十七 傾国の美少女 ~僕の名前はクラリッサ。神様になりかけの女の子。略してクラリッサは神神少女。いや、それは略じゃない!~

 部屋の窓から漏れている光が、明滅しているかのように、ついたり消えたりを繰り返し始める。門大は、その光景を見つめながら、ゆっくりと痛みのない方の足だけで、アパートに向かって自転車を進ませ始めた。




「門大?」




 クラリスタが心配そうな声音で言った。




「電気が、えっと、電気ってのは、家の中を明るくしてる物の事なんだけど、あんなふうに、誰もいないはずなのに勝手についたり消えたりなんてしないんだ。あれは、誰かが中にいて、電気をいじってるとしか思えない」




「誰か知っている人が来ているとかではないのですの?」




 知ってる人? いや。ない。俺の家に来る奴なんていない。ん。待てよ。大家さんか? あれか? さっき、ブレーカーが落ちたから見に来たとかか? 最近よく落ちてたし、他の家でも同じ事があったとかで来たとかか? いや。連絡もなく、って、今、スマホ持ってないから、そっちに連絡が来てたとかか? クラリスタの言葉を聞いて門大はそんな事を考えた。




「ちょっと考えてみたけど、分かんないな。泥棒とかの可能性もあるから、とりあえず、このまま家の近くまで行って、様子を見てみよう。泥棒とかだったら、すぐに警官を呼ぶよ」




「警官?」




「うん。警官、っていうのは、治安を守る国の機関に所属してて、呼ぶと来てくれる警備の兵士みたいな物かな。そういう役割の人って向こうにはいなかったっけ?」




「治安は、王都は王の兵が、その他の領地は、その領地の領主の兵が守っていますわね。何か事件があった時は、王都では王とその側近達の裁量で、その他の領地では、その領地の領主とその側近達の裁量で、どうするかを決めるのが通例ですわ」




「じゃあ、その王や領主の兵士達みたいな感じかな。電話すればすぐに来てくれるから、特に心配はしなくていいから」




 クラリスタが、電話? ですの? と言う。




「後で見せてあげる。見たらきっと驚く」




 門大は、クラちゃんといると、こんな時でも楽しいな。いやいやいや。駄目駄目駄目駄目。気を引き締めないと。と思った。




「ここからは一応会話はなしにしよう。中の奴が泥棒とかだったら、声を聞かれて気が付かれるかも知れないから」




「分かりましたわ」




 お互いに言葉を出さずに進んで行き、あと一、二メートルで部屋の前という所で、部屋の中から人の声が聞こえて来た。




「ふんふんふーんカミン~。ふふふのふーんカミン~。遅いな遅いなカミン。石元門大おっそっいなーカミン。いえあーカミン。今日は、僕のワンマンライブに来てくれてありがとうカミン!! 今のナンバーは「遅いな石元門大」カミン。サンキューカミン。おっとっとカミン。なんだか喉が渇いたカミンね。ちょっと休憩カミン。皆待ってるカミン~。さっき冷蔵庫の中にカルピスがあったカミン。あれはいい物だカミン」




「今のは、なんですの? 門大の事を、知っているみたいですわね。あら、いけませんわね。話をしてしまいましたわ」




 どちらともなく歩くのをやめ、その場で止まると、クラリスタが言って片手が動き、そっと口に、口を塞ぐように手が添えられる。




「今のはしょうがない。あんなの聞いたら誰だって黙ってなんていられない。語尾にカミンとか付けてるし、心当たりはないけど、俺の事知ってるみたいだし。しかも、あの声、どう聞いても、子供の声っぽい」




 門大は、口に添えられている手を下ろして言う。門大の顔が、クラリスタの意思で周囲を見回すように動く。




「あそこに、色がちょっと赤くて派手ですけれど、いい棒がありますわ。念の為に持っておきますわ。門大。世界が変わっても、体が変わっても、門大の事はわたくしが守りますわ」




