冬をおおう

@Regulus_

第1話

ずっと一人がすきなのだと思っていた。

過去形なのは、今を否定しているわけではなくて、だれかと馴れ合うことを苦手とするこころが、反対の意味をもつと信じていたから。でも今は多分少し違う。


「早苗はさ、基本優しいけど、他人に興味ないよな」


辛辣な言葉尻ではあるけれど、その言葉を発したのがわたしの数少ないこころをゆるせる友人であるというだけで、嫌悪より先に、なるほどこの人のわたしを見る目は伊達じゃない、という感心に変わる。

言葉はいつも不安定で、それを発する人や受け止めるこころの持ちようによって、その意味合いはどうにでも変わるものなのだ。


「いや、そんなこと」

「あるね。目が笑ってねーもん。借りてきた猫みたいな目してる」


友人はカウンター越しにわたしが入れたコーヒーを口に運びながら口角をあげる。

猫みたい、とは猫好きなわたしからすれば皮肉にもならないただの褒め言葉なのだけれど。


「小藤、もうあがれ」


カウンター奥から店主の吉見が胡乱げな顔を出す。まだバイトを終えるには早い時間だけれど、わたしは素直に頭を下げる。


「あ、はい。お疲れ様です」

「おまえもう、早くこいつ連れて帰れ」


吉見はカウンターで頬杖をついている友人に視線をよこしてから、とても面倒そうに言う。


「えっなに、厄介払い」

「客いねーし閉める」

「ちょっと、いるってここに」


お決まりの押し問答が始まったのでバックに入って制服を脱ぐ。

ここへバイトとして働くようになってからもう2ヶ月が過ぎた。以前の仕事を辞めてから、しばらく何もしていなかった私に、今もなおバックヤードまで届く声で話す友人がここを紹介してくれた。

古い喫茶店。店主は二代目で、あまり口数が多い方ではないが、きっと彼なりに目をかけてくれている。

大学時代に唯一できた友人である彼女は、私に何があっても変わらずにいてくれる。


「おまたせ、悠さん」


未だ続く押し問答が終わるのを待たずに声をかける。

友人とこの店長の間柄はよく知らないけれど、軽口を叩ける間柄ではあるらしい。そういう人は周りにいないから、一体どういった経緯で成り立つ関係性なのかはわからない。一朝一夕でできるものじゃあない。一回りも年が離れている人と、心を許せる付き合いなどできるのだろうか。

時間は18時を過ぎたころ、空は夕方と夜のあいだ。星がぼんやりと一等星から順に光り出している。すっかり冬の準備を整えた空気が首筋を通り抜けていく。

冬が来るのだな、と思ったら嬉しかった。

空気がきれいになる冬はすきだ。

友人は隣で歩きながら、寒い寒いと呪文のように繰り返しながら上着のポケットに手を入れて首をすくませている。


「寒くなるとさ、おでん食べたくなるよな」

「なるね。あと肉まん」


隣を歩く彼女は私より頭1つ分背が高く、長いストレートの髪をはためかせながら大股に歩いていく。

私が友人と呼べる人は彼女しかいない。飾った物言いをしない彼女の隣は存外心地いい。

私の自宅アパートの一階がコンビニになっていて、彼女はいつもそこで肉まんだかからあげだかを買ってから帰路につく。


「早苗は?肉まん食うか?」

「うん。食べる。…あの、悠さん」


ほとんどコンビニの入り口に足を踏み込んでいた彼女は、私の意味ありげな呼びかけに出した足を引っ込める。それからまっすぐに私を見て、「何」と短く言う。


「こんなことを言うのは、大変恐縮なんだけどさ」

「なんだよ、まどろっこしいな」

「…私、もう平気だから、その…送り、なくて大丈夫です」


人を傷つけずに生きるのは無理だ。

そんな当然のことにいつも困惑としてしまう。

それでも離れたくない。

私が一人で生きようとすることを良しとしない目の前の彼女には、できるだけそうありたくないと、いつも思っている。

それはとても難しいことだけれど。

彼女は表情を変えないままこちらを見据えている。


「何を理由に大丈夫だと言っているわけ?」

「…え?」


もうずっと、私があの喫茶店でアルバイトをし始めてから、彼女は自分の仕事終わりに必ず顔をだして、私を家まで送り届けてくれる。それは全部、端から端まで私のためだと知っている。彼女にだって都合はあるのだろうし、その時間を奪っている自負もある。けれど、彼女の表立たない優しさに、見ないふりをしていた。

けれど少しずつ、煩わしいと思われるのではないかという恐怖が胸の内に生まれてくるのだから、私は本当にどうしようもない。自分がかわいいだけの、臆病者でしかない。


「あんたがそうやって言い淀むときは、本質と違うことを考えているんだって」


ため息混じりにいう彼女はそれから身体の向きをコンビニへと向け、大股でその中へ入っていく。

急に会話を打ち切られ、コンビニの入り口で取り残されて少し呆然としてしまってから慌てて彼女のあとを追う。

彼女は肉まんがならんだ保温器の前で真剣な顔をしている。


「悠さん、あの」

「早苗はなに?肉まんでいい?」


彼女は私の返事も聞かずに肉まんやら焼き鳥やらをテキパキと定員に注文している。

あなたに疎ましいと思われたくない。

けれど、彼女に負い目を感じるなというのは、私にとってはとても難しいことだ。


「あたしはさ、あんたの本当の声が聞きたい。あたしに取りつくろう必要なんかないって」


彼女は、本当にまっすぐにわたしを捉えてくれている。

どうすればいいんだろう。

コンビニを出ると彼女は袋から自分の分の肉まんと焼き鳥を取り出して、残りの袋を私に押し付ける。中にはふっくらとした肉まんと、野菜ジュースが入っている。

「はい、じゃあおやすみ。明日は休みだろ?またな」

肉まんを頬張りながらもごもご言う彼女はもう背を向けて来た道を戻っている。


「あ、ありがとう。おやすみ」


そう言うのがやっとだった。



私は人の心が怖い。



どうとでも動き、動かしたり動かされたり。そしてそれは、外からは全くうかがい知ることができないのだ。

いつも考えている。

これからも、私は私と生きていけるだろうか。

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