十二 別離

 ハガネが口を閉じると、顔を俯かせる。門大は、ハガネの顔を見下ろしながら、クラリスタの右手に左手をそっとのせた。




「人間が憎いのか?」




「憎いイヌン。クラリッサをあんな目にあわせたんだイヌン。絶対に許せないイヌン」




 ハガネが顔を俯かせたまま言う。




「俺が、神龍人だっけか。それになってる間、クラリスタはどうなる?」




「今のままだったらただ寝ているだけイヌン。クラリスタと君の安全は保障するイヌン」




 ハガネが湖の方に顔を向ける。短く二回吠えると、湖の水が騒めく音が聞こえて来た。




「なんだ?」




 門大はしゃがんでいた体を立ち上がらせると、湖の方を見た。




「ハガネの眷属を集合させたイヌン。ハガネは、今はこの姿だけど、本当は、巨大な蛇のような姿をしていて、普段は水の中に住んでいるイヌン。眷属は皆、水の中の生き物だイヌン」




 いつの間にか顔を出していた、月の光に照らされている湖の湖面は、クラリスタが倒した魚と同じ姿形の魚や、他にも、様々な姿形をした水生生物に埋め尽くされていた。




「あれも仲間だったのか? まさか、俺達をわざと襲わせたのか?」




 門大は、ハガネの目を見つめる。




「そうだイヌン。君達が何者か確かめたかったイヌン。雷神と炎龍になった時は驚いたイヌン」




「クラリスタの事を心配してるんじゃないのか? それなのに、変身させるような事をしたのか?」




 ハガネが悲しそうな顔をする。




「その事に関しては悪い事をしたと思っているイヌン。けど、しょうがなかったイヌン。ハガネは人間が大嫌いイヌン。でも、だからこそ、今は、クラリスタの為を思って言っているイヌン。この体も差し出すつもりイヌン」




「体を差し出す?」




 ハガネが小さく頷く。




「雷神と炎龍と君の魂の新しい器、体が必要になるイヌン。それは、ハガネが魔法を使って作るイヌン。その対価は、この体だイヌン。君が神龍人になっていっている間、ハガネは何もできないイヌン。恐らく、君が神龍人となって活動できるようになるのと、ハガネの体がある程度再生して活動できるようになるまでにかかる時間は同じくらいだと思うイヌン。前の、クラリッサの時は、別の悪魔が体を差し出したイヌン。その時も同じくらいの時間がかかったイヌン」




「俺とハガネが、そんな状態になったら、クラリスタの事は誰がみる?」




 ハガネが湖の方に顔を向ける。その動きに反応するかのように、ハガネの眷属達が一斉にハガネの方に顔を向けた。




「皆が守るイヌン」




「その言葉を信用すると思うか?」




 門大は、ベッドの傍に行くと、その端に腰を下ろす。




「厳しい言い方になるけど、君に選択肢はないイヌン。君はクラリスタの事を愛してはいないのかイヌン? 仮に、このまま、雷神と炎龍を、クラリスタが使えるままにしておいたとしてイヌン。次に、何かと戦う事になったらどうするイヌン? クラリスタの性格は君が一番よく知っているはずイヌン。クラリスタは誰が何を言っても、止まらないイヌン。きっとまた、変身するイヌン」




 焚き火の中で燃えていた木材のいくつかが、燃え尽き、音をたてて崩れる。その音を聞いた門大は、焚き火の方に顔を向けた。揺れる炎を見つめていると、脳裏にクラリスタと今まで過ごした時間の中で起きた、様々な出来事が浮かび上がり、クラリスタの告白の言葉が、心の中でリフレインする。




「駄目だ。俺はこの子を裏切れない。何も言わずにやるなんて、俺にはできない」




 門大は言って、左手で右手を握る。




「同じだイヌン。あの時もそうだったイヌン。石元門大。君は、クラリスタと相思相愛だからまだいいイヌン。クラリスタの事を彼女に知られる事なしに、慕っている者がいたとしたらその者はどうすればいいイヌン? その者は、ただ、ただ、壊れて行く彼女を、遠くから見守っているだけしかできないイヌン。声をかけたとしても、本当に言いたい言葉をかける事ができないイヌン。そんな者の気持ちが君には分かるかイヌン?」




 ハガネの円らな目から涙が溢れ出る。




「クラリッサの事が好きだったのか?」




 ハガネが寂しそうに微笑む。




「雷神も炎龍もハガネも、他の二つの悪魔も、皆、彼女の事を愛していたイヌン。だから、この世界は平和になったイヌン。彼女は、クラリッサは、傾国の美少女だったイヌン。そのせいで、国を滅ぼさないようにと、炎龍に生贄として差し出されたイヌン」




