抹殺探偵マサカ・マサカー
たみねた
chapter1
殺して、去る
「事件を起こせば、抹殺探偵がやってくるぞ」
地球上に住む全ての裏社会人が、その言葉を知っていると言っても過言ではない。
その言葉はマフィアのボスから幹部へ、そして幹部から執行人たちへ、そして執行人たちから構成員へ、末端へ、フリーランスや彼らの商品を購入する消費者へと語り継がれていった。
だが誰も、抹殺探偵の正体を知る者はいない。
彼は全ての事件を、文字通り抹殺する。
抹殺、すなわち全ての消去。
彼に関われば、あらゆる”あった”ことが”なかった”ことにされるのだ。
「だが、タダのクソッタレな伝説に過ぎん」
そう、これはただの伝説に過ぎない。
”麻薬市場で最も成功しているボス10人”として、大体六位くらいで複数の裏社会雑誌やダークメディアで取り上げられるマフィアのボス、キーファー・ギルフォードもそう思っている一人だ。
彼は麻薬を捌く過程で数え切れぬ程の事件を起こし、そして全て難を逃れてきた。
彼のアジト周辺の都市の警察機関、公共機関、そして民間人までもが、麻薬の虜。
彼に逆らう者は誰もいない。
いない筈だった。
「じゃあ、これはどう説明するのです?ボス」
キーファーの秘書、頭部を最新の技術によって強化プラスチック製の仏像のような義体で置換したミスター・プラスチックがキーファーの前に紙を差し出す。
ただの紙切れだ。
そこに、どす黒い血で「
「ちょっとしたイタズラだろう。俺は有名人だからな!」
事実、彼はダークメディアに抜擢され映画にも出演したことがある。
映画の内容は彼のドキュメンタリーなどではなく、ただの恋愛コメディであったが。
「ボス、この書道に使われているものはケチャップなどではありません。ましてやサルサソースでも」
「じゃあ何だと言うのだ。マスタードでもないだろう?」
「ボス」
ミスター・プラスチックがキーファーを睨んだ。
仏の怒り顔であった。
キーファーは思わず縮こまった。
ミスター・プラスチックには色々世話になっているのだ。
「これは私達のファミリーの血です。
「ほう……何故分かる」
「ちょっぴりサルサソースの味がしますからね」
カリエンテは正当な
彼は16歳の時、MEXICOの重犯罪者収容所でスプーンで当時その収容所の有力なグループであった5人の巨漢を殺した。
更には収容所から脱走して見せ、殺人シャークの群れが泳ぐ海を渡りこの日本へとやってきたのだ。
カリエンテはタフな男だった。
だがミスター・プラスチックが言うに、彼は死んだ。
「ぬぅ……お前の舌はプラスチックだろうに」
ボスは唸り、その紙切れに塗られていた血を指で舐めた。
確かにカリエンテと、その部下達の味だ。
トルティーヤ・チップスを無性に食べたくなるのがその証拠だ。
ミスター・プラスチックがトルティーヤ・チップスを渡したので、やや不機嫌気味にキーファーは彼からチップスを奪い食べた。
「でしょう?」
「ンー……お前の言う通りだ、ミスター・プラスチック。だがな、何故ここから例の抹殺探偵の仕業だと推測したのだ。カリエンテは確かにタフだが、あいつはただの
「ではこれを」
ミスター・プラスチックが強化プラスチック製の義手で、プラスチック製の頭部を魚のヒラキのように開いた。
そこには、小さなモニター。
彼はキーファーの移動式のモニターでもあるのだ。
そこに映っていたのは、紛れもない。
探偵だ。
探偵とは、こっそり事情をさぐることを生業とする。
特に、犯人などの罪状・行動などをこっそり調べることを得意とし、プロフェッショナルとして対価にマネーをせびるのだ。
だがそれは世間の、それも甘ちゃんの考えに過ぎない。
探偵の真の仕事は、警察でもマフィアでも解決できぬような裏仕事を解決することだ。
すなわち、極悪マフィアの暗殺、政府の重役の暗殺、凶悪事件の揉み消し、
探偵の出来損ないはただのボランティアだが、真の探偵は裏社会で一番侮ってはいけない存在なのだ。
「探偵、か」
ボスはテーブルの上で、台形を描くように手を組み顎を載せ思考する。
「参ったな。お前が言う抹殺探偵であれ、そうでなかれ、探偵である以上厄介だ。ウチの雇われとは今話ができるか」
「そのう、マキシマム・ディテクティブのことなんですが……」
ミスター・プラスチックの頭部内蔵モニターの映像が切り替わった。