 門大の部屋のドアの脇に立ててあった、カラーバットを見つめてクラリスタが言い、自転車を引いてアパートに向かって進み始める。




「ありがとうクラちゃん。けど、あれは、棒といえば棒だけど、あれだと攻撃力は低いと思う」




「そうなのですの? そんなふうには見えませんけれど」




 アパートの前に到着すると、門大は音をたてないように気を付けつつ、自転車をアパートの壁に立てかけた。




「あらら? なんですの? これ。柔らかいのですのね」




 カラーバットを手に取ったクラリスタが小声で言う。




「まあ、相手が声の通りに子供だったら、こんな物でじゅうぶんなんじゃないかな。でも、どうやって入ったんだろ? 俺、鍵はかけていったよな?」




 門大も小声で言い、部屋の窓に近付くと、カーテンの隙間から中を覗こうとする。




「いえあーカミン。喉の渇きを潤して戻ったカミン。ハッスルハッスルカミ~ン。次のナンバーは、これだっカミン。「僕の名前はクラリッサ。神様になりかけの女の子。略してクラリッサは神神少女」カミン。皆聞くカミン。……。あ。神神って略してもならないカミンね。まあ、いいカミンか。神神少女。ちょっといいかもカミン」




「クラリッサだって?」




 門大は思わず大きな声を出す。




「門大。しーっですわ。聞こえてしまいますわ。けれど、確かに、クラリッサと言っていましたわね。わたくしにも、クラリッサとはっきりと聞こえましたわ」




 クラリスタが小声で言う。




「ん? 何か、今、聞こえたような気がするカミンね」




 そんな声がして、ほんの少しの間を空けてから、カーテンが勢いよく開かれる。クラリスタの意思で門大の体が咄嗟に窓枠の外に移動する。窓が開き、中にいた人物が窓の外に顔を出した。




「むうーカミン? 何もいないカミンね。気の所為だったカミン?」




 きょろきょろと周囲を見回しながらそう言ったのは、十歳前後くらいの年齢の少女だった。姿を見られないようにと、アパートの壁に体をぴったりとくっ付けつつ、その顔を見ていた門大は、クラリスタに似てる。と思った。




「気の所為だったみたいカミン」




 部屋の中にいた人物が、顔を引っ込めると、窓を閉める。




「顔、見た?」




「見ましたわ。今のわたくしよりも幼いようでしたけれども、わたくしに似ていましたわ。クラリッサの顔は、家にある絵で見た事がありますわ。わたくしに似ている人ですの。今見た子供がクラリッサという可能性は、じゅうぶんにありますわ」




 そんな事ってあるのか? ここは、俺のいた世界で、そんな場所に、いや。あるのかも知れない。今だって、俺の中にクラリスタがいて、そもそも、俺は、向こうの世界に転生なんてしてて、一度死んだはずなのに、こっちの世界に戻って来てて。ありえないような事がたくさん起こってる。そんなふうに思っていると、クラリスタが体を動かし、窓から部屋の中を覗こうとする。




「覆いの布が開いたままなので中が見えますわ」




「ほいほほーいカミン。ライブの続きカミン。照明をまた激しく点滅させるカミン。盛り上って来たカミン~」




 ベッドの上に立っている少女が言うと、電灯から伸びている、電灯を点灯及び消灯させる為の紐を、激しく何度も何度も引っ張り始める。




「なんだ、あいつ」




「あれが、電気ですの?」




「うん。あの紐を引くと、つけたり消したりできるんだけど」




 あんなに乱暴に扱ったら壊れるじゃないか。今すぐに止めに行きたいけど、あいつが何者か分からないから、いきなり行くのはまずいしな。まったく、なんだこの状況は。と門大は思う。




「ふーんカミン。ふふーんカミン。あっ。そうだったカミン。こんな事をしている場合じゃないカミン。よくよく考えてみたら、こんなふうに待ってたら駄目カミン。ついつい、この電灯という物と、そこのノートパソコンで久し振りに見た、前にこの世界に来た時に大好きだったバンドのライブの動画の所為で、ライブごっこをしたくなってしまってやってしまっていたカミン。この世界にある諸々の物、実に、恐ろしい子カミン。それで、どうするカミンかね。やっぱり、ここは、傾国の美少女といわれた僕の魅力で、篭絡するのがいいカミンかね。ぷふふふふ。そうだったカミンそうだったカミン。さっき、ノートパソコンのハードディスクに保存されてたムフフなファイルもチェックしたんだったカミン。ここは、やっぱり、服を脱いでこのベッドで寝て待っているのが一番カミンね」




 少女が来ている服を脱ごうとし始める。




 ハードディスク? ムフフなファイル? なんてこった。すっかり忘れてた。これは俺の人としての尊厳に関わる重要な問題だ。クラちゃんに気付かれる前にハードディスクの中身とか、その他にもあるブツをなんとかしないと。門大はそう思うと、激しく動揺した。




