三 おかしな二人

 水の匂いがした。湖の畔にいるので、そんな匂いがするのは当たり前なのだが、この匂いはその匂いと何かが違う。何が違うのかは分からないけど、なんだろう? と思った門大の意識は、急速に覚醒して行く。




「雨、か?」




 クラリスタの目を開き、周囲を見て、クラリスタの耳に入って来ていた音を意識した門大は呟いた。




【おはようございます。門大】




 クラリスタの声を聞き、門大は、ん? 何かがおかしいぞ。と思う。




【返事をして下さいませんけれど、どうしたのです?】




「いや、ごめん。なんか変だと思って」




 言ってから門大は、クラリスタが自分の事を名前で呼んでいた事に気が付く。どうして名前? と言おうとしたが、深い眠りに落ちる前にクラリスタと交わした会話の事が頭の中を過り、門大は言おうとした言葉を慌てて飲み込んだ。




「雨か。それで、なんかおかしい気がしたのか」




 門大は言葉を変えた。




【おはようございます。門大】




 クラリスタがもう一度同じ言葉を言う。その声には、不満の色がありありと滲んでいた。




「お、おはようございます」




 これは絶対に名前を呼んだ事に関して何かしらの反応を期待してるんだ。けど、そんな事に何かしらの反応を見せてもな。そもそも、なんか恥ずかしいしな。ちょっと待て。俺、どうした? こんな子供相手に、恥ずかしいって。いや。あれか。もう、ここ何年も、こんなふうに人と接した事がなかったもんな。こっちに来てからは人と接してはいたけど、攻略しようしてたから、恋愛がらみばかりだったしな。そんなこんなで、こんな気持ちになってるんだよな? 門大は寝起きの頭をフル回転させてそんな事を考える。




【もう。つれないですわ。折角、名前でお呼びしていますのに】




 クラリスタがはっきりと言う。




「そんなはっきり言っちゃったら、駄目だろ。なんて言うか、こういうのって、はっきり言いたいけど言えない、みたいなもどかしさがいいんじゃないの?」




 門大は思わずツッコミを入れてしまう。




【何を言っているのです? ちょっと意味が分かりませんわ】




 そう言ったクラリスタの声はどこか楽しそうだった。




「クラリスタ。なんか変だと思って、とか言っちゃって、ごめんな。俺が悪かった」




【もう。どうしてそこでわたくしの名前を言ってしまうのです? そこは言わないで、わたくしが言わせるように仕向けるという流れがいいのではなくて?】




「ごめん」




 そんな事言われてもな。普通に出ちゃったしな。と門大は思いつつ謝る。




【許しませんわ。雨か。それで、なんかおかしい気がしたのか。なんていう言葉も言っていましたわよね? わたくしが、なんの苦労もせずに、門大という言葉を言えたと思っていますの? 勇気がいったのですよ。今だってまだ、慣れていませんのに】




 クラリスタが拗ねているように言う。




「まったく。クラリスタはかわいいな」




 なんの意図もない、子供っぽい態度や言葉を受けて出た、そんな言葉だった。




【か、か、か、か、か、か、か、かわいい!?】




 クラリスタの体が突然立ち上がる。手作りの屋根は、手作りという都合上、それほどの高さがない。クラリスタの頭が屋根に突き刺さった。




【む~~~】




「ん~~~」




 クラリスタと門大は、同時に声にならない声を上げる。




「クラリスタ? 大丈夫か?」




 屋根から頭を抜こうとしないクラリスタにそう声をかけてから、門大は、クラリスタの体を動かし、頭を屋根から抜き、ベッドの上に座る。




【門大が悪いのですわ。いきなり、か、か、か、か、か】




「かわいい?」




【そ、それですわ。そんな事言うから】




 怒ってるな。あれか? お嬢様にかわいいとかって禁句なのか? 綺麗って言わなきゃいけないとかか? けど、この流刑地に来る前、向こうにいた時に、周りの貴族の男連中は普通にかわいいとかって言ってなかったか? と門大は思う。




「ごめん。じゃあ、かわいくない?」




【なんですって!?】




 クラリスタがまた屋根を突き破りそうな勢いで立ち上がろうとする。門大は、慌てて、クラリスタの体の動きを止めた。




「ごめん。なんか、とにかく、俺が悪かった」




 門大はクラリスタの体を動かし頭を下げる。




【もう。いいですわ。門大があれな人だという事が嫌というほど分かりましたわ】




「あれな人?」




【この一連の会話の流れはもう終わりですわ。これ以上続けたら屋根がなくなってしまいますわ】




 クラリスタが頭を上げ、それから上を見る。屋根には綺麗に頭一つ分の穴が開いていて、雨雲に覆われた空が覗いていた。




「まだ作ったばかりだし、雨も降ってるしな。それは困るな」




 門大が言い、どちらともなく、くすくすと笑ってしまい、しばしの間、二人して笑い合う。




「それにしても雨か。困ったな。まずは、屋根を直して、それから」




 門大は湖の方にクラリスタの目を向けた。雨に煙っている湖は幻想的な雰囲気を醸し出していたが、それだけではなく、どこか不気味で恐ろしい印象を抱かせる。




「魚は諦めるか?」




【けれど、そうしてしまうと食べ物がありませんわ】




 門大はクラリスタの顔を動かし、周囲を見る。屋根とベッドを作った時に、余った材料を見て、あれで屋根は直せるな。と思ってから、木の実とか、キノコとか、なんか分からないけど、食べられそうな草とかは近くにないのか? と思う。