そこには、三本の鉛筆でそれぞれ眉間、心臓、そして股間を刺された探偵の姿。
キーファーのマフィアに雇われていた探偵、マキシマム・ディテクティブだ。
彼は目を見開き、まるで抵抗すらできなかったように殺されたマキシマムの死体を見ていた。
「ボス……」
「何が探偵だこのクソッタレがァーーーッ!!」
キーファーはテーブルを叩き、立ち上がった。
その顔は、底知れぬ怒りで染まっていた。
「マキシマムのヤツに、俺達はどれだけマネーと麻薬と女を与えた!ヤツはウチの重要な探偵戦力枠として貴重な資金を割いて採用したんだぞ!誰が
「ぼ、ボス……」
「うるさいぞミスター・プラスチック!これならお前の方が強いぞ!明らかにな!お前が探偵となれば良かったものの!待遇も良くしてやったと言うのに!」
「で、電話が……」
「電話だと!?」
キーファーは殴るように電話を取り、叫んだ。
「もしもし!こちらキーファー・ギルフォード!貴方の人生に刺激をお一ついかが!」
『良い刺激だったろう』
電話から聞こえたのは、心臓がキュっと締まるような地獄の底から聞こえているのかと錯覚するような恐ろしく冷たい声であった。
キーファーは思わず座り込む。
「……お前が、例の探偵か」
「……!」
『そうだ。抹殺探偵、マサカ・マサカ―だ』
「お前の目的は何だ、マサカー」
ボスは声を絞り出した。
帰ってきたのは、地獄から湧き上がってきたような声。
『事件を抹殺することだ。俺も、貴様も、抹殺された』
ガチャ。
電話が切れた。
キーファーは恐る恐る電話を置き、言った。
「ミスター・プラスチック。監視カメラはどうだ」
「な……監視カメラですか……」
ミスター・プラスチックは監視カメラの映像を検索する。
いずれもなし。
映像がなかった。
全て”なかった”かのように。
「……ありません」
「そうか」
キーファーは棚を開き、そこから銀色に光る中口径程度のリボルバーを取った。
銃身にはキーファーが好む言葉が連なっている。
ミスター・プラスチックはそれをただ見つめていた。
彼には準備することがない。
ミスター・プラスチックは
「我々もついに終わりですか、ボス」
「終わらせるものか」
ボスはリボルバーに弾薬を込める。
「俺にはまだすることがある。それが探偵なんぞに、終わらされてたまるものか!」
「しかし……」
「黙れプラスチック!」
ボスは怒鳴った。
ミスター・プラスチックはボスよりも遥かに戦闘能力が高い。
だが、彼の姿勢には思わず震えさせられる。
ボスはリボルバーを装填し終わると、一転し冷静になり、冷たい声で言った。
「人形は」
「は」
ミスター・プラスチックは傍に置かれていたケージに被せられていた赤い布を取り払った。
ケージの中には、少女がいた。
純金を思わせるような美しい黄色の髪。
それに相応しいサファイアの宝石のような瞳。
ホームレスめいた水ぼらしい格好ながら、磨けばダイヤモンドになるだろうと確信させる容姿であった。
だが瞳の奥には、闇。何をも映さぬ闇が広がっている。
その闇に、ターゲットマークが描かれていた。
ミスター・プラスチックと同様、改造を施されたのであろうか。
「ん……」
「仕事の時間だ。人形」
ミスター・プラスチックはケージを開け、少女を立たせた。
彼女の腕には認証のためか、バーコード。
「この人形の名前は何と申しましたか、ボス」
「名前などない。不要だ。人間ではないのだからな」
ボスはそう言い、懐から華麗な手捌きを披露しながらバタフライナイフを取り出した。
そしてミスター・プラスチックに投げ渡す。
彼はそれを受け取った。
「私に武器は不要です」
「違う。その人形に与えてやれ。相手が鉛筆だろうが拳銃だろうが、そのナイフがあれば牽制にはなる。人形はお構いなく突撃するからな。それで抹殺探偵が捌くなり何なりする一瞬を、お前が突けば良いのだ。ミスター・プラスチック。そしてお前がしくじれば、俺がやる」
「勉強なされたのですか、ボス」
「ジョークはいらん。俺なりの判断だ」
「かしこまりました。ほら、人形。こいつをやる。ボスの役に立てよ」
「……」
ミスター・プラスチックはバタフライナイフを地面に落とした。
少女が拾わないので、彼は彼女を蹴って急かした。
「んあ……!」
「拾え」
「ボス!ボス!探偵が!探偵が……」
BLAMN!
