・」

「事は急を要するの!どうなの!」


 流石にその質問に答える義務はないと、新堂はそっぽを向いて口を紡いでしまった。


「ヘタレのくせにプライドは高いって、なんなの。まあいいわ。下咲さんが今、食事がとれてないことは、聞いてる?」

「まあ、一応、」

「おそらく心理的な要因だとは思うけど、彼女、今、誰からもサポート受けてないから、一人で物凄く頑張っちゃってるの。しかも、《瑞季さんのため》て、色々我慢もしてるみたいだし。」

「我慢?」

「たぶんだけど、彼女、仕事がうまくいってないみたいなの。」



 昨日。

 瑞希の退院後の定期検診の日。

 心臓外科入院病棟のナースセンターにいた重光に、外来担当の看護師から連絡が入った。


 下咲瑞季の様子がおかしいから、サポートに入ってくれないかとの応援要請だった。


 重光は急ぎ外来へ降りると、そこには、ベッドに横たわり点滴を受けながら、虚ろな顔で天井を見ている瑞季の姿があった。


 その姿を見て、看護師をしていても、重光は一瞬たじろいだ。そんな重光に、外来の看護師が低く言った。


「ごめんね重光、今外来に谷口先生来られて、下咲さんの様子を見てすぐに、重光に連絡しろって言うからさ」

「いいよいいよ。担当患者さんだったんだから、」


 実際、下咲瑞季の移植の状況を知る病院関係者は少ない。あまり公に出来ない手段で治療を受けた瑞季を、故にサポートできる関係者も限られていたのだ。


 重光はそっと瑞季の側に座り、


「久しぶり、下咲さん。ちょっと痩せたかな?」


 優しく微笑みながら、ちょっとどころではなく痩せていた瑞季の頭をそっと撫でた。


     ・・・


「その時、下咲さんは少しも今の生活について話してはくれなかったけど、ただ、」


 重光は気の強そうな眼差しをまっすぐ新堂に向けて、そして少し震える声で言った。


「新堂くんの名前を出したら、その時だけ泣いたんだよ。声出して、子供みたいに、」

「・・・え」

「新堂くんにその気がないなら、こんなこと言わないけどさ、あんなに献身的に支えたのは、ただの罪滅ぼしだったわけではないんでしょ?」

「・・・」

「アタシ、看護師だから、こういう患者さんのプライベートに踏み込むのはホントは駄目だってわかってるけど、けど、下咲さんの頑張りを、一人の人間として応援したいんだよ」

「・・・わかります。」

「わかってんなら、なんで一ヶ月も放っておいたのさ!」


 重光は机をバンと強く叩き、新堂が置いていたブラックコーヒーのペットボトルが倒れて床に転がった。


 ゆっくりそれを拾いながら、新堂は「わかってます」とだけもう一度言ったきり、もう何も話さなかった。


 ただ、伏せがちの新堂の目が、赤く充血しているのが重光にも見えた。


「アタシからはそれだけ。お節介でごめんね。」


 そして重光はナースセンターへと戻っていった。


 残された新堂は、椅子に浅く座り、足を無造作に放り出して、手にしたブラックコーヒーの蓋を開けた。

 一気に半分ほど飲んで、机に置く。


「・・・苦、」


 口の中に広がったのはコーヒーの苦味と、噛み締めすぎて滲んだサビ臭い鉄の味だけだった。







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