「木の実とかキノコとかは近くにないか? それか、草とか、虫とか、後は、獣系?」




【虫を探すのは最後の手段にしましょう。木の実と草はこの近くにはなそうですわ。キノコは、あっても、やめておいた方がいいですわ。毒キノコとそうでないキノコを見分けるのは至難の業ですの。慣れている方でも、誤って毒キノコを食べてしまう事があるくらいですのよ。獣系は、無理だと思いますわ。魚などに比べて頭も良いですし、そもそも、こちらの気配を先に察知して、近くには寄って来ないと思いますわ】




 門大は、我知らずのうちにクラリスタの体を動かし、落胆の息を吐く。




「八方塞がりか。しょうがない。とにかく、屋根だけはやっちゃおう」




 門大は、クラリスタの体を動かすと、屋根の修理を始めた。




【冷えて来ましたわね。火を起こさないと駄目ですわ】




 屋根の修理が終わり、ベッドの上に腰を下ろすと、クラリスタが元気のない声で言う。




「少しずつ濡れて来てもいるしな。今、何時くらいなんだ? まだ、昼間だよな? 夜になったりしたら、ここはもっと冷えて来るのか?」




【もっと冷えて来ると考えた方がいいと思いますわ】




 湖の方から、何かが暴れているような激しい水音が聞こえて来る。その音に反応するようにクラリスタの顔が動く。一際激しく大きな水音が聞こえ、クラリスタの視界の中に、水面から跳ねあがった五メートルはあろうかという巨大な魚の姿が映った。




「なんだあれ?」




 門大は呆然としつつ言葉を漏らす。




【捕まえられれば、当分、食料には困りせんわね】




 魚の迫力に驚いていた門大だったが、それを見て、クラリスタが言った言葉に更に驚いた。




「あれ、獲れるか?」




【あの魚ですわよね? あれくらいなら】




 そこまで言って、クラリスタが押し黙る。




「どうした?」




 クラリスタの顔がゆっくりと下を向いて行く。




【門大は、幻獣や獣人を見た事がありまして?】




「俺が元いた世界にはいなかったけど、こっちに来てからならあるぞ。カルルだったっけ? あの子がそうだったろ?」




 カルルは確か、猫か何か、そっち系の獣人だったよな? けど、なんで急にそんな話? と門大は思う。




【そうでしたわね。幻獣の方は、動物園に行けば見られたのですけれど、行かれなかったのですのね】




「動物園なんてあったのか。デートで使えばあのバカ(王子)とかの好感度上がったのかな」




 門大の言葉を聞いたクラリスタが、控え目な小さな声で少しだけ笑う。




【門大はあの子を見てどう思いまして? その、なんというか、こういう言い方は、良くないとは思いますけれど、人とは違う者ですので】




「かわいかったな。剣聖様とか変な事さえ言ってなかったら、モフモフしちゃったかも知れない」




【かわいかった!? モフモフ!? それはなんですの?】




 クラリスタが凄い勢いで顔を上げる。




「な、なんだよ、急に。びっくりした」




【ごめんなさい。ちょっと驚いただけですわ。けれど、門大は誰の事でもかわいいなどと言うのですのね】




「クラリスタ。嫉妬は良くないぞ。そもそも、今のかわいいは、猫ちゃんに対するかわいいだ。クラリスタは人だろ? 人と猫ちゃんとではかわいいの質が違う」




 そう言ってから、あ。でも、クラリスタに対するかわいいは、子供に対するかわいいだから、猫ちゃんに対するかわいいと質は一緒か? と門大は思った。




【そうでしたの? それなら、まあ、いいですわって、わたくしに何を言わせるのです。だいたい、なんでわたくしが嫉妬なんて】




 クラリスタが途中から小声で言いながら顔を俯ける。




「で、話の続きは?」




 クラリスタが何も言わなくなったので、門大はそう言って先を促す。




【そうでしたわ。まだ続けないと駄目ですのね。かわいいのなら、門大は、獣人は大丈夫ですのね?】




「どうかな。猫ちゃん系とか、わんこ系とかなら平気だと思うけど、ほら。そういう世界だと、ドラゴン系とか、他にも、なんか思い出せないけど、色々いたりするだろ? そういうのは実際に見てみないと分かんないかな」




 クラリスタが膝の上に置いていた手をきゅっと握り締める。




【ドラゴンは駄目ですの? というか、分かんないとはどういう事ですの? 嫌いになるとか、見たくないとかそういう事ですの?】




「分かんないは、分かんないだな。見た事がないからなんとも言えないってとこかな。けど、たぶんだけど、見た目でどうとかってのはないんじゃないか? 獣人だったら会話とかもできるんだろ? どんな人かにもよるだろうし」




 湖の方から、再び何かが暴れているような激しい水音が聞こえて来る。クラリスタが、水音のした方に顔を向けると、水面から突き出た、棘だらけで禍々しい形状の大きな背鰭が、物凄い速度で自分達の方に近付いて来ているのが見えた。




「なあ、あれ、こっちに向かって来てないか?」




 門大は声を上げた。

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