「なんて事を考えていますの。門大を篭絡なんて絶対にさせませんわ。けれど、あの子は何を言っていますのかしら? はーどでぃすく? むふふなふぁいる? 門大。……。なんですの? この、おかしな胸の、鼓動の変化は。何を考えて、門大! 何をじっと見ていますの!!」




 クラリスタが、門大! というところから声を荒げ、門大の顔が恐ろしいほどの速度で横を向く。




「はえ? 何カミン? きゃーカミン。誰か窓の外にいるカミン!!!! さっきのは気の所為じゃなかったカミン。怖いカミン。覗きカミン。変態カミン。お巡りさん助けてカミン」




 少女が大声を出し、自分の近くにある物を片っ端から掴んで、門大達のいる窓の方に向かって投げ始める。




「おいおいおい。何やってんだ。やめろって」




「ぎゃばばばばー、なんか言ったカミン。変態カミン変態カミン変態カミン変態カミン」




 少女が叫び、近くに投げる物がなくなると、投げる物を探す為に移動を始めつつ、その辺にある物を掴んで投げ始める。




「お、おい。それは、駄目だ。パソコンはやめろ。窓が割れる。パソコンも壊れる」




 門大はカラーバットを投げ捨て、窓を開けて、飛んで来たノートパソコンをキャッチした。




「ひぎぃぃぃぃ。取ったカミン。キャッチしたカミン。怖いカミン。神様助けてカミン」




「おお~。我ながらナイスな動き」




 門大の動きを見て、叫び始めた少女を無視し、ノートパソコンをためつすがめつしつつ、ノートパソコンと窓を守れた事を門大が喜んでいると、門大の顔がクラリスタの意思で動き、部屋の中にいる少女の方を見る。




「クラリッサ。落ち着いて下さいまし。ここにいるのは石元門大ですわ。あなたは、門大の事を待っていたのではありませんの?」




「うぎぎぎぎぎ。こうなったら、はえ? カミン? 石元門大、カミン?」




 門大が昔、虎の子の貯金をはたいて買った五十インチのテレビを、両手で抱え上げようとしながら少女が言った。




「おいおいおいおい。それはまずいぞ。まずはそれ置こうか」




「門大。何を見ているのですの」




 ぐいんっと、凄まじい勢いで、門大の顔が横を向く。




「いだっ。クラちゃん。今のは、クラちゃんがあいつを見たから、俺もそっちを見ただけだ。それに、あいつは全然服脱いでないって。ちょっとはだけてるだけだから。そもそも、俺は、あんな子供に全然興味ないから」




「さっきはあの姿を見て興奮していましたわよね? それに、そうですわ。確か、門大は、前に、わたくしの事も子供だって言っていましたわよね? わたくしにも興味がないという事ですの?」




 ええー!? なんで? どうして? そこ? 今、そんな事を思い出して、怒るところなのか? しかも、さっきは興奮してたとか、勘違いされてるままだし、って、そこは俺も何も言ってないからしょうがないかも知れないけど。門大はそう思うと、慌てて声を上げる。




「さっきのは、あいつを見て興奮してたんじゃない。あれは、別の事が気になって動揺してだけだ。それと、クラちゃんは別だよ。あいつとは全然違う。クラちゃんは魅力的だぞ。俺は、何度か、あれだよ。向こうにいた時、お風呂とか、トイレとかで、その、あの」




「門大のバカ。何を言い出しますの。最低ですわ」




 クラリスタが門大の言葉を遮るようにして言い、右頬に拳を叩き込む。




「ぐぼぉっ。さすが、前にパワハ」




「なんですってー!それを言いますのー」




「うわぁカミン。やめるカミン。今のは酷いカミン。どん引きカミンよ。クラリスタ。お前、そんな酷い事はしちゃ駄目カミン。男っていうのはもっと優しく扱うカミン」




 テレビを床の上に置いた少女が、小走りで玄関に向う。玄関の前まで行くと、ドアを開けて外に出て来る。




「た、確かに、今のは、ちょっと、やり過ぎましたわ。けれど、門大が悪いのですのよ。もう」




 クラリスタが殴った右頬にそっと優しく手を当てる。




「石元門大。大丈夫カミン? ほらカミン。僕の胸に抱かれるカミン。僕が癒してあげるカミン」




 少女が言って、背伸びをすると、門大を抱き締める。




「な、な、な、なななななななな、何をしていますの~~~。破廉恥ですわ。最低ですわ」




 クラリスタが叫び、少女を引き剥がした。

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