「生贄?」




 ハガネが両前足で涙を拭いて、小さく頷く。




「そうだイヌン。その生贄に炎龍が惚れてしまったイヌン。更には、その炎龍を倒しに来た天界の者、雷神もクラリッサに惚れてしまったイヌン。それから、ハガネも、ハガネ達三つの悪魔も、好きになっていってしまったイヌン。彼女は、明るくて優しくて、活発で聡明で、豪快な性格をしていて、何よりもかわいかったイヌン」




 ハガネの顔に、とても優しい表情が浮かぶ。




「その人、クラリッサを助けられなかったから、せめて、クラリスタの事は助けたいって、そう思ってるって事か?」




「そうだイヌン。繰り返しになるけど、君達がここに来た事は、偶然とは思えないイヌン。きっと、何か意味があるイヌン。お願いだイヌン。ハガネにクラリスタを助けさせて欲しいイヌン。この子が背負っている宿命から、この子を解放してあげて欲しいイヌン」




 ハガネが、深く頭を下げた。




「ハガネの気持ちは、分かるとか、そんな無責任な事は言えないけど、俺だって、そんなふうに言われたら、協力したいって思うし、クラちゃんを普通の女の子にしてあげたいっていう気持ちは前から持ってる。けど、このままやったら、俺はクラちゃんを裏切る事になる。俺なんかの事を好きだって言ってくれて、俺なんかの為に戦ってくれて。そんな子を、裏切る事なんて俺にはできない」




 クラリスタを起こして、話し合えば……。いや。クラリスタは絶対に首を縦には振らない。けど、このままやってしまったら、クラリスタは、きっと酷く悲しむ。門大は、そう思うと、顔を俯ける。




「それなら、こうするイヌン。ハガネが勝手にやった事にするイヌン。無理やりやった事にすればいいイヌン。ハガネは喜んで悪者になるイヌン」




 門大は顔を上げる。ハガネの円らな目が、クラリスタの目をじっと見つめる。




「ハガネ」




「ハガネが好きなのはクラリッサだイヌン。けど、もういないイヌン。だからその代わりイヌン。君には、本当に済まないと思っているイヌン。巻き込んでしまっているイヌン。けど、協力して欲しいイヌン。どうか、お願いしますイヌン」




 ハガネが再び頭を下げた。




 ここまでクラリスタの事を考えてくれている、ハガネの事は信じられると思う。いや。俺はこんなハガネの事を信じたい。ハガネの言ってる事は正しい。俺だって、クラリスタを解放してあげたい。自分の事をもう化物だなんて思わなくていいようにしてあげたい。けど。クラリスタは俺と一緒にいたいって、このままでいたいって言ってた。どうすればいい? ハガネを悪者にするか? 駄目だ。そんな事はしたくない。俺だって協力したいって、今はそう思ってるんだ。




「駄目かイヌン? 答えは出ないイヌン?」




「ごめん。踏ん切りがつかない。クラちゃんの気持ちを思うと、どうしても、あと一歩が踏み出せない」




 門大は思考を打ち切ってそう言った。




「しょうがないイヌン。そろそろ動かないと、途中でクラリスタが起きてしまうかも知れないイヌン。石元門大。許すイヌン。無理やりやらせてもらうイヌン」




 ハガネが言って、座っていた体を動かし、四本の足で立ち上がる。




「待ってくれ。俺はもう、ハガネの事を信じてるし、協力もしたいって思ってるんだ。無理やりやる必要なんてない。ハガネを悪者にはしたくない」




「石元門大は優しいイヌン。クラリスタが好きになった気持ちが少しだけ分かったような気がするイヌン。大丈夫イヌン。うまくやるイヌン。少しだけ、石元門大の気持ちに甘えるイヌン。ハガネが悪者にはならないように何か策を考えるイヌン。だから、石元門大。後は任せるイヌン」




 ハガネが自分の左の前足を持ち上げる。




「魔法を使うつもりか?」




 門大は、ハガネを止めようと思い、体を動かす。




「そうだイヌン。次に目が覚めたら、もう別の器、別の体の中にいるはずイヌン。大丈夫イヌン。ハガネに全部任せるイヌン」




 ハガネが、門大の手が届くよりも速く、左前足に噛み付いてから、口を放し、何事かを呟いた。眠気が恐ろしいほどの速さで、門大の意識を奪い始める。




「ハガネ。クラちゃんを」




 門大は、その場に崩れ落ちて行きながら、遠退いて行く意識の中で、なんとか言葉を作ったが、最後まで言えずに、眠りの中に落ちて行った。

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