銃声が、事務所の扉の外で鳴った。
少女がナイフを拾ったと同時に、扉は開かれた。
そこに立っていたのは、血塗れの帽子に血塗れのロングコートを羽織った男であった。
年齢は伝説の割に若く、目元には一筋の皺が疲労の証めいて刻まれていた。
片手には巨大な黒塗りのオートマチック拳銃。
男は刃のように鋭い目つきで三人を見た。
キーファーは一瞬圧倒されかけたが、口を開く。
「お前が、お前のような探偵が、伝説の抹殺探偵だと言うのか」
「そうだ」
男は……抹殺探偵は、地獄のような声でそう言いながら、ブーツで血の跡を残しながら一歩、一歩と踏みしめながら歩く。
そこに、ミスター・プラスチックが割って入った。
遅れて、その前にナイフを構えた少女が立ち塞がる。
ナイフの構えは、常人のそれとは一線を越える、少女とは思えぬような殺人的持ち方であった。
「恐れ多いが、ボスを殺されてはたまらん」
「貴様はそこの男の玩具か?プラスチック男め」
「そうでもある。だが、私はボスの秘書であり、アルテマだ。ナメることなかれ、抹殺探偵殿」
「ああ、ナメたりなどはしない。キッチリ殺す」
「恐れ多いが同感だ」
「たわけ……」
抹殺探偵は懐に手を入れ、カードを投げた。
忍者の手裏剣めいてくるくると回転しながら高速で飛来するカードを、ミスター・プラスチックはキャッチした。
それで義手が傷ついたが、彼は気にしない。
「改めて自己紹介しよう」
抹殺探偵が言った。
「無所属。抹殺探偵、マサカ・マサカ―だ」
「私はミスター・プラスチック」
「キーファー・ギルフォードだ……!」
「……そいつの名は」
「名はない。とっと始めよう」
ミスター・プラスチックが少女を蹴ると、少女は呻き、そして地面を蹴った。
少女は鬼気迫るような表情を浮かべ、マサカ・マサカ―に飛び掛かる。
常人のそれとは到底比較できない、洗練された動きだ。
だが、マサカーの動きも鋭かった。
少女がナイフを振るい、回し蹴りをし、そして軸脚で跳びながら身を捻り踵落としを繰り出す。
それをマサカ―は巨大なオートマチック拳銃で逸らしてナイフを弾き飛ばし、そして回し蹴りはスライド移動めいた滑らかな横移動で躱し、踵落としを素早い対空キックで迎撃する。
「んがあ!」
少女は強烈な対空キックを受け、天井に弾き飛ばされた。
そしてミスター・プラスチックは、その大胆な動きを狙っていた。
「貰った!」
ミスター・プラスチックは既にマサカ―との死の間合いまで近づいていた。
死の間合い……より素早い方が生き、それに届かなかった者が死ぬ恐怖のリーチ。
彼は強化プラスチック義手を変形させ、強化プラスチック製の刃を形成していた。
そしてそのまま、袈裟斬りを繰り出したのだ。
だが、ミスター・プラスチックは判断が甘かった。
袈裟斬りで体を切断するのではなく、心臓を一突きすれば良かったのかもしれない。
彼は己の判断ミスを呪った。
そしてミスター・プラスチックの予想通り、マサカ―はプラスチックブレードを捌いて見せた。
BLAMN!
