青空と鉄塔、そして入道雲

 私は母の家の、つまり実家の草むしりをしに来た。


 私が今年38歳を迎えたので、生まれるずうっと前からあるこの家はいったい、いくつ?


 築何年になるのかな?



 私も母もリフォームするほどのたくわえはなかった。

 私が里帰りするたびに少しずつ修繕はしてきたが、家のあちこちが傷んでいる。


 廊下や縁側も確実に老朽化を感じる。

 ギシギシと歩けば鳴る廊下を一人歩いた。あるじが不在の家の中を見渡して切なくなった。



 煮出した麦茶をやかんから、氷をたくさん詰めた耐熱のガラスのコップに注ぐと、たちまち氷の大半は溶けてなくなった。



 私は草むしりを途中で投げ出して、縁側に座った。

 母の農作業用の麦わら帽子をかぶり、手ぬぐいを首に巻いていた。


 汗はあごまでしたたり、やがて地面に落ちた。


「はあー……」


 深く嘆息たんそくする。


 しずくまとったグラスを手に取り、一気に冷たい麦茶を飲み干した。


 縁側からは鉄塔が見え、後ろに真っ白な入道雲がそびえだしていた。


 空の青さが違うな。


 昨日よりも青い。

 空の色はグンと濃くなっている。

 梅雨が明けたのだろうか?




「あなたとは合う気がする」

 あの人は言った。

 何人か付き合った恋人のうち、一人だけ強い個性を放つ人がいた。

 鳴海なるみくん。

 偏見を持たない、イヤなものをイヤと言う自己主張のはっきりとした人。

 普通の人と違っていた。

 いや、私もかなり規格外の人間ではあるが、あの人は不思議な魅力を持っている。


 まず出会ったその日に私に恋人になろうなどと言ってきたのは、あの人だけだ。 




 私は太陽を肌で感じる。


 体の表面がじりっと焼けそうで、体の奥の熱を感じ火照りながらも、動くことなくぼーっとしていた。

 

 近所の子どもたちのはしゃぐ声がする。

 水遊びをしているのかな?


 家庭用のプールを引っ張り出してきて、母にせがんだ小学生の夏休み。


 ホースで空に向かって水を飛ばして、虹を作ったなあ。

 


 私は結婚していない。

 ましてや子供もいない。


 早くに結婚していれば、そしてその子供も20歳ぐらいで結婚すれば、私に孫がいたっておかしくない年齢なんだ。


 実際、もう孫が出来た友人もいた。


 今頃病室で午睡をしているであろう母を思う。


「ごめん。お母さん」


 自分は孫の顔を母さんに見せてあげられそうもないや。




 

 表の門が開く音がした。

 錆びついた金属音は、家の裏の縁側にいる私にまで聞こえて来る。


「やあ、柊冬しゅうと

 小柄な人がキャリーケースを動かしながら入って来た。

 見惚れてしまう。

 私が前に褒めたスーツを着ている。

 いつもあなたは洗練されたセンスを感じる着こなしでどんな服でもお洒落に見えた。


「ああ。来てくれたんだ?」

柊冬しゅうとが大変な時はそばにいたいからね」

 恋人が遠方から駆けつけてくれた。

 そっと縁側で私の横に座る。


「お母さんの具合はどう?」

「うん、あまり良くないや」

「そうか……」


 私はの肩に身を預けた。

 彼は私の頭を撫でてくれた。

 すうっと、気持ちが楽になる。


「なにも食べてないんだろ? 僕がご飯、作ろうか?」

「うん」

「そうかと思って、そこの市場に寄ってから来たんだ」

 彼は買い物の袋を二つ目の前に上げた。

「鯵をフライにしてあげるよ」

 私の好物を彼は知っていてくれる。




 父はがんで私が幼い頃に他界して、母が女手一つで育たてくれた。


 ずっと親孝行がしたかったのに。

 お母さんがこんな事になるなんて。


「泣きなよ、たくさん。の前でなら泣いて良いんだよ」

「男は泣くなと教えられて育って来たからさ」


 母さんは長くない。



 ごめんね、母さん。


 私が体も女だったら。

 もしくは普通の男だったら良かったね?


『私の好きな人は男だから』

 カミングアウトした私に、お母さんは優しかった。

『前から母ちゃん知っちゅうき』

 お母さんはなぜか嬉しそうに笑った。

『母ちゃん分かっちょったき。なんちゃー問題ない。やっと打ち明けてくれたんね』


 私は男の体に生まれたが、私の心は女だ。

 男の人が好きだし、似たように苦しむ人とよく波長が合った。


鳴海なるみくん」

「うん?」

「来てくれてありがとう」

柊冬しゅうとの田舎を見てみたかったしさ」


 目の前の彼女は、中身は男だ。


 私は見かけは男で、中身は女。


 ややこしいが傍目はためから見たら、普通の恋人同士だろうか?


「ねえ?」

「なに?」


 私は女の体をした、きみに恋して。

 君は男の体をした、わたしに恋をした。


 ぐうぜん、見た目は男と女だ。



「あのさあ。柊冬しゅうと、籍入れようか?」

「ええっ?」


 鳴海なるみくんは私を抱き寄せた。


「良いじゃん。中身は男女逆だけど世間からは普通の夫婦だろ?」

 


 男に見える、心は女のわたし。

 女に見える、心は男のあなた。



「カルピスでも……飲む?」

「あー、そこ。誤魔化さない。大事な話をしてるんだよ」


 迷っていた。

 結婚したら、もしかしたら。


「子供出来たら、説明が面倒くさいね」

鳴海なるみくん。子供を産む気があったの!?」


 だって女の体に産まれたことを恨んでいたんじゃないの? 


「まあ、ね。僕はまだギリギリで出産が出来ると思う年齢だし、柊冬しゅうととの子供ならさ、産んでも良いよ」


 私は一気に体内の温度が上昇するのを感じていた。



 目の前の入道雲はますますモクモクと大きくなっていた。

 鉄塔の高さをゆうに越えた。


「ねえ、僕も柊冬しゅうとのお母さんに会いたいな」

「うん」

「お母さんに結婚しますって言っていいよね?」


 私は幸せな気分になって、また草むしりを始めた。


柊冬しゅうと〜。返事は〜?」


 鳴海なるみくんも草むしりを一緒にやり始めてくれた。


聖子せいこちゃん」


 鳴海なるみくんの下の名前は聖子せいこだ。

 呼んだらむくれた顔をした。


「『鳴海なるみくん』って呼んで」


 私はそんな鳴海なるみくんの横顔を見ながら、かわいいなと思っていた。





          了






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