そこにキーファーの重金属弾。
マサカ―はミスター・プラスチックの刃を捌いた勢いで、何とか首ではなく肩に銃弾を受けるだけで済んだ。
しかし、肩の肉が削がれ、激痛が走る。
「グゥッ……!」
ミスター・プラスチックはその痛みによって生じた僅かな動きの隙を見逃さない。
彼の精神は己でも驚くほど研ぎ澄まされていた。
それは抹殺探偵と対峙した喜びか、ボスを守るという意志か、死にたくないという望みが生み出したものであるかはわからぬ。
ただわかるのは、今が正念場ということのみ!
ミスター・プラスチックはプラスチックブレードを元の手の形に戻し、素早いフック、サイドキックと連撃を繰り出していく。
それをマサカ―はフックを受けながらも、サイドキックをミドルキックと合わせ相殺。
そのままの勢いで軸足を切り替え、身を捻りながら一瞬で二段構えの回し蹴りを繰り出した。
「あがァッ!」
一段目の回し蹴りは防げた。
強化プラスチック製の義体は頑丈だ。
だがその慢心がいけなかった。
一段目の回し蹴りは、辛うじてガードを崩されながらも防いだのだ。
故に、二段目の回し蹴りが有効打となろうことは明白。
プラスチックの義体が、破壊された。
「プラスチックがァーッ!」
ボスは叫びながら、ミスター・プラスチック越しに連射をした。
BLAMN!BLAMN!BLAMN!BLAMN!BLAMN!
狙うは、彼の先にいるマサカ―だ。
ミスター・プラスチックのプラスチック義体を貫通した重金属弾は、マサカ―を狙う。
だがマサカーは素早い動きでその場を飛び離れていた。
「ぼ、ボス……!マサカーを……!」
「うるさいぞ!プラスチック!」
ボスはリボルバーを投げ捨て、ホルスターからオートマチック拳銃を抜いた。
威力には欠けるが、腐っても銃である。
BLABLABLAMN!
銃弾が舞う中、マサカ―と少女は再び蹴りの打ち合いをしていた。
少女は何をも映さぬ瞳で、マサカーを睨みながら少女とは思えぬ洗練された動きで蹴りを繰り出す、繰り出す、繰り出す。
マサカーは捌き、捌き、捌き、そして側頭部を狙った鋭い蹴りを繰り出した。
「貴様の目的は何だ!」
「んあッ!?」
その鋭い蹴りが命中し、少女は軽い脳震盪を引き起こす。
だが少女はマサカーを睨むことを止めない。
「じ、ゆうに……!」
「セイッ!」
「んがあァッ!」
銃弾を掻い潜り、マサカーは目を少し俯かせながら少女に回し蹴りを繰り出し、弾き飛ばした。
少女は壁に激突し、苦虫を噛み締めたように歯噛みしたまま苦痛に呻いた。
「クソ!役立たずどもが!」
ボスは弾切れになったオートマチック拳銃の引き金を引きながら、後ずさった。
そこに、マサカーが跳躍し、着地する。
「お、俺を殺しても何にもならんぞ!抹殺探偵!誰に依頼されたのかは知らんが、こちらはお前にマネーを払う用意はある!」
ボスは尻もちをつき、後ずさる。
「何だ!何が望みだ!何故顔を出した、抹殺探偵!」
「俺の望みは、貴様の命だ」
憎悪に満ちた表情で、マサカーは巨大なオートマチック拳銃の引き金を引いた。
BLAMN!
ボスの眉間を巨大な銃弾が貫いた。
彼は、仰向けに力なく倒れた。
同時に、
この一瞬で、このアジトに住むキーファー・ギルフォードのマフィアは全滅した。
「……」
マサカーは緊張の糸が途切れたのか、だらんとオートマチック拳銃を持っていた腕を垂らし、そしてオートマチック拳銃をベルトに接続した。
少女はそれを見、彼に飛び掛かった。
「な……!?」
マサカーはそれを振り払い、間合いを取る。
「じゆうに……なる……!」
「……もう、お前のボスはいない」
「い、ない……?」
「そうだ」
少女はガクリと崩れ落ちた。
操り人形の糸がふと切れてしまったように、彼女は俯き地面を見ていた。
「……」
マサカーは立ち去ろうとした。
だが、きゅっとコートが引っ張られた。
「……つれて、いって……」
「……ダメだ」
マサカーはそれを振り解き、立ち去った。
少女はしばらく思考し、彼の後を追った。
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